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2021.04.11

独眼竜と治水の名手、川村孫兵衛重吉 緒方英樹 連載13

2人の縁は、「関ヶ原の戦い」にあった!

 司馬遼太郎が「仙台藩の歴史の中で第一等の人物」と評した男の名は、川村孫兵衛重吉といいます(『街道をゆく26』朝日文庫)。

 重吉は安土桃山時代から江戸時代前期ころに活躍した武将で、初代仙台藩主・伊達政宗に見込まれて北上川改修という大事業を成し遂げたことで知られていますが、もともとは毛利藩士です。1575(天正3)年、長州藩(現在の山口県)萩の出身です。それがなぜ、仙台藩の歴史に名を刻んだのでしょうか。

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日和山公園に建つ川村孫兵衛重吉の像=宮城県石巻市提供

 伊達政宗と重吉を結びつけた縁は、関ヶ原の戦い=1600(慶長5)年=にありました。

 関ヶ原の戦いの翌年、徳川方についた政宗は仙台城に居を移したものの、膨大な家臣団の処遇に悩んでいました。徳川家康から約束されていた「百万石のお墨付き」は反古にされ、与えられた62万石の領地は多くが荒れ地でした。

 江戸時代になっても、北上川・江合川・迫川は大雨が降るたびに洪水が起こっていました。それならいっそ、氾濫を繰り返す北上川を大改造して穀倉地帯に転じ、100万石にしたいという野望を政宗は抱きます。ところが、北上川から石巻港に至る運河のための水路整備と、北上川の水害を防止する治水事業を任せられる卓越した土木巧者が周りには見あたりませんでした。

 一方、関ヶ原の戦いで召し放たれた毛利家家臣・川村孫兵衛重吉は浪人の身でありながら、その技術力は並外れていました。重吉は、当時伊達領であった近江国蒲生郡に滞在していました。水利、測量、天文、数学、製塩、植林などに通じた思わぬ逸材に政宗は目をつけたのです。

 政宗は、500石のスカウト料を重吉に提示します。当時の石高で一石は1000合、キロに換算すると約150㌔となり、およそ1年分の米に相当しますから破格の待遇です。

 しかし、なぜか重吉は辞退します。その代わり、野谷地(のやち)を所望したのです。野谷地とは耕作されていない湿地帯のことです。重吉は数百ヘクタールの荒れ地を数年で美田に変えてみせます。その成果によって重吉に与えられた知行地は1000石となり、その力量は城内に知れ渡りました。重吉は、したたかな人物だったようです。

北上川の大改修

 「孫兵衛の動きは超人的だった。城下町の土木から貞山堀の設計と開削にいたるまで手がけ、さらには鉱山にあかるく、仙台領内でいくつかの金山や銀山を発見した」(司馬遼太郎『街道をゆく26』)。

 重吉が仙台藩に仕える以前、登米寺池の領主、伊達相模守宗直が北上川の急流を緩和するために迫川へのバイパス工事などを行っていました。藩命を受けた重吉は、そうした事業を引き継ぎながら綿密な調査を重ねて治水工事を進めていきました。

 しかし、1611(慶長16)年10月、三陸沖を震源とした大地震・慶長三陸地震が発生。東日本大震災クラスの巨大津波により1800人近くが溺死したとされています。

 自分が工事を手がけた堤防が決壊し、地域の家々を流していた様子を目の当たりにして、重吉は茫然自失したことでしょう。大雨のたびに洪水を引き起こす北上川。重吉は、その大改修に真正面から立ち向かいます。

 重吉は、支流である迫川と江合川を合流させ、北上川、迫川、江合川の流路を整理統合して真野川に合流させるという大改造を行いました。その結果、米づくりに適さなかった流域が新田開発されただけでなく、石巻港の築港によって米の集散地とした海運ルートも開発、仙台藩を実質100万石以上に飛躍させたのです。

宮城県名取市(手前)から岩沼市(奥)にかけて流れる貞山堀。一帯は東日本大震災による津波で甚大な被害を受けた=2020年3月撮影

 さらに、重吉は仙台城をつくるための資材運搬を円滑化させるため開削して運河とします。これが政宗の法名から名づけられた貞山堀(ていざんぼり)です。

被災地・石巻の復興を見守る土木請負人

 2011(平成23)年3月11日、東日本大震災津波で石巻市に建立されていた重吉の菩提寺、普誓寺も被災しましたが、旧北上川左岸の日和山に建つ像は残りました。日和山公園から重吉が指さす先にある旧北上川河口と石巻市街。重吉はその復興を静かに見守っているかに見えます。

2019年夏に開催された石巻川開き祭りで、東日本大震災の犠牲者を悼み旧北上川に浮かべられた灯籠=宮城県石巻市で

 地域の恩人のことを忘れないという思いから、毎年夏に「石巻川開き祭り」が石巻市で開かれてきました。そして、震災の年以降、旧北上川に1500個の灯籠を流して鎮魂と復興を願っています。今年は残念ながら、新型コロナウイルスの感染拡大で祭りは中止されました。しかし、地域の人々の思いはしっかりと受け継がれていくことでしょう。(鉄建建設企画経営本部広報部、土木学会土木広報センター土木リテラシー促進グループ長)=毎月第1木曜日掲載