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2022.12.15

水害と地名の深~い関係 「川内」は洪水常襲地の暗号! ~仙台とは別のもう一つの「せんだい市」~連載36回 谷川彰英(作家、筑波大名誉教授) 

2006年7月の川内川の洪水で浸水したさつま町宮之城市街地=国土交通省九州地方整備局川内川河川事務所提供

 かつて日本には二つの「せんだい市」があった。一つは言うまでもなく宮城県の仙台市で、普通「せんだい」と言えばこの仙台をイメージする。「仙台」は伊達政宗の命名によるもので、古代中国の首都・長安の西にある仙人が住んでいたという山のことを指した。これは政宗の目指した理想郷を示唆している。

 もう一つの「せんだい市」は、鹿児島県にあった川内市である。川内市は平成の大合併によって近隣の町村と統合されて「薩摩川内市」となったが、それまではこの狭い日本に「せんだい市」が二つもあったのだ。

 同じ音(おん)なのでニュースを聞いていても混乱することもあったし、そもそも東日本在住の人の多くは仙台市以外に川内市という都市が存在したことさえ記憶にないに違いない。まず「川内」が読めない。普通はどう読んでも「かわうち」か「かわち」、百歩譲って「こうち」だろう。「せんだい」とはとても読めない。

各地に存在する「川内」「河内」が示すもの

 「川内」は文字通り、「川の内」で典型的な水害地名である。同類の地名で代表的なものに大阪の「河内」がある。河内国は令制国の一つで、現在の枚方市、寝屋川市から東大阪市、藤井寺市などにかけての一帯だが、このエリアはその前は、現在の大阪湾に続く深い入り江だった。

 この地はその昔、神武天皇東征の際、草香山に上陸しようとして地元の長髄彦(ながすねひこ)に敗れたことで知られる。私が『大阪「駅名」の謎』(祥伝社黄金文庫・2009年)を書いた時、草香山の中腹から河内一帯を眺めたのだが、それは見事な一大低地だった。北は淀川で阻まれ、東から南にかけては入り江に注ぎ込む河川に囲まれた「河の内」、それが「河内」である。

 規模は小さいが同類の地名は全国各地にある。本連載10回目に書いた「高知」は、関ケ原で戦功を立てた山内一豊が、現在の鏡川と江ノ口川の間に城下を築き「河中」(こうち)と名付けたことに始まるが、その後、洪水を防ぐために縁起を担いで「高知」に変えて今日に至っている。

 また、茨城県には利根川に沿って「河内町」(かわちまち)という町もある。ここは利根川と新利根川に挟まれた低地で、江戸時代以前に干拓されてできた土地である。本連載16回目に取り上げた「川中島」(長野市)も同類の地名で、千曲川と犀川(さいがわ)の合流地点に位置し、低地が広がっている。

薩摩川内市街地を流れる一級河川の川内川=国土交通省九州地方整備局川内川河川事務所提供

鹿児島の「川内」、その成り立ち

 川内市の前身である薩摩郡川内町(せんだいちょう)は1929(昭和4)年に、隈之城村、平佐村、東水引村が合併して誕生した。市制が施行されたのは1940(昭和15)年で、県下では鹿児島市に次ぐ市としてスタートした。2004(平成16)年には近隣の東郷町、樋脇町、入来町、祁答院町(けどういんちょう)のほか4村が統合されて薩摩川内市となった。

 「川内」地名の由来に関しては諸説あるものの、川内川および、それによって形成された沖積平野の川内平野にあることは間違いない。川内川は熊本県南部から宮崎県を経由して鹿児島県北西部を流れ、東シナ海に注ぐ一級河川で、九州では筑後川に次ぐ第2の規模を誇っている。河川名の由来は、下流部の「川内」という地名によっている。

もともとこの地は薩摩国の国府と国分寺が置かれた地であった。「川内」は古くは「千臺」「千台」「川内」などと書かれていたが、正式に川内(せんだい)という名称を定着させたのは1720年時の薩摩藩主・島津吉貴の命名によるものだった。この時の「川内」の意味は川内川と高城川の内側ということだった。

1500年代から200回を超える洪水の記録

 川内川の洪水についての最も古い記録は、何と奈良時代の746年10月の洪水で、洪水記録が整理され始めた1500年代から現在に至るまで約200回を超える記録があり、平均2年に1回程度で洪水が発生してきたとされる。

 近年では1972(昭和47)年7月に中流の宮之城町で115戸の流失被害を受け、さらに1989(平成元)年7月洪水では、全流域で床上浸水171戸、床下浸水702戸の被害を及ぼしている。

 2006(平成18)年7月洪水においては全水位観測所15カ所中11カ所で観測史上最高水位を記録し、流域の薩摩川内市、伊佐市、湧水町、えびの町の2市2町の約5万人に避難勧告が出され、浸水面積2777ヘクタール、浸水家屋2347戸に及ぶ被害に至った。

2006年7月の川内川の洪水で浸水したさつま町宮之城市街地=国土交通省九州地方整備局川内川河川事務所提供
2006年7月の川内川の洪水で浸水したさつま町宮之城市街地=国土交通省九州地方整備局川内川河川事務所提供

川内を囲うように位置する「湧水」と「出水」

 川内川流域に湧水町(ゆうすいちょう)という町がある。川内川の洪水の被害を受けてきた町だが、「湧水」という町名の由来は川内川とは直接的な関係はなく、地域にある竹中池や丸池から湧き出る水に由来するという。

 また、薩摩川内市の北隣には出水市(いずみし)という、これまた水にちなんだ地名による市がある。もともとの郡名が出水郡で、1889(明治22)年の市制町村制によって上出水村、中出水村、野田村、高尾野村、下出水村が成立したところから始まっている。

 「川内」を囲うように「湧水」や「出水」が配置されているなどちょっと考えられない話で、これは地名の戯れと言うしかない。

谷川彰英(たにかわ・あきひで) 作家、筑波大名誉教授