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2021.04.11

「竜」のように流れる川から「幸福」へ 谷川彰英 連載12

九頭竜川の「竜」の意味

 九頭竜川は福井県嶺北地方を流れる一級河川で、昔から暴れ川として知られている。流域面積は何と福井県全域の70%に及び、福井県民にはなじみの深い川といえる。

 「九頭竜」の語源には諸説ある。代表的なものは『越前名蹟考』によるもので、その昔、白山権現の尊像を川に浮かべたところ、一身九頭の竜が現れたことによるという。また、国土を守るために国の四隅、すなわち東は常陸の鹿島、西は安芸の厳島、南は紀伊の熊野、北は越前の崩山に四神を置いたが、この崩山の祭神の黒竜王に由来するという説もある。さらに、単純に「崩川」によるものだという考えもある。

 私は「竜」の意味にこだわってみたいと思う。かねてより、「竜」というのは「暴れ川」を意味しているのではないかという仮説めいたものを持っていた。「九頭竜」という言葉には多分に宗教的な趣を感じるが、一方で洪水を起こしながら暴れまくる川を想起させる。

 「竜」のつく河川としては、長野県の諏訪湖を源流とし静岡県に注ぐ「天竜川」があるが、こちらも諏訪信仰との関連で説かれることが多い。「天」という文字を使ったのは、諏訪湖を神の住まう「天」と想定してのことであろう。その天である諏訪湖を源流にして、あたかも竜が天に昇るがごとく激流が逆巻いたのであろう。

福井県坂井市の九頭竜川の河口付近。左は竹田川

明治時代の洪水と北海道移民

 古来、九頭竜川は暴れ川として流域の住民に多くの被害を与えてきた。とりわけ1895(明治28)年と翌年の洪水による被害は甚大なものがあった。95年の洪水は前線によるものだったが、福井市の3分の2が浸水、死傷者86人、流失・全壊家屋244戸、浸水家屋2万6920戸という記録が残っている。さらに翌96年には台風の影響で、死傷者96人、流失・全壊家屋1197戸、浸水家屋4万7796戸という被害をもたらしている。

 この水害の復旧のめども立たないまま、大野郡の村人100人余りは97年2月、北海道帯広市周辺に移住することになった。船で日本海を渡り、北海道の大地に足を踏み入れ、未開の地である十勝に着いたのは3月16日のことだった。

 明治新政府になってからの急務の一つは、全国に200万人ともいわれた旧士族とその家族の生活基盤を与えることであった。東北や北陸からの移住者が多かったが、ほぼ全国から士族を中心に北海道に移住し、開拓に従事した。加えて北陸などからは河川の洪水によって土地を奪われた人々が多数北海道に渡った。九頭竜川の氾濫によって福井県大野郡の人々が移住したというのは、その代表的事例である。

駅舎の外壁と内壁に、切符を模したはがきや絵馬が所狭しと貼られた幸福駅。広尾線が1987年に廃止された後は交通公園として整備され、帯広市の観光スポットになっている

「愛の国から幸福へ」♪

 この地が後に「幸福町」と名付けられたのは、1963(昭和38)年のことだが、この地名には興味深いエピソードがある。74年のことだが、「愛の国から幸福へ」のキャッチフレーズのもとに多くの若者たちが、北海道の「幸福駅」に殺到したことがある。帯広駅から出ていた広尾線の「愛国駅」と「幸福駅」を結ぶわずか60円の切符が、翌年の8月までに800万枚売れたというのだから尋常な話ではない。

 広尾線は1929(昭和4)年に開業し、「幸福」という名の駅ができたのは56年のこと。それまでは「幸震(こうしん)」駅と呼んでいた。これはただ音読みにしただけの話で、もともとは「幸震(さつない)」と呼ばれていた。

 アイヌ語で「サツ」は「乾いた」を意味する。「ナイ」というのは「川」のことである。すると、「幸震」とは「乾いた川」という意味になる。実際この地には「札内川」という川が流れている。

 「幸福駅」の「幸」はアイヌ語に由来するのだが、問題は「福」である。この「福」は九頭竜川の氾濫によって故郷を追われて北海道に移住した人々の思いを後世に伝えるために、「福井県」から「福」の字をとった。

 現代においても河川の洪水によって故郷を追われる人々がいる。その人々の先に、「幸福」が訪れるように切に願いたい。(作家・筑波大名誉教授)=毎月第3木曜日掲載