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2020.08.21

バックウオーター現象を示す地名があった 谷川彰英 連載9

 近年の台風や集中豪雨による河川災害は顕著なものがある。中でも「バックウオーター現象」なるものが密かに注目を集めている。「バックウオーター」は文字通り訳せば「逆流」だが、つまるところ近年の洪水の陰には水の逆流があったということだ。しかも面白いことにこの意味を示唆した地名が日本には存在していている。

 バックウオーター現象が起こったと見られるのは、河川の本流に支流が注ぐ部分である。本流の水量が多くなり水位が高まると支流からの流れが本流に流れ込めなくなって、支流を遡ることになる。これがバックウオーター現象である。

2018年の西日本豪雨で氾濫した小田川(左)と高梁川の合流地点。奥は広域に浸水した真備町地区。高梁川に注ぐ小田川の流れが逆流したことで浸水被害が起きた。バックウオーター現象は右下のイラストのようなメカニズムで起きる

 2018年6月からの西日本豪雨では岡山県の高梁(たかはし)川の支流である小田川にバックウオーター現象が起こり周辺は水に沈んだ。また、昨年の台風19号で大きな被害を受けた宮城県丸森町も同じ原因によるものだった。神奈川県川崎市の被害も、本流の多摩川に支流の平瀬川が流れ込めずに逆流したことによるものであった。そして、今年の九州豪雨の熊本県球磨村の水害も同様の立地条件だった。

 河川による洪水の本質は極めて単純な原理によって引き起こされる。一つは「水は高きから低きへ流れる」ということであり、もう一つは「水は一定の許容量を超えるとあふれる」ということである。この原理によってバックウオーターによる災害も説明可能となる。要は、行き場所を失った水は逆流し、一定の許容量を超えると水はあふれるということだ。

「逆川」という川名が国内には多数分布する

 このような現象を象徴するかのように、我が国には「逆川(さかさがわ、さかがわ)」という川名が多数分布している。これは注目すべき事実だ。北海道から中国・四国地方まで数十カ所に及んでいるが、特に関東地方には多い。

 「逆川」の由来としては①潮位の上昇や河川の合流先河川の増水などによって水が逆流する川、②地形的に付近の河川とは逆の方向へ流れている川ーーなどの説が考えられるが、逆川は人工的な小規模な河川も多く、水が逆流して洪水を引き起こしたという例は意外に少ない。

 例えば栃木県茂木(もてぎ)町を流れる逆川はしばしば洪水を起こしてきた川として知られるが、それは水が逆流したわけではなく、流路が通常の河川とは異なる方向を取っているからだと言われる。また、静岡県の掛川市内を流れる逆川も「欠け川」と呼ばれるほどの暴れ川であったが、その由来は、川の流れが南方の海方面にではなく、北西方面に向かっているからであるという。

 このように、「逆川」の由来は流路の方向が一般の河川とは異なっているところにあるというケースが多く、逆流して水害をもたらしたという話は寡聞にして知らない。

千葉県最大の湖沼である印旛沼。江戸時代に利根川とつながったことから、周辺の村々はたびたび浸水被害にあうことになった=千葉県佐倉市臼井田で

印旛沼と「逆水」

 ところが、このバックウオーター現象そのものを表す地名が我が国に一カ所だけ存在する。千葉県八千代市に米本字逆水(さかさみず)という地名がある。これこそ「バックウオーター」そのものを指している。

 印旛沼はもともと鬼怒川からの土砂の堆積によって、古鬼怒湾から切り離された沼沢地だったが、江戸時代に入ってそれまで江戸湾に流れ込んでいた利根川を銚子方面に東遷したことによって大きな変貌を遂げることになる。利根川東遷の最大の目的は江戸を水害から守ることにあったが、それ以外にも、利根川を通じて物資を輸送することのほか、軍事的な目的もあったと言われる。

 この利根川東遷によって、利根川と印旛沼がつながり、甚大な被害を受けたのが印旛沼周辺の村々であった。印旛沼は戦後の干拓によって現在は北印旛沼と西印旛沼に分かれているが、かつては周囲60㌔に及ぶ巨大な沼であった。平均水深わずか1.7㍍というフラットな沼に、大雨が降るたびに利根川から大量の水が流れ込み、沼周辺の村々を洪水が襲った。

新川にかかる逆水橋。手前から奥の印旛沼へ水が流れており、利根川の増水のたびに水が逆流し、水害被害に悩まされていた。現在は印旛沼からの水が花見川を経て東京湾へ流れている。周辺には水神を祭る小さな社が多く、人々が水害に悩まされ続けていたことをうかがい知ることができる

 この危機から脱するために、当時の人々は、とてつもないことを考えた。印旛沼にあふれた水を何と江戸湾に流そうと考えたのである。下総国千葉郡平戸村(現・八千代市平戸)の名主、染谷源右衛門は1724(享保9)年、幕府の援助を受け印旛沼に流れ込む平戸川(新川)と江戸湾に注ぐ花見川をドッキングさせようとした。流れる方向の違う二つの河川をつなぎ、あふれた水を江戸湾に排水しようという一大プロジェクトであった。

 源右衛門の試みは結局失敗にわり、その後も幕府あげてこの一大難工事に取り組んだが完成には至らず、結局この難工事が完成したのは戦後の1966(昭和41)年のことだった。

 八千代市の新川沿いの米本地区に字名としてある「逆水」は、普段は印旛沼に向かって流れている川が、いったん印旛沼に水が溢れると「逆流」したことを意味していたのだ。これは、過去の人々からの貴重なメッセ―ジであり、「バックウオーター現象」を象徴する地名であったのだ。(作家・筑波大名誉教授)=毎月第3木曜日掲載