ソーシャルアクションラボ

2023.11.10

見守ることの難しさ|こたえは森の中~森のピッコロようちえんの冒険❸「待つ」ことと、「待たない」ことを見極める

私が小学5年生のとき、クラスで髪の毛がボサボサで薄汚れた衣服を着ている女子がいた。今でいうネグレクトの状態だったのかもしれない。その日、担任の先生が教室に来る前に数人の男子が代わる代わるその女の子の机に乗り「貧乏!貧乏!」とからかっていた。その子は何も言わず下を向いて座っていた。

すると、そこに担任のベテラン女性教師が入って来た。彼女は一目散に机に近寄り男子を止め、教壇に立ち、唇を震わせて男子に怒った、というか泣いていた。

当事者の男子だけでなく、静まり返った教室にいた誰もが事の重大さを知った。情けないことに、私もこれが先生が唇を震わせるほどの悪いことだとわからなかった。その先生はあまり好きではなかったが、その日から少し好きになった。

数年前、ピッコロで子どもが「先生、大変!」と私を呼びに来たので、ビニールハウスに行ってみた。ケンカは終わっていたので事情を聞いたら、こんなことだった。

年中男児が落ちていたカードを拾った。実はそのカードは年長男児のもので、同じ年長男児4人は年中男児が奪ったと勘遠いし、数人でその子を囲み帽子を取ったりこづいたりした。

年中男児は「やめて」と言ったがやめず、泣いたらやめた、ということだった。私はまさかと思ったが、本人たちが間違いないと言うので確かなことだ。

がーん。勘違いは仕方ないが、大勢で小さい子を囲むのは私には卑怯(ひきょう)に思えた。

その日は森に行かず、私と4人はビニールハウスで正座で真剣に長時間話をした。私は彼らを信じていたので、泣きそうになりながら怒りもし、とても悲しかった。この場合「待てばいつかわかる」という保育の選択もあるが、幼児は大人が介入することによって卑怯ということがわかるのではないか。

普通のケンカは子どもたちで解決すればいい。だが、このときは放置してはいけないと思った。この卑怯という、とてもいけないことを見て見ぬふりをする大人の姿を学ばせるのではないか、と思ったのだ。待つ保育とは待つ」ことと「待たない」ことを見極めることだが、毎瞬難しいし、答えはないし、その子によっても違うので臨機応変だし、私の生き方も関係する。

ふ〜、深い仕事に就いたものだ。

またこの子たちは、もうすぐ私の手を離れ小学生になる。小学校に任せる気か。

そうやって小学生になったらわかる、中学生になったら、大人になったらと、生きるのに大事なことをどんどん先送りするのは、もしかして逃げではないか。事にはふさわしい年齢がある。成長具合によって準備できてないことは先延ばしにするしかない。

年長児は卑怯ということを理解できる。だからこのときは待たずに保育をした。 私は幼稚園や保育園に勤務時代、思い込みで怒ったり、待たなかったりして、数々の失敗をしてきた。だが反対に待ちすぎての失敗もあると思う。

「待つ」や「見守る」という名の放任だ。覚悟を持っての「待つ」ならいいが、待つのか待たないのかがわからない(判断力不足)ので、「見守る」という都合のいい言葉で放置する。言葉は同じでも全く違うので、大人(私も)もいつも自分の心を見た方がいい。

私を呼びにきたのはケンカが収まってからだったが、見ていた子はなぜ止めなかったのかと、私はそこも気になった。帰り際に確認したら年長女児も見ていたのだ。

私は年長児なのになぜ止めなかったのか!と苛立ち、彼女に聞いたらこう言った。

「これはとっても悪いことだから大人が怒った方がいいと思った。ただ血が出るといけないから私はそばで見ていたの」と。

ほう、ありがとう。そして頭ごなしに怒らなくて本当によかった。彼女はこのケンカの卑怯さがわかったのだろう。そしてそれは大人がやることだと言った。私が長時間彼らに向き合った姿を見て、彼女はどう思ったか、また私が放置したらどうだったのか。

待つ保育は短期間ではできない。「見守ろうか」「入ろうか」「あ、やっぱり待とう」「まてよ」・・・・と、5時間の保育中、頭の中はかなり忙しく、場はどんどん進むので脳の瞬発力もいる。帰宅後、夕食の用意のときや風呂でもその日の保育がよかったのかを考え続けている。また子どもに任せるからといって手放してはいない。口は出さないが、見ているし心は寄せている。毎日の積み重ねが今の保育を作り、これからも私の保育を作っていくのだろう。

