ソーシャルアクションラボ

2023.09.08

卒園式のコサージュ|こたえは森の中~森のピッコロようちえんの冒険❷ 子どもは「その日」に照準を合わせている

森のピッコロようちえんでは、大人全員で卒園式を作っている。卒園式のコサージュ作りは、ずっと以前の保護者が「子どもが自分で作るのはどうか」と発案し、その年から続いていた。保育時間外で作った時期もあったが、いつのまにか保育時間内で作るようになり、それもとてもいい時間だった。

ただそうでなくても3学期は子どもが忙しいので見直して、コサージュは原点に戻って「保育時間外で保護者と作る方がいい」という結論になった。子どもたちには「明日は(ピッコロで)コサージュ作り」と伝えたが、その日の朝に保護者と作る旨を伝えたら「え―!中島(私)と作りたかった――!たいち(昨年の卒園児)たちずるーい!」とブーイングがあり、私はとても驚いた。

それは中島が好きということではなく、毎年の卒園児の保育時間中のコサージュ作りを見て、それを卒園までの1つのステップとして認識していたのだと思い、とても申し訳ない気持ちになった。

ただすでに保護者が放課後のコサージュ作り用に布やボンドや多くのものを並べ、準備してくださっていた。迷ったが保護者に子どもたちの意向を伝え、「放課後でなく午前中(ピッコロの保育時間内)にコサージュを作るのはどうか」という話し合いを始めた。

だが、その日は年少男児えっせいの誕生日だった。ピッコロの誕生会は誕生児だけの日で、全員が朝からその子に想いを寄せる。誕生会は午後なので年長児は出られるが、午前中の自由遊びの時間にみんながえっせいと遊べなくなる。えっせいに聞いたら「いいよ〜」とご快諾。えっせいのお母さんにも聞いたら「子どもがいいと言うのならいいです」と言ってくれた。

すると年中保護者から「えっせいの日なのに、年長児がコサージュに想いがいく環境を作ることを私にはできない」という声も出て、みんなでいろいろ考えた。結局その日は誕生児の日を重視して、コサージュ作りへの変更はなしで、後日中島と作ることになった。

保護者は早く来て準備してくださったのに嫌な顔を少しもせず、子どもたちの想いを第一に考えてくださった。

当日の朝に子どもの想いに沿って保育内容を変更できる施設は、今まで勤めたどこの園にもなかったので、私はここの大人たちに感動した。

子どもたちもさぞかし喜ぶと思い、私は嬉々として変更した内容を伝えたら
「え―!じゃあ今日の(今日の放課後にコサージュを作る)方がまし!」と言われた。

ええええ!中島と作りたかったんじゃなかったの!!と腰が抜けた。

子どもたちは今日作りたいのだ。

卒園へのステップの1つとか、中島と作りたいとか、そんなことより今日作ることの方が何倍も大事だった。

私はピッコロの大人たちの「子どもたちを真ん中に」という姿勢に本気に感動していただけに、子どもとのズレ加減が衝撃的で、「子ども理解」や「幼児教育家」と言いながら、全くの少しも子どものことがわかっていなかったことに申し訳なく涙が出た。全然ダメじゃん!

そういえば子どものころ、休日に出かける予定を急に1週間延ばされ、とてもがっかりしたことを思い出した。大人は中止でなく延期だからいいだろうと思うが、

子どもは「その日」に気持ちの照準を合わせている。

ワクワクする、ドキドキする、楽しみ、早く〇日にならないかな!と、その想いが人生を作るが、また延期、また変更、どうせまた・・・と生きるのに大事な何かが削がれていくのか。

世間的に言えば、子どもの意向で当日の保育内容が変わるのは奇跡的なことだが、大事なことは違っていた。

以前卒園児に「大人は余計なことが山積みにあって、楽しく気軽に生きられていない感じ」と言われたことがあるがこのことだ。私(大人)は大事なものやその順番がわからなくなっている。え、生きるのに本当に大事なものって何ですか。

仕事?健康?やりがい?平和?生き方?子どもとの時間?肩書き?お金?自然?効率?自由?癒し?

