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2023.07.05

豪雨経験し建築の道へ 倉敷・真備出身22歳、揺らがぬ防災への思い

 2018年7月の西日本豪雨で、災害関連死を含めて75人が亡くなった岡山県倉敷市の真備町地区で被災した西川奈美穂さん(22)=東京都板橋区=は大学時代に防災士の資格を取得した。「災害を経験したからこそ、成長できた部分もある」。今春に準大手ゼネコンに就職した今も、防災士として被災の記憶を語り継ごうと決意を新たにしている。【平本泰章】

 「免震性や耐震性に優れた建物をつくるいい監督者」が目標だが、現在の仕事は先輩の打ち合わせや検査対応の「同行」ばかり。「勉強、勉強の日々です」と苦笑する。

 岡山県立矢掛高校(同県矢掛町)3年だった18年7月6日。真備町地区を流れる小田川の支流近くの実家に両親、祖父母らと6人で暮らしていた。夜になっても勢いが衰えない雨に身の危険を感じ、深夜に高台へ避難したが、祖父母は「ここまで水が来ることはない」と、頑として動かなかった。2人の安否を心配しながら避難先で夜を過ごした。翌朝、一面水につかる生まれ育った街が眼下に広がり、あまりの衝撃に言葉が出なかった。

 祖父母は無事だったが実家は1階部分が水没し、3日間の避難所生活を強いられた。そこで物資の配布を手伝っていると、老夫婦に「まだ家族が残っているから助けてください」と懇願され、何もできない無力さを感じた。大学受験を控えていたこともあり、1週間ほどして隣町にある学校に戻った。真備以外のクラスメートとの温度差につらい思いをし、学校を休むこともあった。

 ある時、駅の待合スペースで通学時に学校での出来事などを話していた高齢女性を見かけないことに気づいた。「おばあちゃん、どこかに避難したのかな?」。約1カ月後、近所で豪雨の犠牲になった人の名前と写真を見る機会があり、女性が亡くなっていたことを知った。「近くに住んでいたのなら、あの時、一緒に逃げようと声を掛けることができたかもしれない」。後悔が募った。

 だが、その思いは受験を前に将来を考えていた西川さんの道しるべになった。「災害から多くの人を守りたい。自分が何もしなければ、あのおばあちゃんが亡くなった意味がなくなる」。関心があった建築の道に進んで災害に強い建物をつくることに加え、防災士になって災害に備える大切さを伝えていくこと。いつしかそれが目標となり、防災士養成プログラムがある香川大の受験を決意。目指す道が定まると、自然と勉強に精が出た。

 香川大では建築を学びつつ、1年時に防災士の資格を取り、2年になると防災士クラブに所属。同じく西日本豪雨で被災した愛媛県宇和島市のミカン農家で土砂崩れを防ぐ土のう作りに取り組んだり、学園祭で自らの体験をまとめた紙芝居を披露したりした。昨年6月には母校で被災経験を語るとともに、災害時に役立つ非常用持ち出し袋についてゲームを交えて紹介するなど、積極的に活動した。

 就職活動でも、入社後は防災士として語り部の活動を続ける意志を会社に伝えてきた。現在は仕事を覚えるのに精いっぱいで、なかなか時間を確保できない。「今のままでは、防災を学んだ4年間を生かし切れない」と自己嫌悪にさいなまれることもある。それでも、「絶対に風化させたくないし、逃げ遅れゼロを実現したい。そのためにも、記憶は語り続けないと」と力を込める。

 あれから5年。真備の街は復旧が進み、被災の傷痕は消えつつある。ただ、地域の人と話をすると、「当時のつらさを時折思い出す」とこぼす人も多く、「精神面の復興は本当に難しい」。離れて暮らし、直接復興に関われていない分、故郷への思いは日に日に膨らんでいる。「安心して快適に暮らせる建物をつくり、防災の大切さを伝え続ける。そして、いつか真備に恩返しできるような、真備のためになるような生き方をしたい」。その決意に揺らぎはない。

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