ソーシャルアクションラボ

2023.06.09

「うちの子だけだ」。ぼくから離れないむすこと、校庭で焦る父。|せんさいなぼくは、小学生になれないの?⑩

⑩8日目(2022年4月20日)

今日は朝、家を出発するときから、「教室までついて来てほしい」とむすこは言う。むすこの気持ちをくみ、父親のぼくは、今日もむすこの登校に同行した。

昆虫の話とか、ほのぼのとした会話を子どもたちはしながら、通学路を進む。むすこの隣りにいた子が「昨日、◯◯くん、帰りなんで泣いてたの?」と聞く。

*****

むすこは昨日、学校が終わるころ、学童に行きたくなくて、教室で大泣きしていたのだ。学童の先生から昼過ぎに電話もあり、学童に行かずに家に帰る、帰らないの攻防があった。ぼくは仕事の打ち合わせがあることを伝え、なんとかむすこを学童で預かってもらった。そして、妻が少し早めに迎えにいくことになった。

いつもの通り、むすこはその子の質問には答えず、自分も「なんでだろうね」と適当に話を流す。横でそのやりとりを聞きながら、前日の話を蒸し返すことで、行きたくない気持ちが高まってしまわないか、とぼくは危惧した。

細い道を抜け、雑木林の谷を降り、坂道を登る。この勾配のきつい坂を登るのはなかなかたいへんで息があがる。子どもたちが重たいランドセルをゆらす音がきゅっきゅっと聞こえる。

校舎に到着し、玄関で靴を履き替える。やはり「教室で別れるのがいい」というので、近所の子たちと一緒に教室へ向かう。

教室に着く。「じゃあ、ここでバイバイね」と言うが、手を離さない。

むすこの席の近くに、担任の先生がいた。 

「今日、お父さんは何時に帰っていいと約束する?」と先生にうながされる。

「△△くんのお母さんも時計の長い針が6(8時半)で帰るよ」

昨日、お母さんと一緒に登校していた子も、お母さんが教室に付き添っていた。昨日もそうだったのかもしれない。お母さんは後ろの席に座っている。なんとなく、うちの子が影響してしまっている気がして、申し訳なくなってくる。

先生に「準備が終わったらにする? 6にする?」と聞かれ、むすこはしばしむごん。

「準備が終わったらさよならする」と少し経ってから言う。そう約束したことを伝えると、「わかったよ」と先生は言う。

昨日、学童で一緒に遊んだという近くの席の子が、唐突に下敷きで静電気を起こして、髪をさかだて、笑いをとろうとする。少しだけ場がなごむ。

ところが、朝の準備が終わり、時計の長い針が6を過ぎても、むすこはぼくの手を離さず、約束の時間がどんどん延びていく。まずいなあ、と思いはじめる。10時半に仕事の打ち合わせも控えている。ずっと付き添っているわけにもいかない。

1時間目が体育だったので、運動場に移動することになる。そこで運動場で別れる約束をする。

ところが、今日はむすこの様子がいつもと少し違う。運動場に着いても、約束を守らず離れない。

何度も手を振り払おうとするが、ついてきてしまう……。親が付き添っている別の男の子も同じような状態になっていた。その男の子は、どこかのタイミングでお母さんと一緒に姿が見えなくなった。

子どもたちは、先生の指示で運動場の脇にある登り棒に向かって走り、ネットを登り、滑り台を滑る。

むすこは、校舎玄関近くにいるぼくの元からまったく離れずにいる。

次は「運動場の端にあるタイヤをさわって戻ってこよう」という指示があったが、むすこは動き出そうとしないので、ぼくが走ってみる。

追いかけてはくるが、まったく楽しそうではないし、走ろうともしない。

困ったなあ。

「もう帰らないと。仕事がある。人を待たせることになるんだ」と言い聞かせても聞く耳は持たない。「帰りたい」と言い続ける。

時間だけがいたずらに過ぎていく。

「(学校の後に行く)学童がいやだ」と繰り返し言うので、「じゃあ、学童はキャンセルにするから、がんばろうか」と譲歩してみるが、手を離そうとしない。

えんえんと、離そうとして、離れないの攻防が続く。授業は、鉄棒へと進む。幼稚園で先取りして鉄棒を習ったと思わしき子どもたちが、自信たっぷりに、前回りをしたり、ぶらさがったりして得意気に遊んでいる。

