ソーシャルアクションラボ

2018.06.21

読者からの声/毎日小学生新聞前編集長のいじめ告白へ

・小学生新聞でいじめた経験を“告白”

・「心のかさぶた」は治らない

・良心か偽善か、白熱論争

 小学生向けの日刊紙「毎日小学生新聞」の編集長だった2月、紙面に自らのいじめた体験を題材にしたコラムを掲載した。小学4年生時代にいじめた経験を書き、「ボクの心のかさぶたは治りません、本当にごめんなさい」とつづった。これに対し、編集部には「自分もいじめる側だったことを思い出しました。息子に伝えなければならないと思いました」と賛同する声が届く一方、「偽善的で非常に腹が立ちました」と批判する投書もあり、賛否入り乱れる評価となった。【西村隆】

「ごめんなさい川崎くん」(毎日小学生新聞2月3日)

 西村は54歳。40年以上も前の出来事の告白だった。反響の中には次のような書き出しの手紙があった。

◇「ずっと背負って生きていくしかありません」

 「『ごめんなさい川崎くん』を読んで、自分が小中学生時代にいじめる側だったことを思い出しました。

 その翌日、11歳の誕生日を迎えた息子が、仲良しだったはずの友だちのことを『あいつウザいよ』『みんなもそう言っている』と言いながら、誕生日のケーキを食べていました。

 私はターくん(紙面上での編集長の呼び名)のように、自分がしてきたことを、今、息子に伝えなければならないと思いました。そして、手紙を書きました。

 私の心のかさぶたも治りません。ずっと背負って生きていくしかありません。38歳の母親」

母親から息子への手紙はこちら(毎日小学生新聞3月3日)

偽善的で非常に腹が立ちました
いじめられた側への冒瀆だ
いじめられた側に時効はない

 東京都内の塾の講師からは、次のような投稿が寄せられた。

 「私は40年以上前、いじめられていた子どもでした。国家公務員だった父の地方転勤のため、小学校5校、中学校3校、高校2校に通いました。小学生の頃は、地方に行けば『東京の言葉を使ってすかしている』と言われ、東京に戻れば『田舎者』と言われて、男子のいじめの対象になりました。体が小さく、やせていたので、そのことでもずいぶん揶揄(やゆ)されました。体形や方言など、自分ではどうすることもできない(言葉は意識すれば変えられたかもしれませんが、小学生には、いえ少なくとも私には無理なことでした)事柄でいじめられた私は、自分に自信がなく、いつもおどおどしている性格の子どもでした」

 「『ごめんなさい川崎くん』の記事、やりきれなさを覚えると同時に、偽善的で非常に腹が立ちました。『いじめられた方はつらかっただろうが、いじめた方もつらいのだ』という西村様の思いは、私にはいじめる側を正当化しているように感じられます。本当に『ごめんなさい』と思っておられるのなら、あえて1面を全部使って、それを明らかにするでしょうか。たとえ『川崎くん』が読んでいなくても、それはいじめられた側への冒瀆(ぼうとく)だと思います。『友だちを巻き込んで、何日も迫った』ことが、『川崎くん』とお母さんにどんな負担を強いたか、そのつらさを『川崎くん』が、その後どう消化し、昇華したか(できたか)。それらを考えると、安易に公にすべきことではないと思います。『もう時効だ』と思われての公表かも知れませんが、いじめられた側に『時効』はありません」

◇子どもたちの声
いじめた人は忘れてもいじめられた人は心に残っている(中2女子)

 いじめに悩む小中学生からも声が寄せられた。

 中学2年の女子は自分がいじめられた経験を通して、いじめられている子を助けるための三つのアドバイスを書いた。

 「私は中2女子です。私は引っ越し先の小学校の時から、いじめられていました。イントネーションが違ったり、男子からは『死ね』、女子からは何もなかったようにハブ(無視される)られました。それでも保健室に登校したり、家で勉強をしていました。

 中学は、学区外のところに通いましたが、あまりなじめず不登校になりました。いじめた人は忘れても、いじめられた人は些細(ささい)なことでも心に残っています。いじめられたので、いじめ返すのもよくないと思いますが、一番は謝らないと何も始まらないと思います。

 いじめられている人を助けるのは、とても勇気がいると思います。私もできるかどうかは分かりませんが、いじめた人が悪いので、助けてあげたことでハブにされたりしても間違ってはないと思います」

 三つのアドバイスとして

  1. 「○○ちゃんならできる」とプレッシャーをかけない
  2. 学校に行かないことは悪いことではないと考える
  3. 「何で学校来てないの」と聞かず、「最近何してる?」と相手の話を聞くようにする

を挙げた。

◇「助けてあげる勇気や声が出ません」

 いじめる側でもいじめられる側でもない、いじめを見ている立場の悩みもあった。

 「私は、小学5年の女子です。私の学校には特別支援学級の友だちもクラスにいます。その学級に入っている小学5年の○○くんは、特定の人から『ちょっと近寄らんといて』『うるさい』『あなたと私のクラスは違うの。分かる?』などと差別のような言葉を浴びせているのを見たことがあります。私は○○くんと仲良くしたい。けど、もう1人の仲の良い友だちが『えー、あんな人と仲良くしよったの。じゃあ好きにすれば』と言われたことを知っている私は助けてあげる勇気や声が出ません。でも、このまま見過ごしてはいけないと思いました。どのような解決法を提案しますか。よろしくお願いします」

◇「やらないと私がいじめられると思ってやりました」

 次は、いじめられるのを恐れていじめる側に回った小学6年の女子の手紙。

 「私のクラスにはいじめられている人がいます。いじめられているAさんは、1年生からずっといじめられています。それはみんなで『A菌だー、A菌だー』とAさんに触ったり、Aさんが触ったものを触ったりすると10秒以内にほかのものや人につけないと菌に感染するというゲームみたいなものだったり、Aさんが通るとよけるとか、そんなものでした。

 実は、私もやったことがあります。今思うと最低です。でも、私はやらないと私がいじめられると思ってやりました。たぶん、みんなそう思っているのだと思います。

 そして、少し前に私は授業でAさんと同じグループになりました。そこにはAさんいじめを先頭に立ってやっているBさんもいました。私は二人に仲良くなってもらいたくて間に立っていました。二人はちょっと仲良くなりかけたけど、いじめは終わりませんでした。もうすぐ卒業です。どうすればいいでしょう」

◇前編集長・西村の問題提起

 まっただ中にいる小中学生にとっては、いじめられる、いじめる、いじめを見て見ぬふりをする、三者三様での悩みがあるようだ。

 小学4年生ではいじめる側にいた西村も、その後転校を繰り返し、いじめられていった。

 3月のコラムには「いじめられる体験ができた。おかげで、二度といじめる側に回ることはなかった。ボクはボクに『転校はつらくて不安だけど、成長のための大切な栄養だった』と言い切れる」と書いた。

さよならだけが人生ならば(毎日小学生新聞3月31日)

 いじめられた経験談に比べ、いじめた経験を真っ正面から書いた記事は多くはない。「よく書いた」と評価する声であれ、「偽善だ」と否定する立場であれ、この“告白”が、子どもと大人を問わず、いじめについて考えるきっかけとなったと信じたい。

 当サイト「こどもをまもる『いじめ編』」の読者のみなさんは、私西村のいじめ告白をどう受けとめましたか。