2023.07.16
福岡・久留米の土石流現場 なぜ多くの住民が逃げ遅れたのか
九州北部で9人が死亡するなど甚大な被害をもたらした記録的大雨から、17日で1週間。土石流が発生して男性1人が死亡し、5人が重軽傷を負った福岡県久留米市田主丸町竹野地区では、多くの住民が逃げ遅れ、一歩間違えれば被害がさらに拡大していた可能性もあった。山裾の地域で土砂災害への意識は高かったにもかかわらず、避難行動を始める「避難スイッチ」は発動しなかった。前兆を感じながら、危険な状況でも少しの変化なら「日常のこと」と認知する「正常性バイアス」が働いていた可能性も浮かぶ。
「2階に避難したけど、床がグラグラしている。死ぬかもしれない。さようなら」。10日午前9時半ごろ、竹野地区に住む中野明子さん(72)は、近くの千(ち)ノ尾(お)川沿いに住む40代の娘から切羽詰まった声で電話を受けた。娘はゴーッという音を聞き、急いで自宅2階に10代の息子と駆け上がったところ1階に土石流が直撃した。
娘の震える声に中野さんは「ゾッとした」。急いで消防に救助を求めたが、救助要請が相次ぎ「即座に対応できない」と告げられた。正午ごろに助けられ、幸い娘らにけがはなかった。
実は土石流が発生する直前、住民の一部は激しい雷雨とともに裏山の異変を感じていた。近くの気象庁耳納(みのう)山観測所では7日から雨が降り始め、降ったりやんだりを繰り返した。9日午後10時ごろには、付近の住民が裏山でバリバリという音を聞いた。この時、累積雨量は180ミリ程度だった。
夜明け前に雨脚は急激に強くなる。10日午前4時までの1時間には61・5ミリの非常に激しい雨を観測。竹野地区に住む大塚ヒロ子さん(76)は近くを流れる川で「ゴロゴロ」と石が転がるような音を聞いた。
気象庁や自治体の対応はどうだったのか。7日からの雨で、市は市立竹野小を指定避難所として開放したが、大雨警報が解除され9日午後3時にいったん閉鎖した。気象庁は10日午前0時34分に大雨警報を再び発表。同3時9分に福岡県に線状降水帯の発生情報を出した。市は同3時45分に避難指示を発令、同5時37分に再び避難所を開いた。気象庁は同6時40分に大雨特別警報を発表、その36分後に市は警戒レベル5の緊急安全確保を発令した。
この間雨は降り続けるが、避難は進まなかった。一方、同8時までの1時間で雨は小康状態に。竹野地区の住民女性は「雨が落ち着き安心した」。だが、そこから同9時15分までの1時間に観測史上最大の91・5ミリの猛烈な雨が降った。そして同9時半ごろ、土石流が発生した。被害の全容はいまだ明らかでないが、複数の家屋が押し流され、少なくとも10人が巻き込まれた。市によると、同9時時点で避難所に避難したのは1人だけだった。
降り始めから10日までの累積雨量は567ミリで、7月の平年1カ月雨量の約1・3倍に達した。久留米市の原口新五市長は「4日間雨が降り、住民も4日間避難することはなかなか難しい」と振り返る。市内では18カ所で土石流が起き、集落に流れ込んだのは竹野地区の1カ所のみ。市の防災担当者は「もっと被害が出てもおかしくない状況だった」と話す。
周辺は県の土砂災害特別警戒区域や土砂災害警戒区域に指定され、多くの住人はそのことを知っていながら口を突いたのは、「これまで災害がなく大丈夫だと思った」「まさかここまで土砂が来るとは思わなかった」という言葉だった。
耳納山地周辺の災害の歴史に詳しい九州大の西山浩司助教(気象工学)によると、耳納山地の山麓(さんろく)は過去に土石流被害が起きていた長い歴史があり、約300年前には大規模な土石流で複数の家屋が流失。終戦直後の1946年と53年にも水害で土石流被害が発生した。
西山助教は2018年から竹野地区で災害伝承に力を入れ、住民向けの防災セミナーや街歩きを開催し、早期避難の重要性を訴えていた。西山助教は「これまで災害を経験していないから今回も大丈夫という認識が危険」と指摘。「災害はまさかではなく、いつか起こる。途切れた災害伝承を復活させるなど地域住民に災害リスクを認識してもらい防災意識の向上につながる情報伝達が大切だ」と訴える。【宗岡敬介、城島勇人、高芝菜穂子】
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