ソーシャルアクションラボ

2023.05.10

ただ遊ぶ。そのなかで育つこと

リスクのない遊び場は楽しくない――。東京都国分寺市で20年間、子どもたちが無料で、自由に遊べる場を育ててきたNPO代表、武藤陽子さんは言った。ついつい先回りをして子どもを危険から遠ざけることが習い性のようになっていた私はどきっとした。新型コロナウイルスの感染拡大を受けてわが家の子どもたちの遊びは近ごろ内向きだ。「遊ぶ」ってそもそもどんな体験だっただろう。武藤さんに話しを聞きに出かけた。(聞き手・構成:平林由梨)

黄色い電車がフェンス越しをゆっくりと通過していく。西武国分寺線・恋ヶ窪駅のすぐ近くにNPO「冒険遊び場の会」(代表:武藤陽子さん)が運営する国分寺市プレイステーション(同市東戸倉2)がある。平日の夕方、そこを訪ねると、小学校から帰ってきた子どもたちの元気な声が響いていた。

――3㍍はある木製の滑り台に竹のピラミッド。廃材で作った小屋と、既製品ではない遊具の数々、ワイルドですね。

武藤さん これ全部、子どもたちと一緒に作ったんですよ。滑り台にはあえて階段がついていなくて、よじのぼって上がります。気をつけてくださいね、子どもたちが掘った落とし穴もありますから。

(子どもたちが掘った穴があちらこちらに……)

――武藤さんはどうしてこの遊び場を作る活動を始めたのですか。

武藤さん 子どもが集まってめいっぱい走ったり、遊んだりできる場所がそのうちなくなるんじゃないかという危機感があったからです。わたしが国分寺で子育てをしていたのは30年前ですが、その頃、子どもを連れて公園に行っても他に遊んでいる人がほとんどいなかった。元々、保育士でしたが、出産を機にやめました。友だちに「公園に集まってみんなで遊ぼうよ」と声をかけ、それが自主保育サークルにつながりました。ここはその延長です。ただ遊ぶ。そのなかで育つことがたくさんあると思っています。

遊びは、受け身では面白くない

――例えばどんなことですか。

武藤さん 遊ぶって、実は難しいことなんですよ。自分でどうすれば楽しくなるのか考えて動かなくては始まらない。受け身でいてはいっこうに面白くならないのが遊びです。

――私は、動画投稿サイトやテレビに「楽しませてもらう」という態度がかなり染みついていたりしますけど、いかに能動的にかかわるかという点でそれとは正反対ですね。

武藤さん 遊びによって、「自分の力で生きていく」という根っこが育つと思っています。最近、小学生から「休み時間がつらい」ということを聞きます。勉強の時間は、座っていれば過ぎていくけれど、休み時間は自分から動かなくてはならず、何をしてよいか分からなくてつらい、と。「子どもの仕事は遊ぶこと」と言っていいほど、生きることと遊びは密接に関係しています。

――このプレイステーションでも何をしたらよいか分からず、遊べない子どもはいませんか?

武藤さん いますよ。何とか自分で楽しみを見つけてほしいと思いますけど、そういうときはプレイリーダーがフォローします。ここの特徴は、7人のプレイリーダーが常駐している点です。年2回の講習を受けた20~50代の男女で、時給を支払って来てもらっています。遊びの引き出しをたくさん身につけてもらって、子どもと一緒に楽しんでもらうんです。

「管理者にはならない」プレーリーダー

――紺色のビブスを付けた方たちですね。

武藤さん そうです。「管理者にはならないでね」と伝えています。楽しく遊んでいるのに、腕組みでもして監視されたらしらけちゃうでしょ。安全確保のための研修は徹底的にしますけど、リスクとハザードはしっかりと分けて考えるようにしています。取り返しのつかないハザードは絶対に起こさない。でも、遊びの中で生じる小さなけがといったリスクはある程度取っていいと考えています。

――私には子どもが2人いますが、あらゆる危険はあらかじめ回避したいと思ってしまします。リスクを残した遊び場は親としては少し心配です。

武藤さん でも、リスクのない遊び場なんてつまらないですよ。それでは子どもにドキドキやワクワクは生まれない。それに、世の中には危ないことなんてたくさんある。それを自分で気がつけるようになってほしい。

「走り回れる場所が欲しい」

――国分寺市もこのプレイステーションの運営にかかわっているんですか?

