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2021.12.22

「ヒジ」「ヒヂ」には要注意!! 連載22 谷川彰英

 2018(平成30)年7月に西日本を襲った豪雨は「西日本豪雨」と呼ばれる。台風7号が西日本から中部地方を経て北海道に抜けたことにより、広島、岡山両県を中心とした中国地方、そして愛媛県など四国地方も多大な被害にあった。全国で死者263人、行方不明者8人、負傷者484人、住家の全壊6783棟、半壊1万1346棟に及んだ。

肱川があふれた愛媛県大洲市の市街地=2018年7月12日

 愛媛県ではとりわけ南予地方の大洲(おおず)市一帯が激しい洪水に見舞われた。西予(せいよ)市野村町にある野村ダムが満水に近づき、緊急放流したことも被害に拍車をかけた。大洲は盆地の地形であり、江戸時代から肘(ひじ)川の氾濫で苦しめられてきた城下町だった。

 前はこの氾濫の原因は「肱川」という川の名前に隠されている。肱川は西予市宇和町の鳥坂峠付近に水源を発し474本の支流を集めて大洲市を経由して瀬戸内海に注ぐ全長103キロの一級河川である。流域の大半は山間部であり、中流域に位置する大洲盆地は昔から洪水に悩まされてきた。「肱川」というと、肘のように曲がった危険な川と考えがちだが、実はそうではない。

愛媛県大洲市森山の大成橋近くの集落は肱川が氾濫し一気に浸水した=2018年7月7日、自営業男性提供

「ヒジ」とは「土・泥」のこと

 「ヒジ・ヒヂ」とは古語で「土・泥」を意味していた。したがって「肱川」とは「洪水の度に土や泥をもたらす川」という意味になる。

 JR名古屋駅から左手に大きく伸びる道路が桜通だが、それを500メートルも行くと国際センターの高いビルがそびえている。その手前の交差点が「泥江」の交差点である。そのまま読めば「どろえ」だが、実は「ひじえ」と読む。名古屋の地名に関する本を書いている時、「『泥江』」と書いて、なぜ『ひじえ』と読むのか」という質問を何度も受けた。答えはすこぶる明快。「泥」のことを「ひじ・ひぢ」と呼んでいたからである。

 もともとこの地は愛知郡広井村の一部で田んぼのぬかるみのような所であった。1889(明治22)年、名古屋市に編入されて「泥江町」となったが、現在は「名駅一~五丁目」という何の変哲もない町名に変えられてしまっている。

大洲のシンボル、肱川と大洲城(左中央)

肱川に残る人柱伝説

 以上のように肱川の由来は「泥」にちなむもので、それだけで氾濫時のすさまじさを想起させるに十分だ。このような洪水常襲地には時に人柱伝説が伝えられていることがある。

 時は1331(元弘元)年のこと。伊予の守護職となった宇都宮豊房がこの地に城を築こうとしたが、度重なる肱川の洪水で石垣が崩れて工事が進まず、ついに水難除けの人柱を立てることになった。人柱になったのは「おひじ」という娘で、その後、城の石垣は洪水によって崩れなくなったので、娘の霊を弔うために川の名を「比地川」としたとのことである。
 この種の伝説はよくある話である。それだけに、そのまま受け取ることはできないが、肱川の洪水との闘いの中から生まれたものと見ることができる。

 参考までにエピソードを一つ。新撰組の副長として知られる土方歳三(1835~69)は武蔵国多摩郡石田村(現・東京都日野市)に生まれたが、「土方」でわかるように「土」は「ひじ」である。(作家、筑波大名誉教授)=毎月第3木曜掲載