ソーシャルアクションラボ

2023.06.30

通い続ければ、小学校に慣れるの?|せんさいなぼくは、小学生になれないの?⑯

⑯14日目 2022年4月27日   

今日(4月27日)も、朝からむすこの行きしぶりがひどい。

なかなか靴下を履こうとせず、妻がなんとか履かせる。むすこは、家を出たくなくて、玄関と居間を仕切る引戸をガタンガタンゆらす。むすこの小学校では、通学は集団登校で行われる。今日もその出発には間に合わず、登校班には先に行ってもらう。この日、むすこ(長男)の送り担当は妻だった。

ぼくは次男を保育園に送りに出かける。慌てて家を出たので、家の鍵を忘れていた。自宅に戻ったが、中に入れない。うわー、まずい。

妻に電話をすると、近くでまだむすこが行きしぶっているというので、通学路を追いかける。

学校との中間地点にある谷へと向かう細い道の入り口のところで、妻とむすこはもみあっている。妻は疲弊した顔で、ランドセルを手に持って、帰ろうとするむすこの手を引いている。

「なんのためにこんなことをしてるんだろうねー、もう帰ってしまおうか」と妻は諦め顔でぼやく。

どうしたものかと思いながらも、学校に慣れるために行くことは続けたほうがいいような気もしていて、2日続けて暴れるむすこを抱きかかえて学校に向かおうとする。

が、じたばたして、なかなか前に進めない。

注:当時は通い続ければ慣れると思い込んでいた。

もう8時半ごろになっていて、1時間目がはじまりそうだった。谷を抜けたところで、自分だけ先に学校に行き、ランドセルを届けることに。今日は10時に仕事の打ち合わせがあるので、少し焦っている。

教室の前で、朝の会を終えた担任の先生と会う。 「どうですか?」と聞かれる。

「いま通学路で、妻がむすこを連れてこようとがんばっています。少し時間がかかりそうなので、先にランドセルだけ持ってきました」

先生は「お父さんやお母さんがいなくなれば、数分で楽しそうにしているんですが」と言う。

ぼくも「学校に行ってしまえば大丈夫な気がするんですけどね。最初の段階の、『行く』ところが……。昨日もむすこを抱きかかえてむりやり学校に来ました。学校に行くことを、嫌がってしまってるんですよね」と応じる。

「そうですか。本人が納得することが一番、とは思うのですが……」と語る先生も、少し不安そうだ。

「これからゴールデンウィークの連休もありますしね。行きたくないと言っているので、いちど休ませてしまってもいいのかもしれませんね」とぼくは「学校を休む」という選択肢に話を向けてみる。

「詳しい知り合いにも相談しているんですが、行かないようにはしないほうがいいんじゃないでしょうか。答えはないですが……。学校側としては、付き添いは歓迎しますので、お父さん、お母さんがいられるようであれば、本人が安心するまで一緒にいていただいて大丈夫です。放課後まで付き添っていただいても。徐々に離れていくのがいいのかもしれません」

そう言われてはじめて、親が学校に付き添うことは、問題ないと知る。

「そうですか、ありがとうございます。あと、今度の家庭訪問で詳しく話そうと思っているんですが、HSC(ひといちばい敏感な子ども)はご存じですか? 自分も知ったばかりなんですけど、うちの子は、どうも性格があてはまる気がしてならないんです」

「あー、HSCですか」

先生は、HSCという言葉は知っているようだったが、むすこにその可能性があるとは思い至っていなかったようだった。

ひとまずは、前日のような形で、学校まで連れてきて、先生が引き離すことをゴールデンウィークまでは続けてみましょうということになる。

「詳しい知り合いにも相談してみますね」と先生は言って、職員室の方へ歩いていった。

注:このとき、先生が言った「詳しい知り合い」が具体的にどういう専門性を持っていたのかは定かではない。保育園や幼稚園の延長線上で考えていたこともあり、本人の意思に反する引き離しに問題が多いことに、当時は気づけなかった。行きしぶりの対応は、「離れる→安心」ではなく、「安心→離れる」がよいとされる。

ランドセルを教室に置き終わる。

仕事に支障はあるが、親が付き添いの覚悟を決めんといかんのだろうなー、と考えながら、校舎玄関を出る。校門に近づくと、柵の向こうにある陸橋の下に、妻がいるのが見えた。むすこは見えないが、橋の上にいるようだ。

ジャンケンで遊びながら、なんとかそこまでは誘い出せたようだが、なかなか息子は橋から降りてこない。「見つからないように、いなくなって」と妻に小声で言われ、ぐるりと迂回して、学校の通用門から逃げるように出る。