むすこは、鉄棒に近づこうとする気配もない。鉄棒のところまで連れていくが、ふれもしない。

途中、何度も友だちが「一緒に行こう」「学童でも遊ぼうね」などと誘ってくれるが、むすこはとりあわない。

注:HSC(ひといちばい敏感な子ども)は、新しいことを始める前に観察する時間が必要であることを知らなかった。

仕事の打ち合わせまで、まだ時間は少しある。しかし、この攻防がこれからも毎日ずっと続いたらどうしようと、暗い気持ちになっていく。

わたしは自営で時間の都合がつけやすいこともあり、むすこの引き延ばし作戦にはまってしまっているような気がする。叱ろうが、振り払おうが、どうもこうもついてきてしまい、学校を抜け出せない。

いつのまにか、泣いていたもう1人の男の子もお母さんなしで合流している。

うちの子だけだ。

気持ちに余裕がなくなっていく。むすこを置いたまま走って逃げようともしてみたが、校門近くまでついてきて、「帰りたい」と言って泣く。

もうこれはだめなのか……。

ぼくはあきらめて、「じゃあ、もう、今日は帰ろう。慌てて家を出てケータイを忘れたから、ケータイを取りに戻る。それで用事だけ済ませて、また二人で学校に来よう」と妥協に妥協を重ねる。

「学童は?」と聞くので、「もう今日はいい」とぼくは言う。

一斉授業という性質上、担任の先生も個別の子どもに向き合いきれない。授業は進んで行く一方、膠着した状態でぼくとむすこは孤立していき、どうしたらいいやら悶着を続ける。

そのうち授業が終わり、みんな靴を履き替えて教室に戻っていく。じっとしていられない子が一人見当たらなくなって、「どこに行ったの?」と先生たちが探す一幕もあった。

むすこは動こうとせず、辺りには誰もいなくなった。全員教室に戻ったようだ。「先生を探しに行くぞ」とむすこに靴を履かせようとしていたら、先生が、教室のほうから玄関入り口のところに戻ってきた。「いちど家に連れ帰って用事だけ済ませて、また戻ってこようと思うんですが……」と伝えると、先生は言った。

「うーん、お父さん、昨日も学童に行くときは泣いてましたが、離れてしまえば、切り替えられたようです。わたしも途中で離れたんですが、学童にも行けましたし、ここでさよならしましょう」

そして、むすこを後ろから抱きかかえて抑えた。途端にむすこは大声で「いやだー」と泣き叫ぶ。が、もうこれはこのタイミングしかないであろうと、足早にその場を離れる。登校路の門から出ようとすると鍵がかかっていて、見つかったらやばいなあとあたふたしながら、少し離れたところにある通用口から外に出る。ほっとする。というよりは、ひたすら不安になる。

ぼくは明日、明後日と、出張でいないのだが、そのあいだ妻一人でむすこを学校に送っていけるだろうか。妻は一人で下の子も保育園へ送らないといけない。

幼稚園のときは朝、こういう悶着があると、先生がむすこを抱きかかえて教室に連れていってくれていた。小学校でも、そうしてもらえるなら、しばらくそう対応するのがよいのかもしれない。

少なくとも、教室に自分がいることは、いい影響を与えているようには思えない。日に日にその気持ちは募る。どこかでえいやと、行くものは行くのだよ、と心を切り替えさせるタイミングをつくる必要があるのかもしれない。

注:繰り返しになるが、不登校支援の専門家は安心すれば子どもは自然と親元から離れると口をそろえて言う。無理な引き離しの影響は、長く尾を引いている。

このまま息子と一緒に学校へ通い続けるのも無理がある。融通をきかせ過ぎても、また、それが当たり前になってしまい、うまくいかないのかもしれない。むすこの対応で仕事ができていないのだが、「お父さんは、仕事をしてないでしょ」と前日にむすこに勘違いされてもいた。

塩梅がわからないし、難しい。

むすこの心を受け止めようと心に決めたはずが、翌日にはもうその通りはできていない。今週は〝切り替え作戦〟をなんとか実行して「学校は、行くものだよ」と伝えてみよう。

明日が、怖い……。

前日の疲れも登校意欲に影響していそうだ。なにはともあれ今日は早く寝かしつけよう。

 我が家の家族構成: むすこの父である筆者は原稿執筆当時、41歳。本づくりや取材執筆活動を行っている。取材や打ち合わせがなければ自宅で働き、料理以外の家事を主に担当。妻は40歳。教育関係者。基本的には9時~17時に近い働き方をしていて、職場に出勤することが多い。小1のむすこのほかに、保育園に通うむすこもいる。

【書き手】末沢寧史。異文化理解を主なテーマとする、ノンフィクションライター、絵本作家。出版社勤務を経て独立。絵本作品に『海峡のまちのハリル』(小林豊・絵、三輪舎)。出版社どく社を仲間と実験中。妻は教育関係者。本連載では、むすこの小学校入学直後に直面した行きしぶりと不登校をきっかけに、子どもという「異文化」について記します。