2023.07.05
生き残った「奇跡のプリンセス」 王国復活背負う被災地のホープ
王女は太陽の光で黄金色に輝き、さわやかな香りを漂わせる。かんきつ王国・愛媛で全国デビューを待つ新品種「紅(べに)プリンセス」。その苗木は、平成最悪の被害をもたらした5年前の豪雨をくぐり抜けた。苦難に負けず力強く生きる姿に人々は希望を重ねる。「奇跡の王女」がつなぐ被災地の願いを追いかけた。
確率は1万5000分の1
穏やかな宇和海に面する緑豊かな山あいの地で、かんきつ類の品種改良や研究を進める「愛媛県みかん研究所」(宇和島市吉田町)。吉田町は全国有数のミカン産地として知られる。
主任研究員の重松幸典さん(55)は広大な畑を見つめながら、あの日のことを語り始めた。
「段々畑は土砂でえぐられ、丹精込めて育ててきたさまざまな品種の樹木が流されてしまった。『紅プリ』が生き残ったのは、運が良かったとしか言いようがない」
2018年7月の西日本豪雨は愛媛や広島、岡山を中心に甚大な被害をもたらし、災害関連死を含めて300人超の命を奪った。宇和島市内でも13人が亡くなった。各地で土砂崩れが多発し、日当たりや水はけの良さから急斜面に点在していたミカン畑も次々とのみ込まれた。
研究所も例外ではなく、総面積約4ヘクタールの敷地のうち土砂崩れの範囲は3分の1に及んだ。職員たちが絶望する中、被害を免れていたのが紅プリンセスの苗木や親木計約180本だった。「ドキドキしながら畑の確認に行き、木を見つけた時は心からほっとしました」。当時を知るある職員はこう振り返る。
この紅プリンセスを生み出したのが重松さんだ。豪雨で苗木が生き残ったのが奇跡なら、新品種として誕生した経緯も奇跡なのだという。
話は05年までさかのぼる。かんきつ王国を盛り上げる「新たな看板」の誕生を目指し、開発担当として重松さんに白羽の矢がたった。目を付けたのが、いずれも愛媛を代表する高級ミカン「紅まどんな」と「甘平(かんぺい)」だ。
「誰からも愛される存在に」
紅まどんなはゼリーのような食感が人気だが、糖度をさらに増す余地があった。そこに濃厚な甘さの甘平を掛け合わせられれば、王国を代表する新ブランドが生まれると踏んだわけだ。この年から双方を交配させる取り組みが始まった。
重松さんは「苗を作り、しっかりとした果実をつける新品種が誕生する確率は1万5000分の1とも言われ、最低でも10年かかる根気のいる作業なんです。豪雨という苦境も乗り越え、世界で勝負できるものができました」と自信をのぞかせる。
17年間の開発を経て22年、二つの高級ミカンの特徴を併せ持ったオリジナル品種として国の登録にこぎ着けた。
愛媛県によると、豪雨に見舞われた18年産のかんきつ収穫量は前年比7855トン減の19万8933トンで、和歌山県に統計開始以来初めて全国1位の座を明け渡すことになった。統計が出ている直近の20年産も2位に甘んじた。
誰からも愛される存在になってほしい――。そんな願いを込めて紅プリンセスと命名され、王国復活の起爆剤として期待が高まる。県は栽培農家に苗木の提供を始め、25年に100トンの初出荷を目指している。
「あの日」の教訓、語り継ぐ
「紅プリンセスの木はまだ小さくて実はとれんけど、いつか復興のシンボルにするのが夢やけん」。こう話すのは、宇和島市吉田町でミカンを栽培する農家の河野雄哉さん(38)だ。
先祖から畑を受け継いできた5代目の河野さんも、豪雨に伴う土砂崩れで多くのミカンの木を失った。農作業に欠かせない軽トラックやスプリンクラーなども流され、被害総額は数百万円に上った。自宅の裏山も崩れて家の窓ガラスが割れる被害も出たが、生後約2週間だった長女と妻たちは無事だった。
「家族が難を逃れたことが何よりも救いだったが、みかん園の一部はめちゃくちゃ。土砂崩れによる濁流で一変した街の様子を目にした時、何が起きたのかのみ込めなかった」
計5ヘクタールに及ぶ河野さんの畑の多くは町内の傾斜地に点在し、全ての被害を把握するだけでも数カ月間かかった。重機を入れられない場所は人力で土砂を撤去せざるを得ず、被災前と同じ状態に戻すまでには3年という月日を要した。
「新たな一歩を踏み出したい」。そんな思いが芽生えた時に出会ったのが、「奇跡の王女」だった。豪雨被害にも負けず、奇跡的に生き残った経緯にも心を揺さぶられた。22年春に苗木を100本購入。再び災害が起きてもすぐに復旧できるよう、車両の往来が可能な土地も新たに用意した。
新品種の栽培はノウハウがないため、ほかのミカンに比べても手間がかかる。愛情を注ぎながら試行錯誤を繰り返す作業は、豪雨直前に生まれて5歳になった長女の子育てとも重なる。
河野さんは「紅プリンセスを大事に育てて一大産地を作り上げ、いつまでも被災地の教訓を語り継いでいきたい」と力を込めた。【広瀬晃子、鶴見泰寿】
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