ええええ、どれなの?そしてその順番は?

私はピッコロで大泣きした。その日から「大事なもの」の順番を変えてみたら、最近景色が違って見える。それが正解かはわからないが、さらに少し幸せになったような気はする。

子どものころには明らかにわかっていた自分なりの順番を、子どもを通して取り戻すことが、大人がより幸せになる方法なのかもしれない。

 

山梨県の子育て応援フリーペーパー「ちびっこぷれす」から掲載。
写真は、すべて加々美吉憲編集長撮影。

【書き手】中島久美子。幼児教育家。「森のピッコロようちえん」代表。東京・横浜・山梨県内の幼稚園・保育園に勤務後「時間に追われることなく、子どもと向き合う保育をしたい」と、「ピッコロ」をお母さんたちと立ち上げる。

小学館雑誌「3、4、5歳児の保育」(2010年2月号の第45回「わたしの保育」)において、保育での出来事を綴った「動物の死」が大賞受賞。地球元気村特別講師。2021年にドキュメンタリー映画「Life ライフ~ピッコロと森のかみさま」が公開された。保育のモットーは「一人一人を丁寧に。流さない保育」。9月から、オンライン連続講座「ピッコロと『10の姿』〜しあわせをつくる子どもたち」を開催予定。

【視察のご案内】

自然の中で生き生きと過ごす子どもたち。自分の頭で考えて、自分で決める子を育てる保育。 子どものすごさを肌で感じられる機会です。保育関係者、教育に関わる会社の方や先生方、子育て中の方、研究者や学生など、幅広い方々からご参加いただいています。
【次回日程 9/15(金)8:50〜16:15ごろ】

9:00- ミーティング 9:30- 登園 10:00ごろ- 朝の会、午前の活動 11:30ごろ-昼ごはん、活動
13:30ごろ-帰りの会 14:00ごろ-保護者への報告会 15:15-16:15ごろ 視察の方々と保育関係者や運営者との懇談会 ※詳細、お申込みは「森のピッコロようちえんHP」よりお願いいたします。



コマロンをはじめた山内(2児の母・新聞記者)の、心に残った言葉

子どもたちは、今日作りたいのだ
子どもは「その日」に気持ちの照準を合わせている

 

「ママ、きょう、保育園でね・・・」

ある日の夕方。お風呂掃除をしていると、むすこが私に声をかけてきた。でも、泡を流すシャワーの音で、声がかき消される。早く掃除を終わらせたくて、「ちょっと待って~」といなしているうちに、その声はまったく聞こえなくなった。

ひととおり家事が落ち着いてから「さっきの話、なんだった~?」と聞いてみると、「忘れた」。そのあと、なんとなくふきげんで、寝かしつけまでの道のりが遠く感じた。そのありようは、彼なりの意思表示なのだ、と私は悟った。

むすめと「明日、一緒にパンケーキを作ろう」と約束していたのに、私が仕事で余裕を失って、急に「また今度ね」と伝えたこともあったなあ。むすめは私の想像を超えてがっかりしていて(口には出さない)、胸が痛んだ。パンケーキを作る余白さえない自分にもがっかりした。

大人のペースや優先順位で進めすぎると、子どもの「今」を逃す。でも、子どもの「今」は、大人の私が思うより、ずっと重いものなのだな。

・・・・・・と気づき、暮らしが崩壊しない範囲で、我が子の「自分なりの順番」に付き合うようにしていたところ、中島先生のこのコラムと出会った。誰とも共有してこなかった小さな日常を肯定されたような気がした。大人の世界では言語化されない「大切なこと」が、中島先生の言葉には詰まっている。

今、わたしの話を聞いて欲しい――。園や学校から帰ってきて、靴下を脱いで、気が緩んだとき。おやつを食べたあと。寝る直前。親や、誰かに話したいタイミングは、きっとそれぞれ。「その時」になるべく我が子に向きあうために、大人の暮らしにも余白が必要だな、と改めて思う。