ソーシャルアクションラボ

2018.10.18

シンポジウム報告(後編)「子どもをいじめから守るには」

ソーシャルアクションラボのシンポジウム「子どもをいじめから守るには」の詳報の後編です(読みやすくするため言葉を足したりしました)。パネリストは、▽NPO法人「ストップ!いじめナビ代表理事で評論家の荻上チキさん▽NPO法人「ジェントルハートプロジェクト」理事の小森美登里さん▽公益社団法人子どもの発達科学研究所・主席研究員の和久田学さん▽全国生活指導研究協議会代表の笠原昭男さん▽ソーシャルアクションラボで取材した毎日新聞の鷲頭彰子記者ーーの5人。司会は、毎日新聞の澤圭一郎論説委員(教育担当)が務めた。ソーシャルアクションラボの活動で浮かび上がった12の解決策について読者にアンケートを実施。多くの人が賛成したもの、意見が分かれたものなど四つの解決策を選んで議論しました。(以下、敬称略)

◇アンケートでほぼ全員が賛成「犯罪行為は警察に通報する」

<澤>「犯罪行為は警察に通報する」という解決策はどうでしょう。アンケートではほぼ全員が賛成です。会場に聞いてみましょう。賛成の方は挙手を。半分ちょっとぐらいですね。ソーシャルアクションラボのアンケート結果とは違うようです。警察に通報するのは、おそらく子どもが重傷を負わされるとか司直の手に任せた方がいい、学校の範ちゅうを超えている場合だと思いますが。

<荻上>一つのオプションとして活用するということですね。例えば友だちの物を盗んだ。確かに窃盗ですが、これを警察に委ねることが是か非かということと、学校で起きた集団暴行を通報しなくていいかというのは違うと思います。教育の中では、当事者同士の話し合いによる和解でおさまり、警察通報に至らないことはあります。一定の裁量の余地がある。
 子どもの場合、本人の合意を得るまでもなく警察に通報するというオプションがあまりに過小評価されているという点は見直されてもいいでしょう。ただ、いじめは犯罪だから警察に介入させるというのは法的にも科学的にも間違い。法的にはいじめは犯罪ではありません。いじめの中で犯罪に該当するものは一部ありますが、陰口を言うとか無視するとかは犯罪じゃない。警察案件ではない。警察に通報した結果、いじめ行為がその場でなくなるこことはありますが、当事者同士のその後の発達行動に良い影響が得られるかは疑問です。教育機関としてアプローチを放棄することになるので、加害者は加害行為を抑制するためのチャンスを失い、被害者にとっては教育空間を安全な場所にすることを学校が放棄していることに変わりはない。犯罪行動に対して学校はもう少し厳しく対処したほうがいいとは思いますが、世論が特定のいじめ報道で盛り上がって何でもかんでも警察へというのには賛成できません。

<澤>しばらく前の学校は、できるだけ警察権力を校内に介入させないことを暗黙の了解にしてきました。いじめ問題がクローズアップされるようになり、「そんなことを言っている場合ではない」となってしまった。非常に極端なケースのときに、我々が報道し、世間が問題視して「警察へ」という流れがあると思うのです。

<小森>私はいじめ被害者の遺族です。自分の子どもがいじめられたときの状況を考えると、暴力的なことがあれば警察に通報してほしいと思います。でも、活動する中で変わってきました。問題が起きた時、学校は何もせずに警察へ通報していいとなると、先生方はもしかしたらそこを抜け道にしてしまうのではないか、と。そような形になってしまうのはいけないと思います。加害行為をした子どもの対応が分からなくて警察に通報するとか、スクールカウンセラーに相談に行かせるとかとなると、先生が責任を負えないもの隠す形になることが心配です。

<澤>笠原さんは教師の立場から警察権力に委ねることについてどう考えますか。

<笠原>犯罪行為は警察に通報するのはやむを得ない。ただ、「こういう場合は警察に通報します」ということをまず学校全体で納得しなければいけない。3月か4月の職員会議で、いじめ対策としてこういう場合は警察に通報すると合意することです。次に、4月の入学式で保護者と子どもにきちんと伝える。こういう行為があったら警察に通報することがあります、納得してください、と保護者と子どもに分かるように説明しておく必要があると思っています。

<和久田>いじめが起こったときに被害にあった子どもは転校して安全なところに行ったけれど、加害者には何もしないというのはおかしい。加害行動にはついてはきちんと罰を与えたり指導をしたりしなければいけない。もちろん、加害者がそうせざるを得なかった状況を考えたり、教育的な配慮したりするのは必要だが、やった行動について責任を取るということは学んでもらわねばなりません。それが犯罪であれば警察です、と。加害行動した子どもには何らかの間違った認識があるわけですから、そこを是正しなければなりません・。

◇いじめ解決の肝「加害者にこそ親身に寄り添う」

<澤>次はいじめを解決するに当たっての一つの肝ではないかと私は思っています。「加害者にこそ親身に寄り添う」。いじめを解決する要諦ではないでしょうか。アンケートでは意見が分かれました。小森さんはソーシャルアクションラボのサイトの取材でも「加害者にこそ寄り添う」とおっしゃってましたね。

