ソーシャルアクションラボ

2023.07.05

小学校を休んだむすこの、「つまんない」の意味。|せんさいなぼくは、小学生になれないの?⑰

⑰15日目 2022年4月28日

きょうも、結局、朝から行きしぶり。

昨日の約束(「学校に行く」と言っていた)などなかったかのように、朝食をなかなか食べず、着替えもしようとしない。もう登校の時間なのに、パジャマに使っているTシャツを着たままだ。

「学校に行きたくない。学校なんてつまんない!」と、むすこは言う。

学校はまだ始まったばかりで、つまるも、つまらないもないだろうと思う一方で、公立小はうちの子には合わないのではないかという気もしてくる。カリキュラムなしのオルタナティブスクールや、近場のフリースクールなどの民間施設を見学しておいたほうがいいのだろうか。でも、まだ1日欠席しただけだし、このまま不登校になるわけではないだろう——。 1日前の言葉をむすこが翻しただけで、心がかき乱され、不安になる。むすこを着替えさせようと悪戦苦闘している妻の表情もくもっていた。

登校班が出発する時間に間に合わず、学校に遅刻する連絡を入れる

そのとき、むすこは「給食の時間に行く」と言っていたが、どうしても気乗りしないようで、結局学校は休むことになった。

登校に付き添う予定だった妻は、学校に行かせることはあきらめながらも、仕事が思うようにできないモヤモヤが募り、精神的に疲れ果てていた。もちろん、ぼくもだ。どうしたらいいんだろう。夫婦ともに、一喜一憂を繰り返し、疲弊していた。このままだと、親がつぶれかねない。

例えて言うなら、毎日好きな人に告白しては、振られ続けるようなつらさ。親も息抜きしなければ。

学校に行かなかったむすこは、テレビを見たり、お小遣いで何本うまい棒を買えるか計算したり、親のオンライン打ち合わせに登場したりと、家でだらだらと過ごしていた。

午後2時ごろになると、他の子たちが学校から帰ってきた。暇を持て余していたむすこはその様子を見ると、外に飛び出して遊びはじめる。 「同じクラスのHくんが遊びに来るって、言ってた」

しばらくして帰宅したむすこは、うれしそうにそう言った。

この日は、担任の先生の家庭訪問の日だった。

「これから先生が家庭訪問に来るよ。先生と話すから、会いたければ一緒にいてもいいし、会いたくなければ2階で遊んでてね」と伝えると、「わかったー」とむすこ。 午後3時前くらいに、担任の先生が赤い自転車に乗ってやってきた。軒先で先生と立ち話をしていると、近くに住む同じクラスのHくんが歩いて来た。

Hくんは、担任の先生の姿を見て、うちに来ていいものか見計らってるようだったので、「A(むすこ)はうちにいるから入っていいよー」と伝えると、先生にあいさつして、家に入っていった。 先生に、家庭でのむすこの様子を伝える。むすこは幼稚園に通っていたときも1日休むと、次の日には元気に登園したことがあったことや、HSC(ひといちばい繊細な子)について書かれた本を見せ、むすこの性格特性も説明した。学校の支援体制についても聞いてみた。 先週までは登校できたけど、今日は朝の登校がスムーズにいかない。「これから、どうしたものですかね」と相談すると、 「むりやり親御さんと引き離したことで、自分(先生)との信頼関係が損なわれてしまったのが大きいのではないでしょうか。その修復のために毎日はむずかしいけど、週に何日か放課後に自宅に伺って、Aくんと少し遊んでもよいでしょうか?」と提案される。 「それはありがたいです」

そんなに配慮してもらえるのかと驚いていると、「今日もこのあとも、午後4時から空いている時間帯があるので、Aくんと遊んでもいいですか?」と尋ねられる。 もちろん、断る理由はない。

話を終えて、先生が家の前から立ち去ろうとしたところで、自宅の玄関ドアが開き、Hくんが顔を出した。その奥から、むすこが顔を覗かせている。先生を見に来たのかもしれない。