武藤さん ここは元々、国分寺市が違法駐輪の自転車を置いていた公有地でした。市の指定管理者としてわたしたちNPOが運営を任されて20年を越えました。ここに引っ越してきたのは数年前です。それまでは別の私有地を借りて活動していました。

ここへ引っ越すにあたって、市民を集め、何度もワークショップを開きました。小学生の子供たちにも入ってもらいました。そうすると「走り回れる場所がほしい」「山がほしい」「基地が作りたい」と次々と子どもから意見が出たんです。それをなるべく反映させる形でこの場所を完成させました。行政も巻き込みながら、市の担当者にも楽しんで関わってほしいと思いながらやっています。真ん中にあるこの小高い山は市役所の担当課長さんが「もっと高くしましょうよ」と言ってくれて、こんなに立派になりました。

いつか、食事も作って、一緒に食べたい

――屋内施設も充実していますね。

武藤さん 緊急事態宣言が出ているうちは屋内施設は閉館です。もともと台所にしようと思っていた部屋もありますが結局、コロナの感染拡大が落ち着かないので、使っていません。いつか、みんなが食材を持ち寄って、ここで食事を作って一緒に食べたいんです。ここには不登校の子どもたちも朝から来るのですが、お弁当を持ってこられない子もいる。だからみんなで食材を持ち寄って、作って食べたい。

――マンガの蔵書も充実していますね。

武藤さん そう。マンガがあると一人でも来られるでしょ。よくここの床に伸びきってマンガを読んでいる子どもがいますよ。

2階には乳幼児と保護者が過ごす部屋を作りました。授乳室や、相談室もあります。子どもを家庭だけで育てるのはやっぱりつらいですよ。私もそうでした。地域で育てるんだということを大事にし、伝えたかった。閉館中は「あのお母さんやお父さんはどうしているだろう、困っていないかな」と、次々と顔が浮かびます。外の遊び場も閉じたらこれまた困る子どもの顔が次々と浮かぶので、入場できる人数を制限してでも、開所を続けています。

――武藤さんが子育てしていた時代はどんな風でしたか?

武藤さん 娘と息子は共に30代になりました。当時は、「子どもなんていうのは放っておけばいいんだよ」と言われることがたびたびでした。でも、今の時代に子どもが安心して遊べる場を確保するのは大人の責任だと思っています。身近な自然が少なくなってきたのも、わたしたち大人が作ってきた無制限な消費社会が招いたことだともいえるでしょう。

「誰にでも開かれた場所」を守りたい

――全国に「冒険遊び場」のような場所は増えていますね。20年間、この活動を続けてきた武藤さんの原動力について最後に聞かせてください。

武藤さん 下を向いてここに来た子どもが、遊びを通して表情がどんどんと変わっていく。それを見ていると、本当にいいなって思います。それから、いま各家庭の貧富の差が顕著になっています。遊びを含むさまざまな体験にも対価が求められる時代になりつつある。ここはすべて無料なので、誰でも、いつでも来ることができます。そんな、誰にでも開かれた場所は守り続けたいな、と。そう思って活動を続けています。

国分寺市プレイステーション国分寺市東戸倉2の28の4。電話042-323-8550。西武国分寺線恋ヶ窪駅徒歩8分。子どもなら、誰でも利用できる、無料の遊び場。

【取材した人】平林由梨。毎日新聞東京本社の学芸部で取材、記事の執筆をしています。
夕刊連載小説「水車小屋のネネ」を担当しました。書き手は、芥川賞作家の津村記久子さん。物語の主人公は、小学3年生の律と、その姉で18歳の理佐。冷淡な親から逃げて山あいの町にたどり着き、見ず知らずの隣人らに見守られながら大人になっていく――。そんな2人の歳月を描いています。

食卓に出来合いのお惣菜を並べることに既に後ろめたさは感じませんが、それに伴うプラスチックゴミの増加は何とかしたいと思案中。長野県で育ちました。2人の子どもがいます。