ソーシャルアクションラボ

2023.07.14

学校に行きたいのに、行く場所がない|せんさいなぼくは、小学生になれないの?⑳

⑳17日目 2022年5月6日

今朝のむすこは、はっきりと「給食のときに学校に行く」と言っている。ただ、行きしぶりを続けているむすこが、本当に小学校へ行けるかどうかは、わからない。

昨日の夕方から、仕事で多忙を極める妻が陰をまとっていて、ちびまるこちゃんでいうところの、どよーんとした、縦線が顔に何本ものびているのが見えてくるようだ。 自分はといえば、もうこのままの状態でもまあいいかと割り切ってしまった部分がある。連休の半端な中日だし、学校に行けなくてもいい。 知人の紹介で読んだ絵本作家・五味太郎さんの「大人問題」という本に、「子どもは事実に正しく反応する」という話が書いてあり、納得。子どもの反応そのものは、正しく出ているだけということが腹落ちしてきていて、さほどストレスに感じなくなってきている。 が、朝はせわしないこともあって、家のなかの緊張感がいちばん高まる時間帯。ピリピリがつづいているのはいなめない。 今日は、むすこ(長男)が椅子を倒してあそび、次男も真似し、それに妻がぶちぎれるという一幕もあった。次男がしつこくあそびつづけるので止めると、大泣きし、その泣き声のうるささで、また、むすこ(長男)がいらついて、そこら中のおもちゃをかきまわして、放りなげる――というカオス。 朝の時間、むすこはとても緊張しているようだ。どうしても「今日はどうするの?」という話にもなる。その気はなくても急きたてられてしまう部分もあるのだろうし、ほかの子たちが学校に向かう時間に入るのが、行けない自分を際立たせてしまう側面もあるのかもしれないと、なんとなく思う。 本当は一緒に行きたい気持ち、でも、行きたくない気持ちもあって、ことばにできない複雑な気持ちを抱えているように思われる。

※不登校支援の現場や、専門書籍では、行きしぶりや不登校傾向がある場合、親が「登校刺激」を与えないことが最初の対応として勧められる。だが、当時のぼくは知らなかったし、むすこの周りのおとなも誰も知らなかった。

午前8時、次男を保育園へ送りに妻が家を出る。むすこ(長男)は、居間のブラインドカーテンごしに、近所の子が学校に行くのを見ようとしている。気になっているようだ。その後、マグネットシートを小さく切ってあそんだり、えんぴつを削ったりしはじめた。

8時半ごろ。妻がもどってくる。となりのクラスのやんちゃな子が元気そうに学校へ通うのをみて、「いいなー」と羨ましく思ってしまったといい、どんよりしている。

妻には、ゴールデンウィークにゆっくり気持ちを休めてもらわんとなあ、とひたすら思う。

むすこが幼稚園児のころからお世話になっているファミサポさん(ファミリーサポート制度で子育て世帯を支援してくださる方)に連絡すると、好意で半日みてくれることになった。「午前中は、Kさんがみてくれることになったよ」と妻がむすこに伝える。「お父さん、Kさんのところ、行ってくるね」と、表情をあかるくして、むすこはいう。

そして、「Kさんに、ランドセル見せよう!」と、今日の学校の持ちものを準備する。「きょうは、こくごとさんすうがあって」とたのしそう。

※ランドセルとげた箱は、学校やクラスと結びつくようで、以降は避けるようになる。

そして、妻とKさんの家へ向かうことになる。Kさん宅の玄関前でむすこは別れると自らいう。

この状況が学校に置きかえられたら、それだけで解決なのにと思わぬこともないが、それがとりもなおさず学校との関係性の現実なのかもしれない。少しずつそんな日も来るのかもしれないし、来ないのかもしれない。 ともあれ、たのしく出かけられるのはいいことだ。と思いながら、笑顔で去るむすこを見送る。

 ※この日を最後に、むすこは学校に行かなくなった。

我が家の家族構成: むすこの父である筆者は、本づくりや取材執筆活動を行っている。取材や打ち合わせがなければ自宅で働き、料理以外の家事を主に担当。妻は教育関係者。基本的には9時~17時に近い働き方をしていて、職場に出勤することが多い。小1のむすこのほかに、保育園に通うむすこもいる。

【書き手】末沢寧史。異文化理解を主なテーマとする、ノンフィクションライター、絵本作家。出版社勤務を経て独立。絵本作品に「海峡のまちのハリル」(小林豊・絵、三輪舎)。出版社どく社を仲間と実験中。妻は教育関係者。本連載では、むすこの小学校入学直後に直面した行きしぶりと不登校をきっかけに、子どもという「異文化」について記します。