ソーシャルアクションラボ

2023.08.25

「せんさいな子」の入学時に知っておきたい――行きしぶりは大人へのSOS

昨年春にはじまった連載「せんさいなぼくは、小学生になれないの?」は先週、最終回を迎えました。ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

28回の連載でつづってきましたが、むすこの〝行きしぶり〟は、あっという間に〝不登校〟へと発展していきました。

現在、日本に不登校の小中学生は約25万人いて、前年より5万人も増えているといいます。 (文科省の2021年度調査)

一人ひとり、学校に行かなくなる理由や背景は異なりますが、そのうちの一組の親子がたどった経緯を事細かにシェアすることで、いま子どもたちが学校で抱える困難さの一端が伝わればと思って書き記しました。

連載では昨年の入学式から、5月下旬までの日々をつづっています。その後、私たち親は、むすこの特性や状況を受容し、学校や家庭環境を調整していく過程を歩みました。(このプロセスについては不登校の専門家たちによれば、親は概ね同じ道のりをたどるようです)

半年かかって、むすこは持ち前の元気を取り戻していきました。その後も、前に進んでは一歩下がり、また歩みを進めていく日々が続きます。

小学1年生の所属するクラスには、その後も登校することはなく、うれしかったはずのランドセルと下駄箱は、クラスの象徴として感じるようで、避けたまま、1年生を終えました。

むすこが心理的な回復に向かったきっかけは、シンプルかつ具体的でした。 学校で、信頼できる特別支援コーディネーターの先生や、居場所サポーター(校内での居場所作りをサポートする制度)の先生と出会い、時間をとってあそんでもらえたこと、友達と一緒に帰れたこと、教室以外に自分がいてもいい場所を学校側につくってもらえたことです。

不登校を支援する枠組みは制度的に不十分で、子どもの心理的な負担はもちろん、親の負担も非常に重いです(先生個人はとても協力的です)。それでも、使える制度を一から調べ、フル稼働させ、周囲の協力を得ながら、なんとか日々をしのげる体制を築いていきました。支えていただいた、友人たちや、先生たちには心から感謝しています。

むすこが学校に行かなくなった当初は、むすこは学校に行かないことを自らの意思で選んだのだと思っていたところもありました。ですが、本人としては明確な言葉にはできないものの、本心ではみんなと同じように学校に通いたかったようです。行きたくても行けないことに傷ついているようでもありました。

 私はむすこが自信を回復していった具体的な要因から、そのことに気づき、登校への付き添いをつづけ、先生と信頼関係をむすびなおしながら、環境を整えていきました(その環境は「学校」である必要はないといまは考えています)。

不登校の子どもたちの体験記や、我が子の回復のプロセスを見るにつけ、不登校の困難さとは、「行きたい気持ちはあるのに、行ける環境がない」という環境の問題が大きいと感じています。 ただ、「学校に行きたい」といっても、近所にある、在籍しているその学校、そのクラスには行けない。地元の公立学校に行ってみた結果、教室環境のありようが合わず、自信を失い、居場所を失っている子どもも少なくないのではないでしょうか。 本当は行きたいのに、行ける場所が身近になく、困っている子どもたちが多くいる――そう想像してみると、ことの深刻さが伝わってきます。 我が子は、ひといちばい感受性が強いことで、刺激が多く、集団のペースで物事が進みがちな学校の環境に困難を抱えていましたが、困っているのは、感受性の強い子どもばかりではありません。 こうした環境が、いまさまざまな問題を表面化させているのではないか、と学校に身を置くことで感じられました。 不登校は、その一つのあらわれです。公立校への行きしぶりは、大人へのアラートです。 子どもたちの言葉にならない声に耳を傾けていきたい。 日々を記録することで、そう考えるようになりました。

子どもがあるがままに生きにくい環境をつくっているのは、私たち大人なのですから。

我が家の家族構成: むすこの父である筆者は現在、本づくりや取材執筆活動を行っている。取材や打ち合わせがなければ自宅で働き、料理以外の家事を主に担当。妻も41歳。教育関係者。基本的には9時~17時に近い働き方をしていて、職場に出勤することが多い。

【書き手】末沢寧史。異文化理解を主なテーマとする、ノンフィクションライター、絵本作家。出版社勤務を経て独立。絵本作品に「海峡のまちのハリル」(小林豊・絵、三輪舎)。出版社どく社を仲間と実験中。妻は教育関係者。本連載では、むすこの小学校入学直後に直面した行きしぶりと不登校をきっかけに、子どもという「異文化」について記します。