ソーシャルアクションラボ

2022.11.19

「マッチョな男」と出産立ち会いから考える 自分との向き合い方

 11月19日は「国際男性デー」。近年メディアで盛んに取り上げられる「国際女性デー」と比べると耳慣れないが、1999年にトリニダード・トバゴで始まったとされる、男性の心身の健康の保障やジェンダー平等社会を目指す日だ。

 まずはジェンダーを取り巻く現状について紹介したい。日本の2022年の「ジェンダーギャップ指数」は146カ国中116位で、主要7カ国(G7)では最下位だ。国会議員などの指導的地位に占める女性の割合が低いことが要因に挙げられている。

 一方、政府が6月に閣議決定した22年度の「男女共同参画白書」は、共働き夫婦や未婚者の増加など家族のあり方が多様化しているにもかかわらず、制度や政策が「サラリーマンの夫と専業主婦と子ども」の家族モデルを前提としていると指摘。「もはや昭和ではない」と社会構造の変革を求めている。

 国民の実質賃金が下がり続ける中でも「男は大黒柱として外で働き、家族を養ってこそ一人前」「男は弱さを見せてはだめだ」などの根強い固定概念や社会規範が、男性へのプレッシャーや「生きづらさ」を生み出している。一方でネット上を中心に、「社会に声を上げる女性たちを攻撃するような言動につながっている」とも指摘される。さらに男性の性被害など、深刻な人権侵害が無視されやすい問題もある。

 男性の立場から、ジェンダー平等をどうすれば実現できるのか。「男らしさ」の呪縛から脱却し、自分らしく生きるヒントを語ってもらった。

一般社団法人トピカ代表理事・村山淳さん(33)

 「その場で自分が一番強そうでないと気が済まない」という、いわゆる「マッチョな男」が嫌いです。群れの中で強くあらねばならないという「男らしさの呪縛」があるのでしょう。とはいえ私も男なので、そうしたマッチョイズムを前にすると生理的に呼び覚まされる「闘争心」を自覚することがあり、自分自身に嫌悪感を覚えることもあります。

 小学校高学年ぐらいで第2次性徴を迎えると「男女の区別」が明確になっていき、学校側から「性別規範」に無理やり押し込められるような構造があると思います。同級生の女の子と徐々に距離ができていき、友達が友達じゃなくなるような戸惑いや切なさがありました。

 中学生のころ、ショッキングな体験がありました。性教育の授業で外部講師として来た女性が、「男はみんな女の子を襲うケダモノになる」という趣旨の発言をしたのです。「少年から男へ」と変化していく心身を全否定されたような気分になり、フェミニズムについて「(男性への)逆差別では」という印象を持ってしまいました。少年たちを「男」に押し込める教育には、繊細さや配慮が欠けているように思います。

 女子校から男女共学に変わったばかりの高校に進学し、大勢の女子の中に男子は3人だけのクラスに入りました。そこで私はいじめに遭い、一時は「女性恐怖症」にもなりました。男子の間では「性について開けっ広げに語る」のが当たり前という風潮があり、そうではないタイプの男子は「むっつりスケベ」とからかわれました。そういう環境で、何重にも心が傷ついていきました。

 その後進学した一橋大大学院で、故郷・福島県で起きた東日本大震災と脱原発の運動に取り組む中でフェミニストの女性たちに出会ったことが、フェミニズムについて学び、自分の「男性性」を見つめ直す上で大事な転機となりました。男性だけで「性」について語ると、必ずちゃかす人がいて、「ピンクな話」に回収されてしまいます。そのためか、「男性の生きづらさ」についての言葉は、なかなか表に出てこないと感じます。

 5年前に地域おこし協力隊員として高松市塩江町にパートナーと一緒に移住。結婚しましたが、私が改姓しました。世の中の約95%の夫婦で妻側が改姓しますが、「手っ取り早く女性の立場を経験できる手段だ」と思ったからです。

 2021年に小田急線車内で、性別を理由に女性らを標的に刃物で切りつける「フェミサイド」とみられる事件が起きました。容疑者の男は「幸せそうな女性を見ると殺してやりたいと思うようになった」と語ったと報じられました。

 また、ネット上では「結婚して幸せな女性はフェミニストにはならない」とか、「ブスでもてない女がフェミニストになるんだ」といった意見も飛び交っています。こうした意見の持ち主は、「幸せな女・男とはこういうものだ」という思い込みが強すぎるのでは。

 世の中の多様性に目を向けず、自分の世界に閉じこもっている人にとって、ジェンダー教育よりもまず必要なのは「独我論」からの脱却ではないでしょうか。独りよがりから抜け出し、他者の存在を「自分とは異なる存在」として感じられるようになること。そのトレーニングの格好の相手が「自然」だと思います。

