ソーシャルアクションラボ

2023.07.28

「おとなの正しさ」がもつ凶器性|せんさいなぼくは、小学生になれないの?㉔

㉔2022年5月12日

朝、長男のむすこは起きるやイライラしていて、弟(次男)をたたいている。そして、台所で朝ごはんの支度をしている妻のところに行ったかと思うと、今度は、不機嫌そうにハムが食べたいとしつこく言う。妻はピザをちょうど焼いていた。「ハムは、1枚だけ。ピザに乗っている」と、注意する口調で言う。

妻は、健康のために塩分の多いハムを食べ過ぎないように注意している。いつもなら、自分も注意する側に回りそうなところだが、それでは家族中にイライラが伝染するパターンになりそうだ。そこで、今日から、子どもが言うことをとにかく否定しないことを実践してみようと、横から口を出してみた。

「食べたいなら、食べればいいじゃん」

察した妻がそのまま食べさせてあげると、むすこのイライラは落ち着いていった。わかりやすく反応するものだな、と思った。

実は、前日の夜も、「否定しない作戦」が功を奏していたのだ。

むすこが、弟が自分の鉛筆削りを使って妻とあそんでいるのが気に入らず、弟の足を踏んだり、奪い取ろうとしたりと、嫌がらせをはじめたときだった。

「自分は使っていないんだから、いじめるんじゃない!」と兄のほうを叱りたくなるところだったのだが、まずは、落ち着いて「やめなさい」とやさしい口調で引き離そうとしてみた。

すると、むすこは、癇癪を起こして奇声をあげる。逆効果だ。

「やめなさい」という自分の発言が、むすこからすれば、弟を擁護しているように聞こえているようだ。

そこで、むすこには「自分のおもちゃを勝手に使われるのがいやなんだよね」と言い、弟には「お兄ちゃんのおもちゃを使いたいときは、使っていい?と聞くんだよ」とむすこにも聞こえるように言い聞かせてみた。

すると、おまじないのように、むすこの気持ちがすーっと落ち着いていく

これだ!

と思って、今朝も、同じようにむすこの気持ちに寄り添ってみたら、やはり目に見えて効果があった。

親から子どもに対する、日常のささいな拒否の言動というものがある。「ちゃんと◯◯しなさい」「どうして◯◯なの?」など。だいたいは、叱りや、注意の口調になるのだが、親自身に「拒否」を伝えている自覚がないことが多い。

親になると、子どもが何か〝間違ったこと〟をやりかけたときに先回りしてやめさせたり、やめさせようと注意の声かけをしたりすることはよくある。

些細で、日常的にあることだが、じつはそれが、子どもをあるがままに受け止めることと、対極にある態度であることに気づく(もちろん何か危険なことをやろうとしている場合は止めるとしても)。

ハムを2枚食べたくらいで、死にはしない。自分の欲求を認められただけで、むすこは機嫌が良くなり、弟をあやしたりしていた。

大人は、子どもに「正しい行動」を求めがちだ。でも、子どもが間違っていることがわかっていたとしても、自ら言ったとおりやらせてみて、失敗させてあげるほうが学びはあるだろう。

とすれば、声かけは、「やってみれば」の一言でいいはずなのだ。

とくに、うちのむすこのように慎重派で、大人の注意をよく聞くタイプであればあるほど、自分の経験を通して自信をもつには、失敗も経験したほうがいい気がしている。ある意味、「おとなの正しさ」がもつ凶器性。

次男も、兄(むすこ)のケアに全力を注ぐ妻と接する時間が不足してきたからか、兄にやつあたりされすぎたからか、昨日から様子が少しおかしい。ハムを妻に切られてしまっただけで大泣き。10分ほどえんえんと怒って、何を言っても泣きやまなかった。

朝のカオスで、妻は明らかに疲弊していた。それでも、気を取り直した妻が、ハムをベロのようにして、ベロベロバーとやったら、次男はやっと笑って泣き止んだ。

朝食の後、妻が「きょうは給食から(小学校に)行く?」とむすこにさらっと聞く。むすこは、いやそうな顔をして、「行かない」と言う。それも、そのまますんなり受け止めて、さっと引く。

じょじょに全員元気を取り戻し、すごく久しぶりに緊張感のない朝の時間が過ぎた。妻はやつれた顔をして車で弟を保育園に送り、そのままカフェで仕事をするという。

仕事をしながら、妻も不安にならない環境を整えていこう、子どもの言動を否定せずそのまま受け止めつづけてみよう——と、ぐるぐる考えていたら、しばらくして、妻から電話がくる。

「財布を忘れて、ショッピングセンターの駐車場から出れない」

疲れ切っているようで、いたたまれない気持ちになる。雨がぱらぱらふるなか、自転車で財布を届けにいって、また家にもどる。

でも、少しして、気力の限界をこえた妻は家に戻ってきた。「きょうは仕事を休む」と言いながら、ソファに倒れ込む。寝不足で、顔色が悪い。

自分も仕事に集中できず、打ち合わせだけオンラインで済ませると、仕事をするのはあきらめ、むすこにひたすら付き合うことを決めた。

新しく届いたトランシーバーのおもちゃであそんだり、切れた電池を買いに行ったり、仕事の荷造りを手伝わせたり、工作のテレビを一緒にみて出てきた空飛ぶUFOをつくってみたり、パステルで画用紙に絵を描いたり。

妻も起きた後は「仕事モード」から切り替え、むすこと買い物ごっこをしたりして、たっぷりあそんであげた。

不思議なもので、むすこはここ数週間みられなかった元気を取り戻し、表情もとても豊かになってずっとニコニコしている。でも、それがいつものむすこといえば、いつものむすこで、ようやくもどってきたのかなー、とも思う。

