ソーシャルアクションラボ

2020.04.08

救助に懸けた人々/中 一夜明け「海のよう」「まさかここまで」/宮城

※この記事は2019年12月13日付け毎日新聞朝刊宮城県版に掲載されたものです。

一夜明け「海のよう」

宮城県内外で甚大な被害を出した台風19号。未曽有の水害や土砂災害を前に、現場で人命救助を行った人々はどう立ち向かったのか。台風から一夜明けた2019年10月13日の海保、自衛隊、消防の職員たちの動きを再現する。【滝沢一誠】

 「町が濁流であふれている。明らかに異常な光景だった」。10月13日朝、上空から宮城県丸森町の様子を見た第2管区海上保安本部の車田務機動救難士(39)は思った。

 海保は県からの要請を受け、普段は海上で人命救助を行う機動救難士を町に派遣。車田救難士は山本亮輔機動救難士(31)とともに仙台航空基地(岩沼市)からヘリコプターで現地に向かい、「浸水の真ん中で中州のようになっていた」(車田救難士)住宅に取り残された家族4人を発見。ヘリにつり上げ、町外の病院に搬送した。

 同日朝、陸上自衛隊第22即応機動連隊所属の本間健3尉(35)らは、多賀城駐屯地(多賀城市)から大崎市鹿島台の志田谷地地区に向かった。丸森と同じく、川が決壊して一帯が浸水したという情報が入っていたが、現地に着いた本間3尉は「予想よりも深刻だ。(水の)深さは2㍍あるんじゃないか」と感じた。農業用のビニールハウスが破れて浮かんでおり「辺りは海のようだった」。

 隊員はボートで浸水した家屋を巡回し、孤立した住民11人の救出に当たった。ボートの操縦を担当した富岡朝治1曹(36)は「水が濁っていて、中に何があるか分からない。電線も切れていて、エンジンに絡まないように神経を使った」と話す。また、住民の中には「そのまま残りたい」という人もいて、無理に避難を強制することもできなかった。

「まさかここまで」おののく住民

 「海のようだった」のは丸森町も同様だった。浸水した平野部の家々を、高橋佑輔消防士(25)は回った。救助した住民から「ありがとう」だけではなく「ごめんね。もっと早く逃げていれば……」や「まさかここまで水が来るとは」という言葉をかけられたのが印象に残っている。

 その後、他地区の消防隊員とともに筆甫(ひっぽ)地区など山間部へ調査に向かった。しかし、土砂崩れが至るところで発生し、「普段は20分で行けるところに1~2時間かかった」。まずは主要道路の補修調査に取りかかった。