「Aくん! 家庭訪問に来たよ」と先生が驚いて言う。

むすこは、友だちのうしろのほうにいる。隠れようとするかなあと思いきや、ニコッと先生に笑顔を向けた。

そのむすこの表情で、先生のことが嫌いなんじゃなくて、もっと注意を向けてほしいのかもしれない、と思い至る。むすこの「学校がつまんない」の意味は、勉強の教え方とかよりも、むしろ、周囲の自分に対する関心のありかたなのかもしれない。

「あとで、少し遊びに来てもいい?」 と先生が聞くと、むすこは黙ってうなずいていた。

Hくんは、午後3時半ごろ家に帰っていった。ぼくは、部屋に散らばっていたフリースクールやオルタナティブスクールの本を先生の見えないところに片付ける。 Hくんが帰ると、むすこは近所の子と外で遊びはじめた。

4時ごろになって、再び、先生が自転車に乗ってやってきた。むすこは、一緒に遊んでいた友達の輪から、ぱっと離れて家の入り口に向かう。 「外で遊んでもいいよ。なにして遊んでいたの?」と先生が訊く。

その言葉にむすこは答えないが、家の中に入りたそうにしているので、先生に中に入ってもらう。その後も、むすこは無言だが、階段の途中までのぼり、2階に来てほしそうにしている。先生も2階にあがる。

ぼくはそこで別れ、1階に残る。 「このおもちゃは何? かっこいいね」「これ、トーマスじゃん!」などと、先生はむすこにどんどん話しかけていく。「電車ももうちょっとあるよ、トミカがたくさんあるんだよ」と、むすこも数分もすると、しゃべりはじめる。――そんな声が階下まで聞こえてきた。先生とむすこの距離は、縮まっているように感じられた。

15分ほど先生は遊んでくれたあとで、「次のお家に行くね」と玄関に向かう。「じゃあ、また、遊びに来ていいかな?」と先生が聞くと、むすこはうなずいていた。もちろん、学校で会おうなんてことはひとことも言わない。 玄関を出たところで、先生と少し立ち話をする。むすこはまた家の外に出て、友達と遊びはじめる。

自転車に乗る準備をしながら、先生は「Aくん、わたしとふたりで遊びたくて家の中に入ったみたいですね」と言った。

「ですね、先生が来たときも、ニコッとしてましたもんね」と、ぼくが少し涙目でいう。「はい、よかったです」と先生。心なしか、先生の目もうるんでいる気がした。面倒をかえりみず、先生が子どものふところに一歩踏み込んでくれる気持ちもありがたい。「ご両親にお手間をおかけしてすみません」と言われるが、こちらのセリフである。 また遊びに来るね、と言って、先生は自転車を漕いで、次の訪問先に向かっていった。 しばらく、あるいは永遠にこの右往左往はつづくのかもしれない。うまくいく保証はどこにもない。なにがうまくいったと言える状態なのかももはやわからないが、子どもが日々を不安なく、楽しくすごせれば、それでいいのだろう。なんとなく親も子も、次のフェーズに進みつつあるような気がしてきている。

我が家の家族構成: むすこの父である筆者は、本づくりや取材執筆活動を行っている。取材や打ち合わせがなければ自宅で働き、料理以外の家事を主に担当。妻も40歳。教育関係者。基本的には9時~17時に近い働き方をしていて、職場に出勤することが多い。小1のむすこのほかに、保育園に通うむすこもいる。

【書き手】末沢寧史。異文化理解を主なテーマとする、ノンフィクションライター、絵本作家。出版社勤務を経て独立。絵本作品に『海峡のまちのハリル』(小林豊・絵、三輪舎)。出版社どく社を仲間と実験中。妻は教育関係者。本連載では、むすこの小学校入学直後に直面した行きしぶりと不登校をきっかけに、子どもという「異文化」について記します。