ソーシャルアクションラボ

2023.05.17

親は教室で付き添いをするべきか|せんさいなぼくは、小学生になれないの?③

③2日目(2022年4月12日)

朝7時50分。 登校班の待ち合わせ場所に向かう友達の声が聞こえはじめると、 むすこは母に連れられ、さっさと家を出て行った。

ぼくも家を出ようとすると、次男がシャボン玉液を靴にこぼしている。あー、あとで洗う、あとでと思いながら、あたふた。

「次男は、今日も妻が送るはずだったよなあ」と思いながら、次男の手を引き、サンダルをつっかけて二人を追いかける。

集合場所の駐車場に着くと、ちょうど登校班の列が出かけるところだった。やはりむすこは母の手を離せないでいるようなので、またそこで交代して一緒に登校することに。

2日目は、むすこの足取りが軽い。

6年生の子が、道すがら1年生に話しかけている。

「身長何センチ?」 「130センチかな、わからん」 「おれ1年生のとき122センチだったから、きみのほうが大きいなぁ」

その6年生は面倒見がよく、何度もむすこと遊んでくれたことがある。だが、何を聞かれてもむすこはむごん。父親がいるから話さないのではないかという気もしてくる。

学校の玄関まではとてもスムーズに着き、靴は自分で履く。

「今日は、昨日より早く学校を出られそう」

と楽観的になっていく。

教室に入ると、いちばん前の席に着く。前日に聞いたルーティンに従って、ランドセルを机の上に置き、手を洗い、ランドセルの中身を机のなかに入れる。ランドセルを横にある棚に置く。

ひとまずそこまでは全部一緒にやるが、昨日よりずっとスムーズ。

ただ、昨日、父が急にいなくなったことを気にかけ、ずっと手をつないでいるか、体が触れた状態でいる。ホームルームがはじまると、先生は「お名前を呼ばれたら、手をまっすぐ上にあげて、はい、元気ですと言いましょう」と言う。

出席取りがはじまる。みんな元気に返事をする。 「○○さん」 「はい、元気です!」 「○○さん」 「はい、元気です!」 「○○さん」 「はい!」

「はい」とだけ返事する子には、「元気だよね?」と先生が声をかける。

「すえざわさん」と呼ばれても、もちろんむすこは今日もむごん。せめて手をあげさせる。先生は特にとがめることもなく、「元気だね」と言って、すぐに次の子に声をかける。うちのむすこは、緊張がひといちばい強いのだが、一方で元気なことくらい見ればわかるでしょ、と思っている節もある。

一通り終わると、先生が言う。

「学校で大人を見かけたり、登校のときに立っている先生がいたら、あいさつしましょうね。今日は、末沢さんのお父さんもいます。あいさつしましょう」

先生から促され、子どもたちが元気な声で「おはようございます」と言う。このおじさんは、なんで教室にいるんだろうと見ている子もいるだろうから、あえてふれてくれたのだろう。

ぼくは、「おはようございます」とその場で立ってあいさつする。見たか、むすこよ、これがあいさつだ! と心のなかで言うが、もちろんむすこの心には響かない。

年配の校長先生と、若い栄養士の先生が通りすがる。先生が「あいさつしましょう」と言って、クラス全員で二人にあいさつする。

「どっちが校長先生?」 と子どもから声があがり、くすくす笑いがひろがる。何人かの子が右側にいる校長先生を指差し、「あっちだよー」

「今日は、国語の授業です。ノートを集めるので、出してください」と先生が言う。

自分のころのことは覚えていないが、

2日目からもう授業をはじめるのか、

と少し驚く。

子どもは、いつの時代も変わらない。

先生がノートの回収をはじめると、「あ、カバンのなか!」と言って、教室脇の棚まで取りに行く子がいたり、急に立ち上がって、「◯◯さん、どこいくの?」と先生に聞かれても、何も言わずにトイレに駆け込む子がいたりと、なかなかにカオスだ。ランドセルを先生の机の上に置いて、自分の机にしまってもらおうとする強者もいる。

