ソーシャルアクションラボ

2022.09.01

水を治める 先人たちの決意と熱意、技術に学ぶ 連載35回 緒方英樹

羽村取水堰

羽村堰と玉川兄弟

~江戸最大の悩みも水害と水不足だった!~

 世界一のまちを潤す多摩川からの上水計画

 人間が集団で生活するようになった古代から、人々は河川の水害に悩まされてきました。現在と同様に、梅雨には川の水嵩が増し、台風や集中豪雨で洪水が起きていたからです。

 その一方で、水は生きていくうえで必要不可欠な資源でもありました。飲み水はもちろんのこと、田畑へ人工的に水を引く灌漑(かんがい)、つまり農業用水は、現在でも世界全体の年間水需要量の約7割を占めています。

羽村取水堰
現在の羽村取水堰は多摩川河口から上流約54キロメートルに位置し、川をせき止める投渡堰、固定堰、魚類が行き来する魚道及びせき止めた水を取り入れる第1水門から構成されている=筆者撮影

 玉川上水開削工事を請け負ったのが玉川庄右衛門、清右衛門の兄弟だと言われています。多摩川の水を江戸に引く計画に、玉川兄弟が願い出たと伝えられています。元は町人で多摩川近在の百姓などの説もありますが、その素性や生年は定かではありません。

 兄弟は初め、取水口を国立(くにたち)の青柳付近や福生から掘り始めましたが、途中で失敗したとも言われています。当時、武蔵野台地の調査と開削では、高い土地が広がり、火山灰の赤土が水を食ってしまう難所でもあったようです。兄弟の計画は2度失敗して、水を引く工事は困難をきわめました。

 そして3度目、開削工事の総奉行・松平伊豆守信綱の家臣・安松金右衛門(やすまつきんうえもん)の計画をもとに、羽村を取水口に定めたと考えられています。安松は武蔵川越藩士で、後に郡代を務めた野火止用水(伊豆殿堀)の設計者といわれる人物です。

私財を投じた玉川兄弟の熱意、献身、技術とは

江戸時代、玉川兄弟が私財をなげうってまで拓いた玉川上水。多摩川の水を上流でせき止めて拓いた水路の水は現在も使われています。

玉川兄弟像
東京都羽村市の羽村取水堰近くに建つ玉川兄弟像=筆者撮影

 江戸の町に、羽村から四谷大木戸まで水路を掘って水を導く玉川上水計画は壮大なものでした。長さ約43キロメートル。武蔵野台地を掘り進む標高差は約92メートル。当時、世界一の規模とされる水道工事を願い出た玉川兄弟の思惑と技術はどのようなものであったのでしょうか。

 測量は、夜間では束にした線香や提灯の明かりを使って高さを測り、92メートルの標高差を利用して、次第に緩やかな水の流れとなるように計ったようです。工事は多摩川沿いの農民たちも駆りだすほどの人海戦術でした。水路は田畑を耕す鍬で掘り進めました。

 しかし、幕府から渡された工事費7500両は、高井戸あたりに達したときに尽きてしまいます。もはやこの時、玉川兄弟にとって、このビッグプロジェクトによる金銭欲や名声欲などは、江戸市中に水を送る使命感に取って代わっていたのだろうと想像します。自分たちの私財をなげうって工事を完成させました。

 ちなみに、玉川上水奉行には、荒川の西遷事業を推進した関東郡代の伊奈忠治が命ぜられました。荒川の流れを変えて頻発する洪水をなくし、新田開発を促進する工事を指揮したのが伊奈忠治でした。ただし、その年に没したため、忠治の長男・忠克が引き継いでいます。

 玉川兄弟の流した汗の結晶はその後、江戸の屋敷や町屋に設けられた溜枡 (ためます=桧や松、石造りの貯水槽)に浄水となって分けられました。吹き出した水への感動から「吹上御苑」と名づけられたりもしました。分水路が延びて、生活用水、農業用水だけでなく、武蔵野台地の新田が開発され、新しい村落が次々と生まれていったのです。

 そして、江戸は東京となり、淀橋浄水場(新宿)に多摩川の水を送り続け、文字通り、首都のライフラインとしての役割を担いました。

昭和に水路が復活、都民の心を癒す場に

 ところが、東京の人口はさらに増え続けたため、利根川水系からの導水が始まります。1965(昭和40)年、淀橋浄水場が廃止され、玉川上水からの上水使用は東村山浄水場に送水する上流部のみとなってしまいます。これによって中・下流部の多くに蓋がされると、水は枯れ、荒廃してしまったのです。

 そして1986(昭和61)年、貴重な清流と緑を取り戻したいとする市民の願いと地道な活動を受けて、東京都は高度下水処理水を導入することで流れを復活させます。

 埋められた分水路を掘り起こし、護岸工事で補強された上水もあります。現在でも、多くの関係者、市民グループの地道な働きで、蛍が舞い、鯉が泳ぎ、野鳥が生息する上水路は、都会の市民を癒すかけがえのない散歩道となっています。

 玉川上水が織りなす歴史には、太宰治、国木田独歩など文人の関わりも知られますが、玉川兄弟の功労にも思いを馳せたいものです。=毎月第1木曜掲載

緒方英樹(おがた・ひでき) 理工図書取締役、土木学会土木広報センター土木リテラシー促進グループ、土木学会土木史広報小委員会委員長