ソーシャルアクションラボ

2020.04.08

救助に懸けた人々/下 教訓、若手に伝承へ あらゆる想定で備えを/宮城

※この記事は2019年12月14日毎日新聞朝刊宮城県版に掲載されたものです

教訓 若手に伝承へ

 宮城県内外で甚大な被害を出した台風19号。広い範囲に爪痕を残した災害現場で活動した人々は何を感じたのか。最後は行方不明者の捜索活動を伝えるとともに、救助活動を通じてそれぞれの隊員が得た教訓を紹介する。【滝沢一誠】

 「家財道具が全て流されている」。2019年10月15日朝、県警機動隊特別救助班の鈴木重慶(しげのぶ)班長(37)は宮城県丸森町廻倉(まわりぐら)地区の土砂崩れ現場に立ち、言葉を失った。

 大槻竹子さん(当時92歳)と利子さん(同70歳)が暮らしていた住宅に同12日夜、裏山から土砂が崩れ落ちた。同所に避難してきていた利子さんの妹、小野正子さん(同63歳)と夫の新一さん(同67歳)も巻き込まれた。山肌がむき出しになり、家の面影はなかった。

 鈴木班長は消防や警察職員とともに、土砂が流れ落ちた斜面の下を捜索した。「最初の数日は現場に重機が立ち入れず、岩をどかしたり木を切ったり、全て手作業で行った」という。同18日午後、大槻さん宅から200~300㍍下の沢で、竹子さんの遺体を発見した。

 大槻さん宅周辺の捜索には、消防や自衛隊も加わった。陸上自衛隊第22即応機動連隊の鳥谷部忍1曹(41)も大崎市鹿島台から移動してきた。現場では懸命な作業が続いたが、正子さんは今も見つからず、捜索が続いている。鳥谷部1曹は「見つけて親族の元に返したかった」と、鈴木班長も「自分たちで見つけようと思っていたので、とても悔しい」と話す。

冠水した宮城県丸森町の中心部=2019年10月13日午前、本社ヘリから

あらゆる想定で備えを

 未曽有の被害に遭った現場で救助活動をした職員たちは、さまざまな「教訓」を得た。

 「何もない海とは違って電線や家などがあり、降下作業は緊張した」。丸森町でヘリコプターによるつり上げ救助をした第2管区海上保安本部の山本亮輔機動救難士(31)は振り返る。近年は内陸部の災害でも出動することが増えているが、海保の普段の活動場所は海上。「船員は成人男性がほとんどだが、救助した人には子供もいて、容体を聞く時の言動に気をつけた」という。

 大崎市鹿島台で災害ゴミや稲わらの撤去を手伝った自衛隊の本間健3尉(35)は「運ぶべきゴミについて、行政の指示と住民の要請とで食い違っていた」ことが多々あったと話す。4㌧トラック100台分以上の運搬を繰り返し、「災害ゴミが出たときの役割を、もう少し明確に分担すべきだった」と振り返った。

 「本当に想定外の災害だった」と、角田消防署丸森出張所の菅野武史消防第2係長(51)は語る。台風が接近した夜、出張所庁舎の周辺はみるみるうちに浸水し、出動などの指令を管理するコンピューターが使えなくなった。「救助した人は口々に『ここまで水が来るとは』と言った。事前に(避難などの)周知を徹底すべきだ」と強調する。

 県警機動隊の鈴木班長は「一緒に行動した隊員は東日本大震災後に入った若手がほとんどだった」と話す。震災から8年以上が経過した今こそ、2次災害を防ぐ手立てなど、災害時のノウハウを若手職員に伝承すべきだと訴える。そして、あらゆる想定による備えを強調する。「『1000年に一度』といわれた地震を経験した今、災害に『想定外』はない」