ソーシャルアクションラボ

2023.08.04

「幼稚園も自分で決めた。学校も」1年遅れの学校探し|せんさいなぼくは、小学生になれないの?㉖

㉖ 2022年5月19日

学校に子どもが行かなくなると、親が困るのが、子どもの対応で仕事ができなくなること。そして、生活の予定が立てられなくなることだ。ぼくはフリーランスで仕事をしているので、4月はもともと入学準備のために仕事をセーブしていた。5月に入っても仕事はセーブせざるを得ず、フリーランスでなければ仕事を続けられなかったかもしれない。

とはいえ、一番大事なのは、むすこの心の安定だ。この1か月半、まずはむすこの心の休息をとりつつ、むすこが安心していられる場所の選択肢を探した。それがむすこにとっては、公立小学校のかわりになる「就学先」探しにもなっているようだ。

1年前にやれていれば――という後悔は正直ある。ただ、1年前にはそんな課題感自体がなかったので、後悔しても仕方がない。ぼくも新卒一括の就職活動をしなかったことで、職業生活の始まりに苦労をした経験がある。日本社会はいつだってレールからはずれると、進路を軌道に乗せるのが難しい社会なのかもしれない。

かといって、選択肢がまったくないわけではないし、仲間もいる。

「幼稚園も自分で決めたし、学校も自分で決める。今、考えてるから、ちょっと待って」

と昨日、むすこが言っていて、夫婦でおおっとなった。もう学校のことを考えられる余裕も出つつあるのだろうか。

通っていた幼稚園は、むすこのいた保育園のとなりにあった。保育園に通園するなかで、となりの幼稚園の様子を目にし、「幼稚園に通いたい」とたしかにむすこは言ったのだ。

翻って、小学校の選択は、親が決めていて、本人の意思を確認せずに公立を選んでいた。といっても、理由は近所の子がいること、親も二人とも公立出身であること、文教エリアで、公立の評判も悪くないことといった程度で、そのエリアの出身でもないのに、さして情報収集を行ってこなかった。

また、小学校準備も特にしなかった。幼稚園の最後のほうで、近所の大学が主催した、周辺の小学校の校長らが登壇するオンラインセミナーに参加した。そこでは、「勉強の準備なんて必要ないです。学校でゼロからやりますから、お父さん、お母さん安心してください」とひたすら安心してくださいという調子で語られるばかりだった。正直、現場の教室運営とはまったく違っていると今は思う。

「前もって多少準備しといたほうが、自信をもって臨めるかもしれません」などと、事実をもっと伝えてほしかったと思う。子どもの性格にもよるのかもしれないが。

というわけで、むすこのおかげで、本当に一通り、(うちの子にあいそうな)世にどんな学校の選択肢があるかを、遅まきながら、実地で幅広く見てくることができた。

1 オルタナティブスクール

先日お試しで参加した里山での体験学習プログラムに月2回参加できそうだった。里山にある公民館を借りて、里山散策、工作、絵画、料理などの体験学習を主に行っている。運営は近隣では有名なオルタナティブスクール。教授法は、子どもの主体性を重視したファシリテーション型。ある程度プログラムが用意されているが、子どもの関心に沿って体験を提供する。

先生は、「スタッフ」とそこでは呼ばれる。名前に「さん」付けで、対等な関係性づくりを行っている。子どもが集中してやっている作業を発展させたり、その子にあわせて、働きかけを行っている。

人気で、すぐに入学はできないが、母体となっているオルタナティブスクールも見学した。ことばと数字を学ぶ時間が核としてありつつ、プログラム型の学習を提供している。学ぶペースは子どもに合わせてそれぞれ。市販の教材も使っていた。校舎はさほど大きくないが、校庭ではにわとりを飼っている。むすこの好きな工作材料もたくさん。

印象としては、ここであれば、むすこも問題なく通えそうだった。HSC(ひといちばい繊細な子)の特性が「問題」化されない環境というか。車で1時間の距離。自分が住む地域から電車で通う子どももいるとのこと。近くはないが、選択肢に入れることが不可能ではなかったことを後から知る。ひとまず、ウエイティングリストに入れてもらう。でも、小規模のため、同じ学年だけで8番目とのこと。

2 インターナショナルスクール

ここも探究型・プロジェクト型の学習がベースとなっている。やはり、グローバルに考えると、そういう時代だよなあ、としみじみ思う。

文部科学省も探究型学習を打ち出してはいるのだが、そもそものカリキュラムの考え方などがまったくちがう。子どもの主体性を尊重しながら、自分の頭で考える批評的な思考力を育てていく教育。

