ソーシャルアクションラボ

2023.08.31

伝わらない。届かない。「お母さんは、踏ん張り続けている」。原子力防災に込める思い

私の、私達の経験は、暮らしの中での経験です。

専門家ではないけど、1生活人としてしゃべれることはある。生活の延長線上に防災はある。明日からできることをうまく楽しく伝えたい――――こんなふうに、被災直後から市民活動はじめました。被災地支援。エネルギーシフト。生活に関わること。ひとつひとつに、向き合っています。

被災地支援のための時間を、1日30分だけ、つくろう。そう思って暮らしています。

子育てや家事、で忙しいので、こつこつやるしかありません。
子どもがいるから、土日夜の集まりはなかなかいけません。夜遅い活動に対して、家族の理解が得られなくて、支援活動を辞めてしまう人もいました。

1人目を生んだとき、「やっと子育てができる。母になれて、うれしい」という思いがあふれてきました。だから、子ども育てることそのものを、苦痛とは思いませんでした。ただ、長女のこともあって、根拠もなく追い詰められている人たちの気持ちに、寄り添いたいのです。

母子避難で苦しんでいる人、震災で取り残されている人、をなかったようにしてしまう。声を上げているけれど、伝わらない。届かない。今の世の中のありようには、疑問があります。子ども被災者支援法ができて、もっとスポットがあたるかなと期待したのですが。

防災への知識と関心は全国的に高まっていますが、自然災害とあわせて、複合災害の一つとして、原発事故から身を守るための「原子力防災」は、すべての人が、知った方が良いと考えています。

仮に事故が起きてしまったとき、何万人もの人が、一気に他県に避難するのは現実的ではないのです。道路渋滞もしますから。自宅避難になったときに備えて、自宅での対策を考えます。兵庫県丹波篠山市の取り組みやHPは、参考になります。

必要なアイテムをデザインした防災Tシャツも仲間と一緒に作りました。

転勤をへて、再び東京で日常を積み重ねる

仙台で12年暮らして、いろんな出会いありました。でも、当たりまえに会社員の夫に2016年2月「転勤になるから」と言われて、仙台から東京へ引っ越しました。当たり前に、日常がぶちぶち切られる。転勤族の妻は、全国区にならないとなあ、と思いました。

東日本大震災の時、「1日も早く、元の生活に戻れますように」という言葉が飛び交いました。でも、戻れません。住んでいた家はなくなったら、復興しません。亡くなった人を思いながら、暮らしていく。

それが日常です。

だから、感傷的な復興活動や、「夢」「絆」「がんばろう」、といった言葉に、違和感もありました。原発事故は、家族や友人の分断を生みました。そんな中で、お母さんたちは、踏ん張り続けています。

コマロンでは、東京でのあらたな暮らしについて、一つずつ、綴っていきます。

【語り手】砂子啓子。宮城県仙台市で始まった子育て中心の暮らしを、転居した東京で再構築し、5年目に入ります。東日本大震災当時、息子たちは2歳と4歳でした。育児、家事、防災、仕事、地域活動。興味関心事をミックスし、複合的視野を持って生活中です。佐賀県出身。2011年3月、被災地と支援者を結ぶ任意団体「i-くさのねプロジェクト」を立ち上げました。2018年、防災士の資格を取得。特技は、子どものころに始めた剣道で、地域の子どもたちにも教えています。

(編集 山内真弓)

「i-くさのねプロジェクト」副代表の畠山さん(右)と。