ソーシャルアクションラボ

2022.04.21

わが国有数のターミナル駅は「埋め田」だった!? 連載27 谷川彰英

 集中豪雨による都会の浸水もバカにならない。2013(平成25)年8月25日午前11頃、大阪の大繁華街「梅田」に集中豪雨が襲った。わずか10分間で27.5ミリという大阪市観測史上にない雨量だったという。1時間に換算すると165ミリという計算になる。一般には総雨量が250~300ミリを超えると河川の氾濫等の被害を受けると言われているので、これはとてつもない雨量ということになる。紀伊国屋書店前の道路は川と化し、ある商店主は次のように述べている。

 「悲惨や。冷蔵庫や冷凍庫はパーや。ものの10分で一気に水が上がってきて、下水からも上がってきてあっというまや」。

 幸い梅田の地下街には流れ込まなかったようだが、大都市ではしばしばこの種の災害が起こることがある。なぜこの事例に注目したかというと、私自身東京で同じような災害に遭っているからである。

 数年前の10月頃のことだった。東京都目黒区の東急電鉄・自由が丘駅近くの馴染みの寿司屋で知人らと会食していたところ、午後7時半頃から雷鳴を伴った猛烈な雨が降り始めた。最初は「東京の雨なんか」と高をくくっていた。しかもここは都内屈指の高級街だ、そんなに簡単に水にやられるわけがないと。

 ところが、30分もしないうちに道路は30センチ、40センチと水かさが増していった。しばらくすると、深さ1メートルを超え、私が外を見ようとドアに近づいた途端、「バーン!」という大音響とともにドアをぶち破って大量の水が流れ込み、店内は一瞬にして湖と化した。その一瞬は確かに生命の危機を感じた。私たちは申し訳ないと思いながらも、寿司を食べるカウンターに腰を掛けて救助を待った。

2013年8月25日の集中豪雨では、冠水した商業施設内のタクシー乗り場で排水作業に追われる清掃員の姿も見られた

かつては沼沢地だった「梅田」

 「梅田」の由来については再三著書等で書いてきたが、もともとこの一帯は淀川沿いの沼沢地であった。「梅田」が「埋め田」に由来することはよく知られている。この地が歴史上注目されるようになったのは、1874(明治7)年に、「大阪駅」が開設されたことである。当時の大阪の中心地は堂島あたりだったが、新設の大阪駅はそこから少し離れた田んぼの中に建設された。市街地から離れた低湿地に駅を設置したのにはそれなりの理由がある。

 それは、蒸気機関車から排出される煙に混じっている火の粉が飛んで、火事になることを恐れたためである。今では考えられない話であるが、当時は麦わら葺きや茅葺きの家も多くあったと推測され、それなりに説得力ある話ではある。現に、全国のJR駅は歴史が古い駅であるほど、もともと低湿地だったところに建設されている。

 ところで、この大阪駅にちなむ歴史をご存じだろうか。大阪の中心にある駅で「大阪」を名乗るのはJR大阪駅のみで、他の私鉄や地下鉄は全て「梅田」を名乗っている。もともと、大阪駅は国が一方的に決めたもので、それに対抗して大阪の人々は大阪駅とは言わず「梅田ステンショ」と呼んだ。それが梅田駅の発祥である。このいきさつについては『日本列島 地名の謎を解く』(東京書籍、2021年)で述べているのでご覧いただきたい。

高層ビルが建ち並ぶ梅田のビル群。社員中央がJR大阪駅で、上に見えるのが淀川=2020年8月撮影

大阪の地形と浪速の渡し

 大阪を襲った洪水としては、1885(明治18)年6月7月の集中豪雨によって淀川及び支流の堤防が各地で決壊し、大阪市域の20%が水没するということがあった。当然、大阪の最大低湿地帯である「梅田ステンショ」一帯は濁流にのみ込まれた。当時の様子を伝えるものには、「梅田では水深四尺に達した」とある。1.2メートルである。

1953(昭和28)年9月の台風13号で冠水した大阪・梅田の阪急百貨店前を走る車。かつては、大雨のたびにこのような光景がよく見られた

 古代においてはこの大阪市の北部一帯は海であり、河内一帯に広がる内湾に通じる通路であった。『古事記』には「かれ、その国より上(のぼ)り行(いでま)しし時に、浪速(なみはや)の渡(わたり)を経て、青雲(あをくも)の白肩(しらかた)の津に泊(は)てましき」とある。現代語に訳せば、次のようになる。

 「さて、その国(播磨国)からさらに上って行った時、浪速の渡しを通って、青雲の白肩という湊でお泊りになった」。

 ここに記されている「浪速」こそ後の「浪花」「浪華」「難波」の語源である。つまり、大阪という都市は現在の大阪城のある台地と豊中市の台地の間には海峡になっていて、梅田はもともと海峡の下にあったのである。

0メートル地帯が広がり、巨大地震の津波対策が迫られる大阪湾岸地域。南海トラフ巨大地震の2時間後に2メートルの津波が来ると見込まれている=大阪湾上空で

 梅田地区エリアマネジメント実践連絡会による「梅田防災スクラム」には、次のようなシミュレーションが紹介されている。

 「南海トラフ巨大地震津波が発生したとき、台風・大雨で淀川が氾濫したとき、一体何分後に梅田の地下街に水が襲ってくるか考えたことがありますか?津波は南海トラフ地震発生後、最短1時間50分で第一波が大阪市に到着。そして淀川が氾濫すれば、30分後に梅田の街が5m浸水する危険性があるのです」。

 大阪は、南海トラフ地震にも目配りしなければならないので大変だ。(作家、筑波大名誉教授)=毎月第3木曜掲載