そしてこの件は、保護者も自宅で丁寧に向き合ってくださった。園だけいい教育ではできないのだ。

山梨県の子育て応援フリーペーパー「ちびっこぷれす」から掲載。
写真は、すべて加々美吉憲編集長撮影。

【書き手】中島久美子。幼児教育家。「森のピッコロようちえん」代表。東京・横浜・山梨県内の幼稚園・保育園に勤務後「時間に追われることなく、子どもと向き合う保育をしたい」と、「ピッコロ」をお母さんたちと立ち上げる。

小学館雑誌「3、4、5歳児の保育」(2010年2月号の第45回「わたしの保育」)において、保育での出来事を綴った「動物の死」が大賞受賞。地球元気村特別講師。2021年にドキュメンタリー映画「Life ライフ~ピッコロと森のかみさま」が公開された。保育のモットーは「一人一人を丁寧に。流さない保育」。9月からオンライン連続講座「ピッコロと『10の姿』〜しあわせをつくる子どもたち」を開催。

中島久美子先生が執筆したコラムが書籍化されたことを受け、映画上映会+トークイベントを開催!
【日時】
2023年11月19日(日)12〜16時

▼12:30 上映会(約90分)
ドキュメンタリー映画「Life ライフ〜ピッコロと森のかみさま〜」
~休憩(15分)~
▼14:15 トーク(約60分)
心が育つ?どうして育つ?育つとどうなる? 中島久美子先生と保護者のトーク
▼15:15 相談会(参加自由) 入園、視察、移住相談など

【会場】
韮崎市民交流センターNICORI –ニコリ–3階 多目的ホール
http://www.nirasaki-nicori.jp/access.html

JR中央線・韮崎駅 徒歩1分!駐車場もあります。

【参加費】
・大人 2,000円(当日券2,200円)・大学生 1,000円・高校生 500円・中学生以下無料

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小さなお子様とご来場されるお客様へ 別室でお子さまをお預かりする【託児(500円)】と、別室でお子さまと一緒に鑑賞できる【赤ちゃん連れ鑑賞室(無料)】があります。

【お申込み】
事前にお申込フォーム↓よりお申込みください。
https://forms.gle/kdHFBRLSmdLVk1tc7
その他詳細はこちらのFBページへ

【視察のご案内】自然の中で生き生きと過ごす子どもたち。自分の頭で考えて、自分で決める子を育てる保育。子どものすごさを肌で感じられる機会です。保育関係者、教育に関わる会社の方や先生方、子育て中の方、研究者や学生など、幅広い方々からご参加いただいています。
【次々回日程 12/1(金)】
※詳細、お申込みは「森のピッコロようちえんHP」よりお願いいたします。

コマロンをはじめた山内(2児の母・新聞記者)の、心に残った言葉

「待つ保育」とは待つことと待たないことを見極めることだが、毎瞬難しいし、答えはないし、その子によっても違うので臨機応変だし、私の生き方も関係する。

「待つ保育」は短期間ではできない。「見守ろうか」「入ろうか」「あ、やっぱり待とう」「まてよ」・・・・と、5時間の保育中、頭の中はかなり忙しく、場はどんどん進むので脳の瞬発力もいる。

子どもに任せるからといって手放してはいない。口は出さないが、見ているし心は寄せている。毎日の積み重ねが今の保育を作り、これからも私の保育を作っていくのだろう。


中島先生との出会いをきっかけに、子どもを「待つ」というあり方を、大切にするようになった。でも、子育て中は、「待つ」だけで乗り越えられないときもある。「待つ」と「待たない」の線引きが難しい。

そんなモヤモヤが生まれたころ、このコラムと出会った。

保育のプロである中島先生にとっても、「待つこと」と、「待たないこと」の見極めは「毎瞬難しいし、答えはないし、その子によっても違うので臨機応変」なのだと言う。母親になったばかりの私が「難しい」と感じるのは当たり前なのだ。答えはないのだから。

ただ、大人の都合で先延ばしにしたり、子どもに心を寄せずに放任したりするあり方は、中島先生の積み重ねてきた「待つ」とは異なる。私も、「待つ」「見守る」という言葉を、都合良く使わないように、気を配りたい。