2023.05.15
金髪、ピアス、ネイルも… 「校則ゼロ」の学校が問いかけるもの
必要性や根拠に乏しい、いわゆる「ブラック校則」。近年は全国的に見直しが進んでいるものの、今も管理主義的な校則の存在や、抑圧的な学校の対応は伝わってくる。子どもたちへの「縛り」はどこまで必要なのか。そもそも必要なのか。「校則ゼロ」の教育現場から考えてみると――。【金志尚】
自主・自治・自律
新学期が始まったばかりの4月中旬、東京都小金井市にある中央大付属高校を訪ねると、カジュアルな服装の生徒たちが授業を受けていた。茶や金など髪の色もさまざま。ピアスをつけたり、ネイルを施したりしている人もいる。まるで大学のキャンパスのような雰囲気だ。
同校は校則のない学校として知られ、服装や髪形は自由。メークやアクセサリー着用も認められている。思い思いの格好を楽しむ生徒たちの姿は、一般的な高校生のイメージとはかなりギャップがある。
「高校2、3年にもなれば大学1、2年とそう差があるわけではありません。私としては違和感ありませんね」
こう話すのは、中央大法学部教授の肩書も持つ石田雄一校長だ。同校の校長は代々、法学部の教授が兼任する形を取っており、欧州文学が専門の石田校長も2年前に赴任。二つの立場を踏まえての実感だという。
同校は「自主・自治・自律」を教育理念に掲げ、生徒が自ら判断することを大切にしている。それは身だしなみも同じ。周りの大人があれこれ口出しすれば、「考える機会を奪ってしまいかねない」と石田校長は言う。
「大人になればどんな服装をすれば自分にとって有利なのか、TPOが問われます。その場に合わせた服装をするのか、あるいは自分が表現したいことを貫くのか、いろいろな判断があり得ます。そういうのはもう高校生の段階から学ぶべきだと思います」
結果的に判断が誤っていたとしても、その経験自体がプラスになる、とも。「例えばの話ですが」と続けた。
「ガールフレンドができて彼女の両親に初めて会う時に髪を染めて行ったとします。相手が厳格な家庭の場合、『あんな子と付き合うのはやめなさい』と彼女が両親から言われるかもしれない。そうなると、髪を染めたことは結果として失敗ですよね。でも、そういう失敗は経験した方がいいんじゃないかな、と私は思います」
生徒が勝ち取った「自由」
もっとも、同校も最初から今のように自由な校風だったわけではない。男子高だった時代には、「生徒心得」という名の厳格な校則を定めていた。詰め襟以外の着用を認めなかったり、登下校時に教職員を見かけたら敬礼するよう求めたりするなど、いかにも生徒を管理・統制する性格のものだったようだ。
だが、大学紛争のうねりが高校にも押し寄せていた1970年。当時の生徒たちが規制の強い内容に反発し、撤廃を求めて声を上げた。一部は校内にバリケードを築くなど、かなり過激な手段にも出たらしい。こうした生徒側の訴えを学校も正面から受け止め、生徒心得の廃止を決めたという。
「学校側が自由を与えたというよりも、歴史的に言えば生徒が闘って、(自由を)勝ち取ったと私は認識しています。その伝統が今に引き継がれているわけです」と石田校長。2001年に男女共学へ移行してから“自己主張”の強い生徒はさらに増えたが、尊重して受け入れているのは前述の通りだ。
校則がないことについて、現在の生徒たちはどう考えているのか。
「そもそも髪を黒にしないといけない必然性が分かりません」と言うのは、3年の石毛さらさん(17)だ。自身も金髪でピアスをつけているが、学業などに支障があるとは思っていない。「高校までいくら校則で厳しくされても、大学生になったら全部自由じゃないですか? そう考えたら、高校生のうちから自分で身だしなみを決められるのは良いことだと思います」
他にも、「社会に出たら一人一人個性がないとやっていけない。ここでは個性が磨かれるのが良い」(3年男子)、「自由が私たちを開放的にしてくれる」(3年女子)といった声が聞かれた。
