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2023.09.23

台風13号豪雨で浸水の日立市役所 建設前から指摘されていた危険性

 台風13号に伴う記録的な豪雨で8日、茨城県の日立市役所西側を流れる数沢川が氾濫した。東日本大震災を契機に「災害に備える防災拠点」として2017年に建設されたばかりの新庁舎の地下階は120センチの高さまで浸水。受電設備と非常用発電機が水につかり、一時機能不全になった。惨状を目の当たりにした小川春樹市長は「想定外の出来事だ」と語ったが、建設準備の段階からその危険性は何度も指摘されていた。

 新庁舎は12年2月の市議会全員協議会で吉成明市長(当時)が、旧庁舎西側の駐車場に建設すると表明した。複数の候補地から①自然災害に対する安全性が確保できること②市の中核的な場所に位置していること③既存の市有地を活用できること――などの条件に基づいて選定された。旧庁舎での業務を継続しながら建設用地を確保するため、敷地内を流れる数沢川は流路を付け替えた上で暗渠(あんきょ)(地下水路)化されることになった。

 市は新庁舎建設に向け、12年5月から16年11月まで「市民懇話会」を計11回開き、学識経験者や各種団体の代表、市民公募委員など15人から意見を聞き取った。震災が庁舎建て替えのきっかけとなったこともあり、耐震性などに多くの時間が割かれた。

 一方で、メンバーからは数沢川について懸念の声が複数上がっていた。市ホームページに掲載された会議録によると「近年の雨量は異常。新庁舎の後ろを流れている川からの冠水の心配はないのか」「流木が詰まってあふれることも考えられるのでは」などと指摘している。

 市側は数沢川について、1999年10月27日に市役所で観測された1時間当たり88ミリの雨でも氾濫しなかったデータを根拠に「十分な排水能力がある」としつつ、河川の付け替えに伴い改修する考えを示した。改修は流域に1時間当たり約50ミリの雨が降り、1秒当たり約40トンの水が流れ込むと想定。深さ3・3メートル、幅4メートルだった川の断面は、コンクリート製の高さ3メートル、幅5メートルに広げられた。

 13年3月、コンペにより新庁舎の原案が選定され、受電設備などが地下に置かれる全体像が明らかになった。同年7月の懇話会ではメンバーが改めて「(地下階で)冠水などの対策は十分取られているのか」と問いただしている。市は地下階に雨水貯留槽を設け、ポンプで排出する仕組みを整備した。

 しかし、こうした対策は機能しなかった。市内は観測史上最多となる1時間93ミリの降水を記録し、数沢川は暗渠の入り口手前で氾濫した。大量の水が流れ込んだ地下の雨水貯留槽はあふれ、受電設備などが浸水、ポンプは動かなくなった。小川市長は「職員総出で水を防いでいたが、地下の方は防ぎようがなかった」とうなだれた。

 新庁舎建設決定の経緯を知る市の元幹部は、死者・行方不明者31人の被害を出した1947年のカスリーン台風と今回の水害を重ね合わせる。カスリーン台風では市役所北側を流れる宮田川の橋に流木などが詰まって氾濫、日立鉱山の社宅などを押し流した。元幹部は「暗渠にしたことで流木などが詰まった可能性がある。開渠だったら水があふれても1カ所で集中することはなく、庁舎の浸水は避けられたかもしれない」と指摘する。

 市では原因を調査し、川の改修や排水機能の増強など対応策を検討する。【田内隆弘】

かつては数沢川が流れ込む「弁天池」

 日立市役所の敷地はかつて、数沢川が流れ込む「弁天池」だった。1939(昭和14)年に日立町と助川町が合併した際、両町の境界付近に近かったこの池を埋め立てて庁舎を建設することが決まった。

 79年に市郷土博物館が発行した広報紙で、当時を知る住民が思い出を振り返っている。

 それによると農業用水を目的としたため池で、ほとりに弁天様がまつられていたことから「弁天のため」と呼ばれていたという。「大水増しもたびたびありました」「夜中に大雨が降って、畳がもちあがってきて、大水増しに気づいたことがありました。このときは、ため池は満水となり、私の家は床上浸水で、牛たちの腹まで水につかりました」とあり、大雨の際の調整池の役割を果たしていたことがうかがえる。

 弁天様は「助川下町弁財天」のことだと思われる。池が埋め立てられた後も市役所敷地内にあったが2013年、新庁舎建設のため市役所南側に移転している。

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