学校空間が開放的で、とても明るく気持ちよい。固定の座席はない。クッションに座っている子もいる。図書室で寝そべりながら本を読んでる子がいたりする。多様性のある場では、ルールはもちろん必要になる。だけど、〝自分の居心地の良さ〟が大切にされている環境であることが見た目にわかる。「なんで、日本の学校って、楽しそうじゃないの?」とみていて泣けてくる。

「自分たちが通いたいよね」と、夫婦でうなる。夫婦ともに海外留学経験もあるので、あこがれる。ただ、学費がなかなか高い。主には海外駐在の人向けという印象。国際バカロレアという、日本の学校の卒業資格とは異なるプログラムになる。国内では中高大への接続の問題を考えなければならない。あと、小1、2くらいからの入学だと問題ないそうだが、英語の壁はある。

8月入学なので、ある意味でいえば、1年生をやりなおしできるから、選択肢としては残す。トライアルしてみて、合うかどうか見てもらうことも可能。

3 英語のスクール

家から車で10分のところに、放課後の児童向けの英語のスクールをひらいている人がいる。その人が、「日中もコースをひらくらしい」という情報を得て、体験させてもらった。

このスクールも外国の方がやっている。児童の発達心理に詳しく、日本の私立小学校でも教えていた方で、その子その子の特性を大切にしながら、体験型のプログラムを提供している。

言語が英語ではあるけれど、屋外遊びなどで体を動かしながら、それを言語化したり、表現したりする活動。あまりしゃべるのが得意ではないむすこにはよさそうで、楽しそうだった。

最大週3で通わせてもらえるようなので、これと学校の行きたい授業だけ行くとか、そういう組み合わせもよいのかもしれない。

時間は10〜14時と少し短いが、近場にあるのがとてもありがたい。子どもに向き合うときの価値観、子ども観、教育観への共感は、言語の違いを超える。以下のようなことを日本の教育の課題として語っていて、ぼくは話を聞きながらすこし泣きそうになった。もうほんとそのとおりとうなずきつづける。

・伝統的日本の教育システムでは、一斉教育のもとで、それぞれのペースでの学びではなく、一律に同じスピードで、同じことを学習していくことが求められがち ・授業も先生が一方的に話し続ける形で、双方向の対話が成り立ちにくい ・ルールは自分を守るためにあるはずが、無数のルールが子どもたちを傷つけている ・先生が求める「正しさ」を子どもたちが内面化し、ミニ先生としてそれについていけない子どもを集団で追い詰めていくこともある

もちろん日本でも無数の努力があり、おそらく先端校なんかではさまざまな現場の努力も進んでいて、がんばっている先生もたくさんいる。だが、こうしてみていると、際立つのが、やはり日本の公教育空間の独特な均質性だろう。

日本の小学校で、いちばん最初に教わることに、ぼくは衝撃を受けた。机に座って、えんぴつをもつときの〝正しい〟姿勢だったからだ。しかし、この正しさというのは、だれにとって、正しいのだろう。それぞれの心地よい姿勢を探ってみましょう、という発想は残念ながらそこにはない(導入を行う先生のやり方によるとは思うけど)。

学校に入学するや、集団のルールにあわせましょう、集団のペースにあわせましょう、できますか、できませんか、という渦にまきこまれていくなかで、ぽろぽろと振り落とされていく子どもが、やはり〝悪い〟とは全く思えない

なんてことを考えるような親なんだから、もっと学校選びをちゃんとしたほうがよかったのだろう。いい加減な親でごめんなあという思いが、夫婦ともにぐるぐるする。ということで、一応選べそうな選択肢はむすこに直接みてもらうことができた。

そして、むすこは今朝急に、1の学習プログラムに「参加したい」と言った。ああ、そうなんか。当日の反応はたいしてよくなかったけど、わからないものだと思う。遠いから、あきらめかけていたのだが、本人が行きたいというなら、行ってみようかと話している。

そして、3のスクールも英語に不安はあるようだけど、楽しみにしているみたいなので、ひとまず、付き添いもしばらくは必要だろうけど、1、3の組み合わせをベースに次の一歩に進んでいくことにしようかなどと話している。

【書き手】沢木ラクダ(さわき・らくだ) 異文化理解を主なテーマとする、ノンフィクションライター、編集者、絵本作家。出版社勤務を経て独立。小さな出版社を仲間と営む。ラクダ似の本好き&酒呑み。
【我が家の家族構成】むすこの父である筆者(執筆当時40歳)は、本づくりや取材執筆活動を行っている。取材や打ち合わせがなければ自宅で働き、料理以外の家事を主に担当。妻(40歳)は教育関係者。9時~17時に近い働き方で、職場に出勤することが多い。寡黙で優しい小1の長男(6歳)と、おしゃべりで陽気な保育園児の次男(3歳)の4人家族。