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2021.10.08

「阿久津」と「塙」住むならどっち? 連載20 谷川彰英

 地名研究の世界では「アクツ」と「ハナワ」はセットで論じられることが多い。「アクツ」は「阿久津さん」という人名で知られるように、通常、「阿久津」という漢字を当てるが、この3文字に意味はない。単に「アクツ」という音(おん)に漢字を当てたに過ぎない。もとは「圷」と書き、「水に浸かりやすい低湿地」を意味する。「圷」は中国からもたらされた漢字ではなく、日本人が作り上げた和製漢字だと言われている。

 一方の「ハナワ」は、「塙」という漢字が示すように「高台」を意味している。土偏に片や「下」、片や「高」で好対照をなしているところから、よくセットで話題になる。

 「阿久津」(圷)の地名はその大部分が茨城県、群馬県、栃木県、福島県一帯に分布している。その主なものには以下のようなものがある。

 福島県郡山市阿久津町(まち)▼栃木県さくら市上阿久津▼栃木県高根沢町中阿久津▼群馬県太田市阿久津町(ちょう)▼群馬県高崎市阿久津町(まち)▼群馬県渋川市阿久津

 これらはいずれも旧大字に相当する地名で、昔から「阿久津村」と呼ばれていたと推定される。また「圷」という和製漢字を用いた地名は茨城県に多く、水戸市圷大野、城里町上圷・下圷などがあり、城里町には城里町立圷小学校まである。

福島県塙町の町役場

 「塙」については「塙村」として、かつて茨城県鹿島郡、千葉県海上郡、秋田県山本郡に存在した。また「塙町(まち)」は福島県東白川郡に存在する。「塙」は「花輪」とも書かれ、秋田県鹿角市と千葉県富津市に「花輪」という町名が存在する他、千葉県下には千葉市中央区に「花輪町(ちょう)」、流山市には「下花輪」という町名もある。

切っても切れない「阿久津」と「塙」の関係

 阿久津と塙の関係は、時代を追って説明した方が分かりやすいかもしれない。関東平野は約1万年前までに形成された洪積台地(武蔵野台地、大宮台地、下総台地など)と、その後の河川の堆積作用によってつくられた沖積平野からなっている。洪積台地の一部が低地に向かって舌状に突き出しているのが塙(花輪)である。

 だから、塙もしくは花輪という地名のところには洪水は起こらない。そう断言していい地名である。ただし、福島県の塙町のように近隣の自治体を編入して成り立っている場合はその限りではない。

 一方の阿久津(圷)は塙(花輪)の先にある低湿地で、近くに川が流れていると洪水常襲地帯となる。

台風19号の影響で浸水した福島県郡山市の住宅街=2019年10月13日

2019年の台風19号と「阿久津橋」

 2年前の2019(令和元)年10月に東日本を襲った台風19号は阿武隈川流域にも甚大な被害を及ぼした。メディアの多くは中下流域の宮城県丸森町の浸水を報じていたが、私はごく少数のメディアが報じたある事実に注目していた。阿武隈川は全流域で数えきれないほどの氾濫を引き起こしたのだが、その最も初期に氾濫を起こしたのが郡山市の「阿久津橋」(阿武隈川下流右岸付近)近くだというニュースだった。台風19号による被害は郡山市だけで死者6人、床上浸水6,542棟、床下浸水847棟、全壊638棟、半壊2,978棟というのだから、その被害のすさまじさに驚く。その先べんをつけたのが「阿久津橋」だったのである。

2019年の台風19号では、福島県郡山市富久山町久保田梅田地区を流れる逢瀬川が越水し、周辺の住宅地が浸水被害にあった

 「そうか、郡山にも阿久津があったのか!」と調べてみると、この地点は阿武隈川に逢瀬川が合流する最も危険な場所であることがわかった。現在の郡山市阿久津町には、次のような町名が残されている。「阿久津」であることの証である。

 阿久津町石橋▼阿久津町後田▼阿久津町久保▼阿久津町下田後▼阿久津町八幡下▼阿久津町法師沢▼阿久津町前田▼阿久津町六溜

利根川方向(上)に流れる烏川。右から流れているのが鏑川で、二つの川の合流地点にある阿久津地区(写真右下)は、これまでたびたび洪水被害にあってきた=群馬県高崎市で

群馬県高崎市にも……

 高崎市の阿久津町も郡山市の阿久津町に似て、烏川と鏑川が合流する地点に位置する洪水常襲地帯がある。高崎市の洪水と言えば1910(明治43)年の大洪水が有名だが、阿久津地区はその洪水によって「完全に沈没した」という。

 昭和に入っても洪水は続き、とりわけ35(昭和10)9月に起こった洪水は阿久津地区に甚大な被害をもたらしたという。9月21日に降り始めた雨は止まず、ついに26日に烏川が決壊。養蚕農家が次々に濁流に呑み込まれていった様が今に伝えられている。

 このように書いてくると、いかにも「阿久津」が悪者のように思われてしまいそうだが、実はそうではない。確かに洪水のリスクは高いが、河川がもたらす豊かな土壌が日本の農業を支えてきたとも言えるからだ。(作家、筑波大名誉教授)=毎月第3木曜掲載