制約がないのは服装や髪形だけではない。授業中のスマートフォン使用も、この学校ではOK。「必要に応じて」という条件はあるものの、疑問に思ったことがあれば基本的には自分のスマホで調べることができる。ここでも重視されるのはやはり、生徒の主体性なのだ。
「全ての子ども」を幸せに
ただ、こうした学校はまだまだ少数派だ。
校則を巡っては、17年に大阪府立高校の女子生徒が「生まれつき茶色の髪を黒く染めるよう強要された」として提訴。これが大きく報じられたのを機に、「ブラック校則」の見直しを求める声が高まった。
一方で教師側の権限が強く、抜本的な見直しには至っていないとの指摘も出ている。実際、管理主義的な校則や、それに基づく指導は依然としてある。
兵庫県姫路市の県立高校は今年2月の卒業式で、髪を編み込んでいた3年の男子生徒を卒業生用の席に座らせず、他の生徒がいない場所に隔離していた。当該生徒の髪形が「高校生らしい清潔なもの」と定めた校則に反したからだという。
教育事情は地域や学校によって異なる。「脱管理」教育は、一部の特別な学校でしか実現できないものなのだろうか。
「子どもは幸せだと感じられる環境の中にいれば、自分で勉強するし、自分でいろんなことを知ろうとするし、自分でどう生きるべきか分かっていきます」
そう話すのは、元東京都世田谷区立桜丘中学校長の西郷孝彦さん(68)だ。
西郷さんは20年に退職するまでの10年間、桜丘中の校長を務め、さまざまな学校改革を推進したことで知られる。校則を廃止し、服装や髪形も自由に。教室に入りづらい生徒のためにテーブルと椅子を廊下に並べ、手の空いている教員が勉強を教える仕組みも導入。校長室を開放し、クラスになじめない子どもとは自ら率先してコミュニケーションを取った。驚くべきことに、登校時間すら自由にしたという。
「僕が考えていたのは、どうやったら全ての子どもが3年間楽しく過ごせるか。教員の中には『子どもは管理するもの』という固定概念がありますが、上から目線で生徒を威圧するのはやめようと言い続けました」
公立の中学にはさまざまな生徒が集まる。こだわりが強かったり、朝起きられなかったり、制服を着られなかったり……。学習障害や発達障害を抱えた子どももいる。こうした生徒たちに対し、「学校はこうだから」と枠にはめようとするのではなく、彼らにとっても学校を居心地の良い場所にしようとしたのだ。
その結果、どうなったのか。自発的に勉強しようとする生徒が増え、実際に学力も上向いた。難関高校に合格した生徒もいる。半面、いじめや不登校はなくなった。
「子どもは幸せな環境の中にいれば……」と西郷さんが考えるようになったゆえんだ。
常識にとらわれない
日本財団による世界6カ国の17~19歳を対象にした調査(22年)によると、「自分の行動で国や社会を変えられると思う」割合で日本は最下位の26・9%だった。他国はインドの78・9%を筆頭に、韓国61・5%、米国58・5%など、軒並み5割を超えていた。同じ調査では「自分は大人だと思う」割合も日本は他国より大幅に低い27・3%にとどまった。
こうした若者の「無力感」を招いている一因に、画一的で選択肢の乏しい学校のあり方もあるのではないか。そんな思いから西郷さんは校長時代、生徒たちから「もっと楽しく学校生活を送るためのアイデア」を募り、出てきたものは可能な限り実行に移すようにしていたという。
「今の若い人って、何を言っても無駄だって思っている。政治にも社会にも諦めているところがある。でも受け入れちゃうんじゃなくて、自分が意見を言ったら世の中を変えられる。不満や不平等があったら自分たちが主権者として変えられるんだっていう成功体験を積んでほしかったのです」
そういえば、中央大付属高校の石田校長も生徒に望むことについて、こう語っていた。
「これから世の中はどんどん変わっていきます。今は昨日の常識が今日の常識ではなくなってしまうような時代。常識にとらわれない自由な発想で、新しい未来を切り開いてほしい」
いつだって時代を動かすのは若者だ。であればこそ、彼らを後押しする学校であってほしい。
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