※ちょっとした兆候で一喜一憂するが、回復までの道のりは今後半年以上続いていく。

最近の「変化」を整理すると、

「学校に行くか、行かないか」を聞く登校刺激をやめた。
この会話を続けるかぎり、毎日むすこにプレッシャーがかかる。思い切って話をしないことにすると、ずいぶんそれだけでも安心しているのがわかる。

・ むすこの要望をそのまま受け止める。
親の考え方や価値観はどうでもいいのだと思う。たとえば、歯を磨きたくないと言えば、磨かなければいい。間違っていることでも、言ったとおりにしてあげる。あまやかしであり、わがままであっても、それを今はさせてあげる。子どもらしさとはそういうことなのではないかと、ある意味では、〝子どもらしくない〟我が子をみていておもう。つまり、「大人としてあつかうこと」が、子どもらしさを引き出すことになるというか

ちなみに、要望をそのまま受け止められていないときは、「バカ」と言ってきたり、蹴ってきたりするので、ある意味ではわかりやすい。この二つだけ意識して集中してあそんであげただけで、明らかにむすこの心の元気が取り戻されていた。あと、あまりに妻が疲弊しているので、自分は「朝ご飯作り」をしばらく担当することを宣言した。その間は、出勤前の妻が、むすこたちと触れ合う時間にしてもらう作戦だ。

むすこの様子や発言を見聞きしていて、以下も有効になりそうな気がしている。

子どものまえでスマホをなるべくいじらない。
触る場合も、なんのために触っているのかを言う。あるいは、トイレで触るとか。これは、態度として自分に注意がないことを示してしまう。というか、むすこに注意された。まえまえからよくないと思いつつ、やってしまっていたし、まだやってしまうが、これは意識して、いまはやらないようにするのがよさそう。

むすこの取扱説明書をつくる。
先生など第三者向けに作るとよさそう。性格特性がはっきりしている分、あれはOK、これはNGというのがわかる部分もある。「我慢できない不快な音があるようだ」「戦争とか死の話に関心はあるが、とても怖がる」「ストレスがたまるとチック症状が出る」など。むすこがむごんのときなど、どう対処できると、むすこにストレスがたまらないかなども書いたものをつくっておこうと思う。

※子どもの特性を学校と共有するためのシートは公開されたり、書籍に掲載されたりもしている

こういう対応や準備こそが、じつは大切で、どこに通うかうんぬんの前提になるような気がしている。

****

今日は担任の先生が午後3時ごろ、家に来てくれた。久しぶりだったからか、また振り出しに戻り、むすこはむごん。先生に何かをきかれても、ネガティブな反応をするか、無反応、あるいはうなずくだけ。

あわない上司と部下のやりとりみたいで、先生も気をつかいすぎて、むすことの会話がぎこちない。心を開くというよりは、用件をきくような会話になってしまっていて、「朝顔を植えにくる?」「いや」「家でやる?」「……(むすこ無言)」――といった感じのやりとりに終始する。

妻と自分が会話に介入して、30分ほど経つと少しだけ打ち解けてむすこも言葉がでるようになってきた。だが、赤ちゃん返りしているむすこは、ずっと妻に抱かれたまま。先生にものを投げつけようとしたりもしていて、ずいぶん緊張している様子だった。先生が帰ったあとは疲れてぐったり。

先生がくる前にクラスの友達が少しだけあそびにきてくれていたのだが、これまた少し久しぶりであまり会話をしないまま。その子は、先生がくると、「先生がくるなら帰る」とさっさと帰ってしまった。くるなら、帰るのか……。

むすこが荒れる背景には、先生と会うのがいやな気持ちもありそうだった。先生に来つづけてもらうのがはたしていいのかも立ち止まって考えたほうがいいのかもしれない。

スクールカウンセラーにつないでもらえるのが2週間後とまだだいぶ先なので、それまでは何も前に進められそうなことはない。それまでは欠席でいいだろうし、1学期中は登校しないような気もしている。

大好きな剣道の見学だけは欠かさず「行く」といい、練習場所の学校体育館にはよろこんでいく。そこで何かをするわけでもなく、座っているか、ごろごろしているだけなのだが、それでも、師範たちが、ゆるやかに見守ってくれている。通い続けて、もう2ヶ月になる。

きょうは、竹刀を転がしていて、師範に叱られる一幕があったが、なぜかこの場では変なストレス反応にはならないのが不思議。気分で叱るのではなく、礼儀作法などの型があるから、本人的にも叱られることを納得するのかもしれない

師範たちも、ずっとつかずはなれず対応してくれている。これを続けた先に何があるのだろう。

来週にかけて民間の学校をいくつか見学する。「公立小学校以外の場」が見つかっていくかどうか。自分としては、むすこと一緒に過ごすことで仕事ができない時間をどう働けるようにしていくかが課題だ。

【書き手】沢木ラクダ(さわき・らくだ) 異文化理解を主なテーマとする、ノンフィクションライター、編集者、絵本作家。出版社勤務を経て独立。小さな出版社を仲間と営む。ラクダ似の本好き&酒呑み。

【我が家の家族構成】むすこの父である筆者(執筆当時40歳)は、本づくりや取材執筆活動を行っている。取材や打ち合わせがなければ自宅で働き、料理以外の家事を主に担当。妻(40歳)は教育関係者。9時~17時に近い働き方で、職場に出勤することが多い。寡黙で優しい小1の長男(6歳)と、おしゃべりで陽気な保育園児の次男(3歳)の4人家族。