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2020.04.09

登呂遺跡 弥生人の護岸工事 緒方英樹 連載1

日本は世界で最も「水害リスクが高い国」

物理学者・寺田寅彦は『天災と国防』(随筆集第五巻)の中で、天変地異という「非常時」に対して、「悪い年回りは、いつかは回って来るのが自然の鉄則であると覚悟を定めて、良い年回りの間に充分の用意をしておかなければならないことは明白なこと」と説き、「これほど万人がきれいに忘れがちなこともまれである」と嘆いています。しかし昨今、日本を襲う天災は忘れても忘れなくても、いついかなる場所でも重なるようにやってきます。

 日本は、世界で最も「水害リスクの高い国」とか、災害列島と言われていますが、遠い昔からそうだったのでしょうか。

 奈良時代に編まれた『古事記』に登場するスサノヲが、ヤマタノヲロチを退治する神話からは、大規模水害に見舞われ続けた古代人たちの阿鼻叫喚あびきょうかんがイメージされます。

 古代より歴史的にあらゆる天変地異を被って自然災害の惨禍に苦しめられてきた日本において、私たちは今、改めて日本独特の自然特性を確認しておく必要があるでしょう。日本の自然や地理・気象・地形など国土リテラシーを知ることが、災害を正しく怖れ、これからの対応につながると考えます。

 まず、日本列島は地殻変動によってつくられたきわめて複雑な地殻の上に形成されています。私たちの住む足元では、地球の表層をおおう10数枚のプレート(板状のかたまり)がぶつかり合っています。こうした日本近海のプレート活動によって、地震や火山活動が頻発しています。

地球の変動帯に位置する脆弱な日本列島 一般社団法人全国地質調査業協会連合会HPより

島国にして山国。年間降水量も多く、常に洪水被害にさらされている

 それらがもたらす日本の国土(面積38万平方km)の特徴は、山地が約70%と多くて土地が脆弱なことです。(一社)全国地質調査業協会連合会の調査によると、その地形は、山地、丘陵、台地、低地、内水域など5つに区分され、そのうち「山地」と「丘陵」の占める割合が約73%となっています。島国にして山国。その上、断層や地すべり、火山地帯など不安定で複雑な地形・地質から、水害など自然災害に対応する土木事業は常に困難がつきまとってきました。

 また、日本の気象は、梅雨、台風で雨が多く、世界の平均年降水量(約1000mm)を上回る地域が大部分です。列島中央部に脊梁山脈が存在していることから、その両側は変化に富んだ気候をもたらします。そして、山はいきなり海まで迫っているので、日本の川は世界的に見ても短く、勾配が急です。海外の川は勾配が小さく、滑らかな曲線を描いていますが、日本各地の河川は急勾配であるだけでなく、さまざまに屈折しています。このことは、河川流域や河口の沖積平野が、常に洪水被害の危険にさらされていることを意味し

ています。

日本と海外の河川の縦断面曲線 (国土交通省河川局資料2005.より作成)

豪雨や地震などによって、日本列島は変化し続けている

 日本列島という変動地形は、豪雨や地震など自然の影響により現在も変化を続けているのです。さらに今後、地球温暖化による異常気象が日本の複雑な地形に及ぼす影響は計り知れないでしょう。

 さらには、日本列島の北から南まで気候や地形が違うように、地域によって土壌も異なります。土質工学という領域が出来たのは、地域によって異なる特殊土壌にどう対応して施工を行うかを探求するためです。特殊土壌とは、たとえば、北海道の泥炭、関東ローム、近畿や中国山地の風化花崗岩、南九州のシラスなどです。

 こうした地域独特の気候や地形、土壌を持つ国土で、古来より、日本人は自然とどう向き合い、水害などの災害にどう対応してきたのでしょうか。

静岡市駿河区登呂5にある弥生時代の集落・水田遺跡の登呂遺跡。現在、住居などが復元されている

弥生時代の人々も行っていた護岸工事

 その端緒を、弥生時代の農耕集落である登呂遺跡に見ることができます。

 この遺跡からうかがい知ることの一つは、人は、集団で暮らし始めたときから土木という技術を持ち始めたということです。

 つまり、森林を切り開いて土を盛り、木を築いて家屋をつくり集落を成した弥生人たちは、その東に広がる低地に水田を拓いていきました。水田跡の調査から、中央部に用水と排水を調節できる水路が設けられ、矢板と杭の列を張り巡らして畦をつくり、50以上の長方形の区画に分けられていたと推定されています。そして、安倍川の氾濫から住居や水田を守るために行われた護岸工事跡が発見されています。これこそが、人と自然が共存する「治水」という土木の技術であり、あらゆる技術に先がけて生まれたというわけです。

 幸い、歴史的な土木構造物や施設は、大なり小なり私たちの暮らしの身近にあります。それら土木遺産や産業遺産、文化遺産などと呼ばれる歴史資産は、地域や住民のニーズに応えるため、自然との調和を考えながら造られ、地域の生活基盤を支えてきた遺構でもあります。そして、それらの一つ一つには、なぜ、先人たちがそれらを造らなければならなかったのかという社会背景やニーズ、どのように造ったのかという技術、造った人の労苦や知恵が詰まっています。それらには人や地域に尽くした効果や、自然や地域に与えた影響など、後世に生かす示唆や教訓が多く含まれています。

 たとえば、「土」偏に「成る」と書く「城」には、元々「防御の為に築いた壁」という意味のほかに「都市・町・国」そのものを表す意味が含まれています。群雄割拠の戦国時代、拠点としていた山城から、織田信長や豊臣秀吉らによって城下町がすそ野に広がり、「都市」に「成」っていった経緯がうかがえます。その過程で土木や建築、都市計画などの技術も飛躍して今日につながっています。

歴史から学ぶ、先人たちの知恵とヒント

 歴史に学ぶことの意味は、私たちが今いる場所と時間を知り、これから自分はどう生きたらいいか、どんな社会にしたらいいかを考えるヒントを見つけることにあると考えます。

 本稿では、古代の僧侶たちがなぜ寺を飛び出してまで急流河川に橋を架け、ため池や溝をつくる洪水対策を行ったのか、戦いに明け暮れていただろう名高い戦国武将たちが、なぜ、どのように地域の自然災害と向き合い、問題を解決していったのかなど、先人たちの考え方や方法を紐解いていきます。(鉄建建設経営企画本部広報部、土木学会土木広報センター土木リテラシー促進グループ長)=毎月第1木曜日更新