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2023.09.06

29人犠牲の紀伊半島豪雨から12年 被災の大学生、防災担い手に

 和歌山県内で死者・行方不明者61人を出した2011年9月の紀伊半島豪雨から12年がたった。29人が犠牲となり、県内でも被害の大きかった那智勝浦町で被災した和歌山大観光学部4年の宮井凜晴(りんせい)さん(21)は当時小学4年。現在は被災経験を生かしながらボランティア団体に所属し、防災の担い手へと成長している。【大塚愛恵】

日ごろから意識高めることが大切

 11年9月3日夜、雨脚が強まり、激しい雷が鳴り響いていたことを覚えている。外は暗かったが、家族4人で暮らしていた家から見える太田川の水量が増えているのが分かった。家族は小学校に避難して一夜を過ごした。

 翌日になると被害が判明。両親らが先に片付けていた家に戻ると、一階が床上数センチの浸水。ブロック玩具の建物が泥まみれになっていて子どもながらにショックだった。自宅は数日で復旧したものの、被害が大きかったのは自宅より太田川の上流にある祖父母の家だった。天井近くまで浸水し、棚が斜めに倒れ、床板が外れた箇所もあった。掃除する大人の姿を見るうち、「自分にも何かできないか」と考えた。断水で掃除の水の確保が難しかったため、敷地内にある田んぼにたまった雨水を大きなバケツなどにくみ、台車に載せて何度も運んだ。

 現在は同大の災害ボランティア団体「むすぼら」に所属している。きっかけは21年10月に起きた和歌山市の六十谷水管橋の崩落だ。住んでいた自宅が断水し、宮井さんは実家に身を寄せたが、団体が給水場所で水の運搬の手伝いに励む様子をニュースで知った。

 宮井さんは「被害に遭いながらもボランティアをしている和大生がいる。何か自分にもできたことがあるのでは」と自問。「紀伊半島豪雨での被災経験もあり、周囲の大人が落ち込まずに黙々と片付けを進める姿を見て、自分も手伝おうと思えた。被災時は未来が見えなくなることもあるけれど、自分が前向きに動く姿で少しでも被災者の助けになりたい」と考えた。

 これまで、団体が開くイベントで災害時のロープの活用法や非常食の作り方などを学び、自身の防災スキルを磨いてきた。8月には東日本大震災の被災地へ足を運び、被災した建物をそのまま残す「東日本大震災遺構・伝承館」(宮城県気仙沼市)を訪問。被災者に体験を聞いたり、災害時にできる支援を考えたりするスタディーツアーに参加した。

 宮井さんは「災害は忘れたころにやってくる。都市部では防災訓練も少ない印象があるが、『いつ起きるか分からない』と日ごろから意識を高めておくことが大切」と静かに話した。

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