むすこと妻がいる陸橋は、正門側とは反対側からも登れる。もうむすこはいないだろうと、階段付近に近づくと、階段上にまだ息子がいた。しまった!と思って、急いでその場を離れる(「お父さん、逃げたでしょー」と、あとで言われた)。

登校路とは別の道を急いで家に帰る。だが、ほどなくして、「もう無理、来て」という妻からの悲鳴のような電話があり、自転車で学校に戻る。

学校に戻っても、陸橋の付近に二人の姿は見当たらず、電話も通じない。

そのときには、9時ごろになっていて、息子のクラスの子どもたちがグラウンドで体育の授業をしているのが見えた。遠巻きに「あのなかにいればいいんだが・・・・・・」と思ったが、二人の姿は見えない。「教室にでもいるのかなあ」と思いながら、また家に戻る。

途中で、知らない番号から電話がかかってきた。出てみると、妻だった。「家にむすこといる。ケータイの電池が切れ、近所の人の電話を借りた」と言う。

急いで家に帰る。学校に行かなくてよくなった息子は、安心感に包まれていて、すがすがしさを身にまとっている。「もうわかったよ、お父さんも怒ってないよ」と努めておだやかに声をかける。すると、むすこは「今日は学校に行かないけど、明日は行く」と自ら言う

幼稚園でも何度かあった展開だな、と思った。

「でも、ランドセルが学校だよね。どうする? 給食のときに取りに行こうか」と話をしてみると、「そうする。給食だけ食べて帰る」と言う。妻が一緒に学校に行き、放課後まで付き添うことになった。

給食まで、少し時間がある。妻は職場にいったん出勤し、それまではぼくがむすこと家に一緒にいることになった。

「10時から仕事の人たちがうちに来るから、一人で部屋にいるんだよ。あと、部屋の掃除もしておいて」と言っておいたら、1時間近くはテレビを見ていたが、15分ほど掃除機をちゃんとかけ、そのあとはひとりで筆ペンでひらがなと数字の練習をしたり、コピー用紙で折り紙や工作をしていた。

11時半ごろ、職場から戻ってきた妻と、むすこは学校へ向かった。

14時過ぎに二人は帰ってきた。給食を食べ、授業にも参加したようだ。むすこの表情はすっきりしていて、やはりよくしゃべる。先生も交えて、三者で話し合いの時間が持てたそうだ。

むすこは、親とむりやり引き離されたことで、学校に行きたくなくなってしまったようで、その点については先生も「ごめんね」と謝ってくれて、一人で学校に行けるようになるまでは、何時まで親が一緒にいるかを話し合って決めよう、ということになったという。

そんな話を聞いていると、「お母さんが帰るとき、間違って『お母さん、捨てる』って言うかもしれない」とむすこが言った。親に帰られると泣くかもしれないし、「お母さんなんかいらない」と癇癪を起こして言うかもしれないが、それは本心ではないんだ、とあらかじめ言っておきたかったのかな。

「お父さんは家にいて仕事をしていない。だから自分も家にいてもいいんじゃないか」とも言っていたが、「それはきみが家にいるから仕事ができないだけなんだよ」と言い聞かせる。

つたない言葉ながらも、むすこは自分の気持ちを表現しようとしていた。

むすこに無理強いせず、むすこの気持ちを受け止める――それを親が行為や言葉で具体的に示す、というのがやはり大切なのだろう。

親は仕事ができなくなるし、先が見えなくてつらい気持ちしかなかったのだが、この日の話し合いで少し光明がさしてきた気がした。

結局、むすこの言うことを信じるしかない。妻も、登校に付き添うことで、むすこが何にひっかかっていて、どうしたらよさそうか、少し見えてきたようだった。

その後はむすこの心は安定しているようだった。買い物で、初めて自分のお小遣いで買い物をした。12円のお菓子が、10円玉1枚と1円玉2枚あれば買えることを初めて知り、習いたての数字の意味をかみしめていた。

うちに帰ると、段ボール箱をかき集めて、スポーツカーを作って遊び、宿題も早々に終わらせた。

さて、明日はどうなるでしょうか。

我が家の家族構成: むすこの父である筆者は、本づくりや取材執筆活動を行っている。取材や打ち合わせがなければ自宅で働き、料理以外の家事を主に担当。教育関係者。基本的には9時~17時に近い働き方をしていて、職場に出勤することが多い。小1のむすこのほかに、保育園に通うむすこもいる。

【書き手】末沢寧史。異文化理解を主なテーマとする、ノンフィクションライター、絵本作家。出版社勤務を経て独立。絵本作品に『海峡のまちのハリル』(小林豊・絵、三輪舎)。出版社どく社を仲間と実験中。妻は教育関係者。本連載では、むすこの小学校入学直後に直面した行きしぶりと不登校をきっかけに、子どもという「異文化」について記します。