<小森>娘が亡くなり、何が起こったんだと当然考えました。加害の子どもたちにも背景がいろいろあるんだろう、子どもの頃からどんなふうに育ったのだろう、とかなり早い段階から疑問を持つようになりました。その後NPOを作り、少年院や刑務所から講演の依頼をいただき、うかがうようになりました。子どもたちの現状をうかがうと、ほとんどが実は虐待被害を受けている、見えないところの傷が本当に多いと教えていただいた。最初にうかがう時はどんな形相の子どもたちがいるのだろうと思って行ったら、実際にはとてもかわいい普通の子どもたちだと感じました。
 そこの先生のお話をうかがううちに自分がずっと抱いていた疑問と合致しました。加害者が「自分もつらいんだ、苦しんだよ、こんなことがあったんだよ、わかって欲しいんだよ」と言えるようになり、誰かに寄り添ってもらい、わかってもらえて、愛情を感じることができたならば、自分のやった行為を振りかえることができるのではないだろうかと想像しました。

<荻上>加害者に寄り添うというのは特殊な考え方ではなく、通常のトラブルがあったときの対策としてはスタンダードなものだと思います。子どもの世界では、幼稚園や保育園から小学校に入るとガラリとモードが変わる。幼稚園や保育園では子ども同士のトラブルについては双方の言い分を聞く。特に加害の子の話をじっくり聞いて、「なんでそういったことをしてしまったのかな。でもこういったようなやりかたもあったよね。そうすると相手はどう思うかな」ということを丁寧に解きほぐしていく。同時に親とも連絡を取り合います。
 それが小学校に入ると急に、怒号と叱責と管理。「何やってんだ」と叱られる。コミュニケーションへの介助ではなくコミュニケーションの指導という形でモードが変わっていくわけです。学校の先生との信頼関係が構築された場合には有意にいじめは繰り返されないようになります。加害者にこそ親身に寄り添うのも当然ながら、被害者のケアもする。それを別立てで行うと同時に、実質的には加害者に対するさまざなサポートが必要だということはもっと理解されてほしい。

<和久田>加害者も学校現場では教育の対象ですから、彼らの発達を保障しなければいけない。当然やるべきアプローチだ。小学校に入るとモード変わるというのはっていうのはその通り。小さな子どもは「どうしてそんなことをしたの?」と丁寧に言語化して自分の思いをコントロールすることを教えてもらえるのに、小学校に入ったとたんに情動やコミニケーションへの支援が「そのくらい出来るでしょ」に変わる。教育の学力偏重主義からきているのではないでしょうか。
 加害者研究では「加害者にはモデルがいる」とよく言われます。加害者はいじめ行動を勝手に作り上げるのではない。親から虐待を受けると子どももそういうふうにしていいんだとか、友だちからいじめを受けた経験がある子どもがいじめをしないと自分がいじめられるとか、考えてしまう。被害・加害を両方持ってる子どもが結構いることは研究でわかっています。そのことを考えると、加害者に対しては一方的に指導するのではなくその子の背景を考え、被害を受けている側面があるのではないかという見地を持っておくことが重要です。

◇周りの子どもの加害者を見る視線を変える

<荻上>加害者研究では、加害者が適切な指導を受けられないまま社会に出て行くとさまざまな依存症の疾患当事者、ドメステッィク・バイオレンス(DV)といった加害行為の当事者になる可能性が高いことが分かっています。子どものころ、自分の感情をコントロールする手段を学習できなかった結果、何かに当たるとか、何かに頼るという方法しかなくなることがあるわけです。
 実は被害者のケアも加害者のケアは金銭面を考えても、早期にやったほうがいい。将来的にDV被害対策、メンタルケアの費用など社会保障費ががかかることになるので、教育の早期段階でケアにつなげていくことが重要です。加害者にはいじめるインセンティブがあります。例えば勉強で評価されないと子ども集団を支配することで快楽を得るとか……。その快楽を奪うのではなく別の快楽を用意することによって、加害者がモードチェンジすることも分かっています。モードチェンジをしなければならないはずの教師がステレオタイプの偏見を持っていて、特定のいじめモードを温存するような教室運営をしているケースがあります。例えば「あいつ、おかまっぽいよな」「フードファイターだな」とかいじる。先生がすべきなのはこうしたモードを作るのではなくキャンセルすることです。

<小森>加害者に寄り添うと言ったとき、現場の感覚だと「いじめばかりして」と思ったら寄り添えません。この子がこういうことをするのは抜き差しならない事情があるのだろう、自分も一緒に援助しながら乗り越えようという思いがないと寄り添えない。今の議論で一つ抜けていると思ったのは大人や教師が寄り添うだけではダメじゃないかとということです。周りの子どもたちが加害者を見る視線を変えなければ、加害者は本質的に変わっていけない。周りの視線や見方が加害者に対して肯定的なものに変わらなければいけません。つまり子どもの集団を変えていくのが教師の仕事です。大変だけれどそれをやって初めて、加害者は大人や友だちへの信頼を確立して巣立っていくのです。

<澤>ありがとうございます。話をうかがっていると、先生も子どもたちも余裕がないというのがいじめの大きな要因の一つなのでしょう。寄り添うには余裕がなければできません。子どもたちも余裕がないと友達に視線を投げかけることができません。これもキードワードになるという気がしました。