ソーシャルアクションラボ

2023.07.03

水を治める 先人たちの決意と熱意、技術に学ぶ  天災は忘れたころにやって来る?  防災科学のまなざし・寺田寅彦(てらだとらひこ)の警句 連載46回 緒方英樹

科学する心、科学者のまなざしとは何か

 明治・大正・昭和を生きた物理学者・寺田寅彦は、科学者のまなざしで随筆をしたため、地震や津浪に関する警告の書を多く残した防災科学の先駆者でもありました。

物理学者、随筆家、俳人としても知られる寺田寅彦
物理学者、随筆家、俳人としても知られる寺田寅彦

 「椎茸を食べて前歯がかけた寒月君は、地球の磁気の研究をしているらしい」。夏目漱石の「吾輩は猫である』作中の話です。寺田寅彦はその「寒月君」のモデルと言われています。

 寺田寅彦は、1878(明治11)年、東京に生まれ、少年時代を父の郷里・高知で過ごしています。漱石とは、熊本第五高等学校在学中に出会い、俳句を学び文学に開眼。その縁で正岡子規や高浜虚子と親交を深めた、といった文学や芸術面がよく知られるところですが、寅彦の発信した考え方の根本には、科学者の目が一貫して見受けられます。

 寅彦の五高時代、漱石との出会いの一方で、大きな感化を受けた恩師は、物理学者にしてローマ字推進論者・田丸卓郎でした。田丸によって導かれた科学する心は、東京帝国大学で物理学を専攻させ、独創的な科学者・寺田寅彦が形成していくこととなったようです。そして、46歳の時に関東大震災に遭遇。以後も精力的に震災被害の調査を行っています。

気候変動と異常気象による世界的な影響

 元来、病弱だった寅彦は、58年という短い生涯の間、文学や科学、映画から音楽など、さまざまな分野に対して、科学者の目で鋭い提言や予見を放っています。特に、災害や防災に関して、寺田寅彦随筆集の中でいくつも著しています。

 寅彦が1924(大正13)年5月に書いた「大正大震火災誌』の中に、次のような下りがあります。

 「百年に一回あるかなしの非常の場合に備えるために、特別の大きな施設を平時に用意するという事が、寿命の短い個人や為政者にとって無意味だと云う人があらば、それは実に容易ならぬ問題である」。これは地震に対して述べた雑感にあるのですが、すべての災害に置き換えて考えても大きな現代の問題です。

 2023年6月2日、台風第2号から前線に向かって湿った空気が流れ込み、四国、近畿、東海地方で線状降水帯が発生ました。近畿地方や東海地方の一部での6時間積算雨量は、数年から数十年に一度の「まれな」大雨と言われました。「2022年 地球気候の現状に関するWMO報告書」では、気候変動と異常気象による世界的な影響について強調しています。自然の脅威の前であまりにもろい生活基盤。もはや天災は、忘れても忘れなくても次々とやってきます。

周囲が冠水し孤立した民家=愛知県豊川市で2023年6月3日午前9時53分、本社ヘリから加古信志撮影
周囲が冠水し孤立した民家=愛知県豊川市で2023年6月3日午前9時53分、本社ヘリから加古信志撮影

この災禍はいつまでも続く自然の法則なのか

 しかし、人間の記憶や感覚は、喉元過ぎると移ろいやすいものです。100年、150年といった確率で、忘れたころにやってくる大災害に当事者以外はなかなか実感が伴わないこともあります。ましてや昨今の異常気象は、災害の上塗りで傷を癒すいとまも与えないほど。何がどこに起きても不思議がないほどに予測がつきにくいために、どんなスパンで、どこを見据えて国土を整備すべきかが難しくなってきています。

 400年ほど前、100年先を考えて治水事業を行った戦国武将がいました。加藤清正です。清正は「99年は大丈夫でも100年目に壊れるかもしれない」と言って、城土手の外側、そして内側にもう一つつくった二重石垣は、その2百年後、寛政大洪水の時に発見され、その先見の明に人々は大いに唸ったことでしょう。

 寅彦が浅間山噴火の際にとりあげていた言葉で、最近、コロナ対応などでよく使われるのが「正しくものごとを恐れる」という言い方があります。人間はあるものごとについて怖がり過ぎたり、逆に過小評価して安心したりするので、正しくものごとを判断し、正当にものごとを恐れることは以外に困難である、という意味ですが、そのためにはより正確な情報とリテラシー(適切に判断するための基本的素養)が求められます。

 「天災と国防」(随筆集第五巻)の中で寺田寅彦は、天変地異という「非常時」に対して、「悪い年回りはいつかは回って来るのが自然の鉄則であると覚悟を定めて、良い年回りの間に充分の用意をしておかなければならないことは明白なこと」なのだが、「これほど万人がきれいに忘れがちなこともまれである」と説いています。

 歴史的にもあらゆる天変地異を被ってきた地球の大地。寅彦流に言うならば、人間は災難に養われ、災難を食って生き残ってきました。この災禍はいつまでも続く自然の法則だと観念すれば、私たちが優先すべき事は何かが見えてくるでしょう。そこに寅彦の言う「災難の進化論的意義」があると思われます。

 しかし、万人が忘れている重大なことは、「文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその激烈の度を増すという事実」です。

 寺田寅彦の憂えた予測が、現実の愚挙として繰り返されないためにも、私たち一人一人が「正しくおそれる」ための素養として、自然科学の目を養いたいものです。

緒方英樹(おがた・ひでき)土木学会土木広報センター土木リテラシー促進グループ 土木史委員会副委員長。著書「大地を拓く」(理工図書)で2022年度土木学会出版文化賞を受賞