 山深い塩江町で、長期休みに子ども向けのアートスクールを開いています。「他者への感覚」を養うのに、自然の多い環境はとても良い。子どもたちにとって、管理的な規則やしつけが多くなりがちな学校・家庭以外の「第3の避難所」にもなります。

 最近は「若者のジェンダー感覚はリベラルだ」などと言われていますが、実は昨年の「男らしさに関する意識調査」の結果、「フェミニストが嫌いだ」と答えた割合は、高齢者よりも若い世代の方がむしろ多かったそうです。私は、ここに今の若者の「他者への無関心」が表れていると思います。

 なぜなら、フェミニズムは女性差別がある世の中に変化を求め、「他者へ干渉する」性質があるからです。地域活動で大学生と接する機会がありますが、「他人に興味が無い」という若者も多いです。根底には「自分には社会を変える力がない」という無力感があるのではないでしょうか。「真のリベラル」とは、他者の痛みを自分の痛みのように分かち合い、相手を踏みつけない関わり方を考え続ける姿勢だと考えます。

 もし自分の優位性を誇示する「マウンティング」をしてくるような「マッチョな男」に出くわしたら、シンプルに距離を置くのがいいと思います。“山でクマと遭遇した時”と同じで、目を合わせたまま少しずつ離れていく。冷静になると“彼”が虚勢を張った弱い人に見えてくるでしょう。「マッチョな男」にならないためには、若者が社会に出る前に勉強や恋愛、アルバイト、趣味、文学などからバランス良く多様な価値観に触れ、「他者」を見る感覚を養うことが大切だと思います。

デザイン会社経営・編集者 福田賢治さん(52)

 夫婦でデザイン会社を営む傍ら、東京の編集仲間らとミニコミ誌「些末(さまつ)事研究」をつくっています。大学卒業後、20年弱を東京で暮らし、出版やIT関連の仕事をしていましたが、長男の誕生を機に2014年、私の実家がある高松に戻りました。

 8歳の長男と6歳の長女の面倒は生まれた時からよく見ています。グラフィックデザイナーの妻(39)は料理好きですが、自分も週2回ほど料理を担当します。女性が社会で活躍するのが当たり前だと思うし、経済的にも楽になります。「活躍」というより「普通」にしていてもらえればいいですね。定年退職しても家のことを何もしない男もいるけど、今はネットで簡単な料理や家事の仕方もわかるんだから、とりあえずやってみればいいんじゃないですかね。

 「子どもが生まれる」という出来事が、人生で一番衝撃的でした。「自分が父親になるのか」とかはどうでも良く、ただただ原始的な喜びをかみしめました。出産には最初から最後まで立ち会ったので、一刻一刻を覚えています。

 毎日変化していく赤ちゃんに生命の不思議を感じながら、ミルクやお風呂、おむつ替えをこなしていきました。父親の私が子どもの送り迎えをすると周囲から「偉いね」としょっちゅう褒められるので、何て得なんだ、「男が生きづらい」ことなんて全然ないじゃないかと思いました。

 一方、子連れの女性に対してはベビーカーを蹴ったり、「うるさい」と言い捨てたりするおじさんも世の中にいますけど、もし彼らに立ち会い出産の経験があったら、そういう行動はしないはず。男たちにとって「いつのまにか子どもが生まれていた」というのは良くありません。コロナ禍で立ち会いが制限されたのはもったいないですね。「立ち会いのススメ」を訴えていきたいです。

 地元の香川大を卒業後、新聞記者になりたかったのですが不採用となり、ちょっとした挫折を味わいました。その後、東京の出版社でアルバイトしたことで「自分も編集をしたい、人に会って物事を考えたい」と思うようになりました。一流企業に就職した同期からは「やりたいことがあってうらやましい」と、不安定な生活を逆にうらやましがられました。「安定した正社員」のレールから外れてふらふらと迷走したけれど、(レールへの)「固定化」から逃れたのは、長い目で見れば得だったと思います。

 実は「子育て」という言葉は自分にはあまりしっくりきません。家の外で畑作業をしていると、子どもが駆け寄ってきて、一緒に遊ぶのがただただうれしいという感覚なので、私が子どもたちに「遊んでもらっている」のかもしれませんね。

 生きていく工夫をするのって、とても面白いです。その工夫の一つが「固定概念を緩くする」ということなんじゃないでしょうか。「正社員」や「嫁」「子育て」などの言葉が持つ「こうあるべきだ」という古い価値観をどんどん緩くしていきたいです。生きづらさを感じる若者は、親戚を見渡して私みたいな「ヘンなおじさん」がいたら、少しは気が楽になるかもしれないですね。14年の創刊から続けてきた「些末事研究」のタイトルにも、小さな日常や子どもの世界に目を向けようという思いを込めています。【構成・西本紗保美】

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