そんなこんなで、準備はゆっくり進む。むすこはずっと、ぼくと手をつないでいる。「うしろで見てるよ」、と手を振り払い少しずつ離れてみたりもしたが、しばらくすると、ぼくがいるうしろに来てしまう。

「時計の針が6(8時30分)で帰るよ」と、ぼくは言う。

だが、むすこがぼくと離れられないまま8時半を過ぎる。今日は早めに出られるかなと思っていたのもあり、だんだんイライラしてくる。

むすこの席の隣りにいると、手か足が常に自分にふれた状態になっていて、帰らせまいとしている。

「7(8時35分)で帰るよ」、と時計の針を指差す。でも、離れようとすると、むすこは「自分も帰りたい」と言う。そうこうしているうちに、チャイムが鳴り、授業がはじまる。国語の教科書を開く。遠足に行く子どもたちの風景がある。それを教室のスクリーンに映し出し、「何が見えるかな?」という問いかけが先生からある。

「電柱(実際は灯台だけど)!」 「気球!」 「ねずみ!」

元気に手をあげる子どもたち。一人ずつ指名され、スクリーンに映し出された風景を棒で指して、答えていく。

むすこも教科書を目で追っているが、父が帰らないか気になり過ぎている。教科書を見ては、こちらをチラチラと気にして見る。授業に集中できていない。

一緒に教科書を見て補助してやってもいいのかもしれない。だが、安心はするだろうけど、先生の授業に集中できなくなるかもしれない。自分がいることで、ほかの子も話しかけにくくなるだろうし、集中もできないのだろうと、自分がいることのマイナス面が気になってくる。

安心すれば、子どもは親から離れることを、後に不登校支援の専門家の本などで知った。また、この時点では親の付き添いは「恥ずかしいこと」と思い込んでいた。だが、学校現場は人手不足で、親が補助的に子に付き添うことはむしろ担任に歓迎されていた。

授業はどんどん進んでいく。

これはいかんなー、と思い、「12(9時)で出るよ、もう仕事だから」と厳しい口調で言う。だいぶいやがっていたが、9時5分ごろに、むすこが作業をしているすきをついて席から離れてみる。

追いかけてこないか、しばらく見守る。

追いかけてはこないので、教室を退散。

ううむ、むずかしい。

学校に通いはじめの入り口なので、学校自体を嫌いになると、ややこしかろうと思う。時間の許す限り本人が納得するまで一緒にいてもっと安心させてやったほうがいいのか。お父さん、お母さん、もういいよ、と自分から言い出すのかもしれない。

あるいは、えいやと放りだしてしまったほうがいいのか。

幼稚園でも行きしぶりはたまにあったが、そのときは先生が抱きかかえてくれて、教室のなかに入ってさえしまえば楽しくやっていた。この「入り口」のつくり方が難しいし、わからない。

どうなんだろう。悩まし過ぎる。んもんとした思いを抱え、うつむきながら戻ってきてしまった。

我が家の家族構成: むすこの父である筆者は執筆開始時、40歳。本づくりや取材執筆活動を行っている。取材や打ち合わせがなければ自宅で働き、料理以外の家事を主に担当。妻も40歳。教育関係者。基本的には9時~17時に近い働き方をしていて、職場に出勤することが多い。小1のむすこのほかに、保育園に通うむすこもいる。

【書き手】末沢寧史。異文化理解を主なテーマとする、ノンフィクションライター、絵本作家。出版社勤務を経て独立。絵本作品に『海峡のまちのハリル』(小林豊・絵、三輪舎)。出版社どく社を仲間と実験中。妻は教育関係者。本連載では、むすこの小学校入学直後に直面した行きしぶりと不登校をきっかけに、子どもという「異文化」について記します。