ソーシャルアクションラボ

2022.03.23

「沼」がつく場所は危険なのか? 連載25 谷川彰英

「危険な地名」の危険性

 近年の水害などの大災害に伴い、「〇〇の地名は危険」とか、「〇〇の所に住んではいけない」などというキャンペーンが張られることが多くなった。地名はいずれも多様な面・意味を有するものだが、こと「災害地名」となると、何でもかんでも災害に結び付けて解釈し、「だから〇〇は危険だ」と結論づけることになる。これは地名の本質を見誤った皮相な考えである。今回はこの「危険な地名」の危険性を指摘する。

 水害を起こす原理を最も単純化して言えば、次の2点に尽きる。

①水は高きから低きに流れる。

②水は許容量を超えるとあふれる。

 ①は当然のことだが、②については若干説明を要しよう。近代の河川の管理方式は「高水工事」と言って、その地点で瞬間最大何立方メートルの水を流せるかを想定し、それに見合う堤防を造るというものだった。これは河川の周辺の土地を最大限有効活用するためであり、氾濫は、この許容量を超えた結果生じる現象である。

 さて、「水は高きから低きに流れる」という原理に従えば、「沼」「池」「田」「川」などにちなむ地名は危険ということになる。

台風19号により、千曲川が決壊し浸水した長野市穂保地区=2019年10月13日

 確かに、2019(令和元)年10月の台風19号によって、長野県の千曲川が決壊したのは、長野市の長沼地区にある穂保という場所であった。近くには赤沼という地名まである。この地区はかつて千曲川の河道だと言われ、今は一面りんご畑になっているが、昔は「長い沼」になっていたのだろう。標高は330メートル余りで長野市の中心市街よりも30メートルも低い。赤沼地区に設置されていた長野新幹線車両センターの全車両は水没し、廃棄処分となった。

 この事例だけを見ると確かに「沼」地名は危険であるように見える。しかし、「沼」という文字がついている所が、全て危険であるというわけではない。逆は必ずしも真ならずということだ。

台風19号により、千曲川の河川敷で浸水したリンゴ畑=長野市で2019年10月13日

「沼」がつく苗字の人が多いのはなぜ?

 読者の皆さんの知人・友人に「沼」の字がつく人がいると思う。「沼田さん」「大沼さん」「小沼さん」「沼辺さん」「沼尻さん」などである。そして、歴史的な人物としては「田沼意次」「浅沼稲次郎」などの大物もいる。

 私の知り合いに「水沼さん」(故人)という方がいた。彼は仙台で力を張っていた「水沼一族」の末裔であることを誇りとしていた。「水沼」と聞けば、あたかも水害地名そのものだと考えがちだが、ことはそう単純ではない。現在の水害などの災害防止の観点から見ると、沼や池は危険に見えるが、昔の人々にとっては沼や池は貴重な水源池であり、生活の糧であった。それ故「沼」や「池」の文字を付した豪族や氏族が多かったのではないか。

 水害防止の目で見れば、水は「邪魔者」でしかないが、昔の人々にとって水は農耕に必要であると同時に、生活上の「必需品」であったのである。そのささやかな検証をしてみよう。

沼田城跡から見た群馬県沼田市街

「沼田」氏による命名

 「沼」のつく自治体名としては、まず群馬県の「沼田市」が挙げられるが、これは単純に地形の沼に由来すると結論づけることはできない。沼田市は中世以来の城下町として知られ、沼田城は戦国期には武田信玄・上杉謙信・後北条氏による争奪の対象になった城として知られている。戦国末期には信濃の名将・真田昌幸が領有地としたこともある。

 地形的には市街地の西側を利根川が流れ、南端を支流の片品川が流れる河岸段丘の上に位置し、直接地形の「沼田」に由来するとは考えにくい。

 沼田の由来は、中世以来この地に勢力を張っていた「沼田氏」にあると言っていいだろう。地形の「沼田」とは直接関係ない。

 また、北海道空知管内北部に「沼田町(ちょう)」がある。この町も地形の「沼」とは無縁である。1894(明治27)年、富山出身の豪商「沼田喜三郎」が開拓したのが始まりである。町名は、この「沼田喜三郎」に由来する。町制が敷かれて「沼田町」が成立したのは1947(昭和22)年のことである。

 このように、危険な地名として一律に烙印を押すことは誤りだが、低地地名の場所が水の被害を受けやすいことも事実である。「池尻」「沼尻」「田尻」などの「尻」地名は水の排出地点を示し、周囲より低くなっていて水害を受ける可能性が高い。補足である。(作家、筑波大名誉教授)=毎月第3木曜日掲載