ソーシャルアクションラボ

2020.08.21

「浮気」の里は艶っぽいというより湿っぽい!? 谷川彰英 連載7

漢字導入前からあった地名

 その昔、滋賀県守山市のとある病院に講演に行った時の話である。講演後、院長先生が「私の住んでいる町は『浮気町(ふけちょう)』といいますが、その漢字で結構迷惑しています」と言われた。私がとっさに「そこは低湿地帯ではないですか」と尋ねると、その通りだと言う。

JR守山駅東口には大きな看板がある。信号機にも「浮気町」の文字が…

 これが「浮気」と私との出会いだった。「フケ」とは漢字導入以前から日本列島に存在した地名で、低湿地帯を意味していた。漢字1字では「深」「更」などがあてがわれていたが、「好(よ)い」漢字を2文字使えという政策のもとに「布気」「婦気」「福気」「浮気」などと表記された。いずれも意味は同じで、全国各地に分布する地名である。守山市の「浮気町」はその中でも最も特徴的で印象に残る「フケ」である。

浮気町にある住吉神社で毎年1月に開催される火祭り

 JR守山駅の裏手に数分も歩くとそこはもう浮気の里。その中心は住吉神社である。その昔、土御門(つちみかど)天皇(1195~1231)が病に倒れた時、この土地の大蛇を退治して献上したことによって天皇は回復され、その時から住吉神社では大蛇を火で追う儀式が始まったという。

 町の一角に「よみがえる『浮気(ふけ)』」として、看板にこう記してある。

 この地は古来より益須川の伏流水が多く泉を湧かせて水清く森茂る豊かな自然の地であった。村中池より湧き出て地下水は浮気の里中をくまなく巡り、秋から冬の間は水蒸気が朝日に映え蒸気が雲間に漂うさまは、「紫気天に浮かびて雲間に動かず」の詩より浮気(ふけ)と名付けられたと聞く。

 益須川は、現在の野洲(やす)川のことである。「近江太郎」とも呼ばれる滋賀県きっての暴れ川で、守山市の浮気町はこの野洲川の「後背湿地」と見ることができる。氾濫した河川は水と共に土砂を運んで自然堤防をつくるが、その先に泥水がたまり低地が形成される。それが後背湿地である。

 浮気町は家々の周りを清流がめぐり、その清流にはハリヨという魚が放流されるなど美しい景観を保ち、過去にも洪水に遭ったという記録はなさそうだ。

たびたび洪水被害にあった小浮気

 「フケ」地名で、西を代表するのが守山市の「浮気町」だとすれば、東を代表するのが茨城県取手市にある「小浮気(こぶけ)」だろう。「浮気」という点では同じ意味を持った地名である。もともとは藤代町の一角にあるエリアだったが、2005(平成17)年、平成大合併によって取手市に編入された。

取手市の国道6号バイパス分岐点になっている小浮気交差点(左写真)と水田地帯が広がる小浮気地区の様子(左は地区の氏神となっている八幡神社)

 この地は、江戸時代から小浮気村として知られた農村地帯で、水戸街道の藤代宿を中心に栄えた。北東側を流れる小貝川の典型的な後背湿地で、少し離れているが南西側に利根川が流れている。昔から小貝川の氾濫によって大きな被害を受けてきた。1889(明治22)年の町村制の施行によって小浮気村を含む6村が統合されて六郷村が成立し、さらに戦後になって1955(昭和30)年、藤代町として発展した。

 JR常磐線藤代駅から2㌔ほど国道6号を西に行ったあたりの田園地帯が小浮気のエリアだ。国道6号のバイパス分岐の交差点が小浮気交差点だが、その地名の面白さ以外にはこれといった特色があるわけではなく、水田が広がっており、稲作が盛んなようだ。

 交差点から少し足を伸ばしたところに地区の集落があり、公民館もある。その先の水田の中にぽつんと鎮守の森があった。八幡神社だ。境内にはさまざまな石塔がある。江戸時代中期以降に建立された庚申塔などで、地域の人々の信仰を集めてきたことが感じられる。

 小貝川は、古くは子飼川、蚕養川とも書かれ、関東平野を北から南に流れる一級河川である。利根川の支流としては第2位の長さを誇っている。昔から「暴れ川」として知られ、昭和の時代に限っても、数度にわたって洪水を引き起こしている。

1950年8月7日の小貝川堤防決壊で屋根まで浸水した民家。濁流は当時の2町5カ村の耕地をのみ込んだ

 中でも1950(昭和25)年8月の洪水は熱帯低気圧の豪雨によるもので、大きな被害をもたらした。8月7日未明、高須村大留(現・取手市大留)で堤防が決壊し、同村のほか、相馬町、小文間村、山王村、寺原村、六郷村が水没した。小浮気は六郷村に属していた。死者・行方不明者3人、倒壊家屋18棟、床上・床下浸水5468棟に及んだという。

その後、治水対策が進んだこともあり、小浮気周辺では50年以降、大きな洪水被害は起きていない。とはいえ、昨年10月の台風19号による広域的な被害を思い起こすまでもなく、近年、異常気象が多発しており、低湿地を意味する地名がある場所では注意が必要なことは言うまでもなかろう。(作家・筑波大名誉教授)=毎月第3木曜日更新