2021.09.04
「ナイ」「ベツ」に隠された暗号の秘密 連載19 谷川彰英
東北地方に見られる「ナイ」河川
秋田県北部から青森県一帯にかけて「〇〇内」という地名が分布している。『釣りキチ三平』の作者として知られるマンガ家の矢口高雄の生地は「狙半内」(さるはんない)という村(現・秋田県横手市増田町狙半内)だったが、これなどは、その代表例である。
この「内」はアイヌ語の「ナイ」に漢字をあてはめたもので、「川」を意味している。したがって、当然のごとく「〇〇内川」という河川名となることが多い。例えば次のようなものが挙げられる。
秋田県――三内川、桧木内川、斉内川、役内川、下内川
青森県――笹内川、川内川、横内川、入内川
これらの河川名は、いずれもアイヌの人々が残してくれた貴重な生活の痕跡である。アイヌの人々が川沿いに多く住み、川とともに生きてきた証しである。
北海道の「別」と「内」
アイヌの人々は和人との戦いに敗れ、次第に山間部に追いやられて東北地方では「内」地名として残っている。だから、一般的に「内」は山間部を流れている小さな川を意味している。東日本に多く見られる「沢」に相当すると考えてよい。一方、北海道に目を転じると「内」以外に川を示す地名に「別」地名がある。実は北海道は「別」と「内」だらけなのだ。ここに北海道の水害の隠れた秘密がある。
アイヌ語のpet(ペトゥ)は大きい川という意味で、その多くは「別」という漢字を当てている。またnay(ナイ)は小さい川を意味し、「内」という漢字を当てている。「別」で知られるのは、陸別・音別・幌別・女満別・紋別・士別・登別・江別など。また「内」を代表するものには、稚内・岩内・木古内・幌加内・歌志内・静内などがある。
注目すべきは、ベツは水かさが増えるとすぐ氾濫する危険な川と、とらえられている点である。ここにはアイヌの人々の川への恐れが垣間見られると言ってよい。
1952年に撮影された石狩川の様子。激しく蛇行し、暴れ川だったことが分かる
石狩川の氾濫
石狩川は北海道を代表する一級河川で、ベツに属する暴れ川である。長さは268キロ。信濃川、利根川に次ぐ3番目の長さを誇っている。流域面積は1万4330平方キロあり、こちらは利根川に次いで2位と、日本三大河川に数えられている。北海道が開拓される以前の確たる記録は残っていないが、明治以降は、しばしば大洪水を引き起こしている。
1981年(昭和56年)8月4日から5日にかけ北海道に寒冷前線が停滞、石狩川決壊など豪雨による被害が続出した。国道12号(下右カーブ)と函館本線(中央、防風林のすぐ右)も完全に泥水の中に=江別市豊幌地区で8月6日撮影
中でも1981(昭和56)年に起こった水害は500年に1度という大規模なものであった。この年の8月から9月にかけての1カ月で札幌で700ミリの雨を記録した。これは札幌の年間降水量の60%に及ぶものであった。この豪雨によって8月上旬と下旬の2度にわたって石狩川が氾濫を起こし、石狩平野は巨大な泥海と化したという。石狩川流域の総被害額は約1000億円に上った。
石狩川の暗号
なぜこれほどまでの被害が出たのか。その原因は「別」や「内」などの河川名をたどることによって探ることができる。
石狩川の支流名を調べて見ると、次のように河川にまつわる地名が浮かび上がってきた。__以下は支流のさらなる支流を意味している。
留辺志部川――茅刈部川
愛別川
比布川――比布ウッペツ川
牛朱別川
忠別川
オサラッペ川――ヨンカシュッペ川・ウッペツ川
雨竜川――幌加内川・幌新太刀別川・恵岱別川
徳富川――ワッカウェンベツ川・ルークシュベツ川
空知川――布部川・芦別川
奈井江川――茶志内川
幾春別川――奔別川・三笠幌内川
夕張川――志幌加別川・ヤリキレナイ川
豊平川――真駒内川・厚別川
当別川――パンケチュウペシナイ川
茨戸川――真勲別川
その他にも、江丹別川・内大部川・ペンケ歌志内川・於札内川・浦臼内川・札比内川などが確認されている。このおびただしい数の川にちなんだ「別」「内」などはアイヌの人々の生活の痕跡である。と同時に、川の氾濫の危険さについての現代へ向けた警鐘であると言ってよい。これは日常的には地名の由来などに注意を払っていない現代人にとって、一種の暗号である。
藻岩山山頂からの札幌の夜景。右側に緩やかに曲がる暗がりは豊平川=札幌市南区で
「札幌」にも水害の暗号
1981(昭和56)年の大洪水では札幌も大きな被害を受けた。家屋全半壊13戸、床上浸水1942戸、床下浸水1万46133戸に及んだ。市の中心部を流れる豊平川と真駒内川が氾濫を起こしたのである。
実はこの「札幌」という都市名が川に由来している。札幌の地はもともと「サッ・ポロ・ベッ」と呼ばれていた。「サッ」はアイヌ語で「乾いた」を意味し、漢字では「札」を当てることが多い。次の「ポロ」は「大きい」意味で普通は「幌」を当てる。そして最後の「ベッ」は言うまでもなく「川」の意味である。言い換えれば「乾いた大きな川」ということになる。
この「乾いた大きな川」とは豊平川のことである。つまり「札幌」の語源は北海道の暗号たる「ベッ」にあったということである。普段は「乾いた」状態でも一旦集中豪雨ともなれば牙をむく。そんな不気味さを暗示している。
札幌市のシミュレーションによれば、総雨量310ミリを超える降水があれば豊平川が氾濫し、同市を代表する繁華街・すすきの一帯は水没すると試算されている。
蛇足だが、石狩川の支流の夕張川にある「ヤリキレナイ川」は「オモシロナイ川」(面白内川)、「オカシナイ川」(可笑内川)、「オカネナイ川」と並んで笑いを誘うユニークな川名として知られる。(作家、筑波大名誉教授)=毎月第3木曜日掲載