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2020.08.21

有名テーマパークの街に津波・高潮の歴史 谷川彰英 連載5

 「浦安」の成立


 「東京ディズニーランド」が千葉県浦安市にオープンしたのは、1983(昭和58)年のことである。建設地には「舞浜(まいはま)」という美しい地名がつけられた。アメリカのディズニーワールドのある「マイアミ・ビーチ」からとった。


 この浦安市は我が国で、戦後最も発展した町と言っていいだろう。現在の市域は17.30平方キロメートルだが、その4分の3は埋め立て地である。その地に高級住地を次々に建設し、多くの住民を集めてきた。


 この浦安市に「猫実(ねこざね)」という一風変わった町名がある。1丁目から5丁目まである。この「猫実」が、この地を古来襲ってきた津波・高潮と深く関わっているという。今回はその謎解きに挑戦してみよう。

浦安市猫実1にある同市郷土博物館では、戦後直後の漁師町の風景が再現されている


 明治期の地図を見ると、「猫実村」「堀江村」「当代島(とうだいじま)村」という地名が確認できる。1899(明治22)年の町村制施行により、この3村に「欠真間(かけまま)村」の飛び地が合併されて「浦安村」が成立した。「浦安」という地名の誕生である。その命名者は、初代浦安村長の新井甚左衛門だと言われている。甚左衛門は隣の「行徳」の向こうを張って、漁場(浦)の安泰を祈ってつけたとも、日本古来の美称、浦安の国からその名を得たとも言われている。


 津波・高潮を防ぐために


 猫実村の由来について『浦安町誌』(1969年)に、こう書かれている。


 「鎌倉時代に永仁の大津波に遭い、部落は甚大な被害を被った。その後部落の人達は、豊受(とようけ)神社付近に堅固な堤防を築き、その上に松の木を植え、津波の襲来に備えた。堤防はその頃としては立派なもので、村の者はこの堤防の完成を喜び、今後はどんな大きな津波がきても、この松の木を越すことはないと喜んだ。この松の根を波浪が越さじとの意味から『根越さね』といい、それがいつの間にか猫実と称せられるようになり、本村の村名となったという」

千葉県浦安市猫実3にある豊受神社は同市で最も古い神社だ。写真の鳥居は1816(文化13)年に建立されたもので、歌川広重の「名所江戸百景」に描かれている

 豊受神社は平安末期の1157(保元2)年に創建され、この神社の創建が浦安の始まりだとされている。その豊受神社に足を運んでみると、東京地下鉄東西線の浦安駅から南に数分も歩くと境川に出る。この境川が昔の浦安と新しい浦安の境をなしているとのことで、この川の周辺に浦安の古い歴史を物語る建造物が集中している。


 その一角に豊受神社はある。確かにちょっと高台になっていて、津波を防ぐような雰囲気も感じられたが、実は昔の豊受神社はここではなく、行徳へ向かう行徳街道沿いにある稲荷神社の周辺にあったという。稲荷神社にも行ってみたのだが、松の木のようなものは見当たらなかった。

境川ではかつて、漁に向かうベカ船が行き交っていた=左写真、1969(昭和44)年5月撮影。この5年後に埋め立てのために漁業権が放棄され、かつての漁師町のにぎわいは消えた=右写真、2020(令和2)年3月撮影

 昭和の初めころの浦安の様子を描いた小説として知られる『青べか物語』で、山本周五郎は次のように書いている。


 「浦粕(うらかす)町は根戸川のもっとも下流にある漁師町で。貝と海苔(のり)と釣場(つりば)とで知られて、いた。町はさして大きくはないが、貝の缶詰工場と貝殻を焼いて石灰を作る工場と、冬から春にかけて無数にできる海苔干し場と、そして、魚釣りに来る客のための釣舟屋と、ごったくやといわれる小料理の多いのが、他の町とは違った性格をみせていた」。そして、続けて「町は孤立していた。北は田畑、東は海、西は根戸川、そして南には『沖の百万坪』と呼ばれる広大な荒地がひろがり、その先もまた海になっていた」と書いている。「浦粕」とは「浦安」、「根戸川」とは「江戸川」のことである。


 この町が近代都市として発展するようになったのは東西線が通るようになってからのことで、浦安駅は1969(昭和44)年に開業している。それまでは「陸の孤島」と呼ばれていたが、私は「海の孤島」という表現の方が当たっているのではないかと考えている。

キティ台風で浦安は広範囲で浸水し、避難所となった中学校から船で救出される住民=1949年9月3日撮影


 キティ台風


 三方を水で囲まれた浦安は江戸時代から洪水の常習地でもあった。中でも1917(大正6)年の津波(高潮)と49(昭和24)年のキティ台風による被害は甚大であった。


 17年の大津波(高潮)では、死者44人、行方不明者1人に加えて家屋の流出や浦安小学校の倒壊を含む2500戸以上の被害があったという。


 そしてキティ台風が浦安を襲ったのは49年8月31日のことであった。小田原市の西に上陸した台風は熊谷市から新潟県柏崎市を経て日本海に抜けていったが、台風の被害は進行方向の東側に集中するため、浦安を含めた首都圏は猛烈な暴風雨に見舞われた。そして運悪く浦安では満潮を迎えていたため、上潮に乗った高潮が沿岸部を襲った。


 午後9時ごろには、堤防が14カ所決壊、その幅は900㍍に及び、濁流は民家、田畑を一瞬にして飲み込んでしまった。その結果家屋の全・半壊、流失は390戸、床上浸水は2419戸に及んだという。さらにその後も赤痢の発生などで住民は苦しめられた。

東日本大震災により、液状化した東京ディズニーリゾートの駐車場(手前)=2011年3月12日

 キティ台風以降、浦安市では大きな水害は発生していないが、思いがけない災害を被ることになった。それは2011(平成23)年3月の東日本大震災であった。浦安市で戦後に埋め立てられた地区の多くで液状化の被害を受けた。日本列島どこに行っても自然災害から完全にフリーになることは不可能かもしれないが、その土地に隠された歴史を知り、来たるべき災害に備えることはできる。(作家・筑波大名誉教授)=毎月第3木曜日更新