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2023.12.07

水を治める 先人たちの決意と熱意、技術に学ぶ 横浜水道ものがたり ~近代水道の父 H.S.パーマー~連載51回 緒方英樹 

飲み水にも困っていた幕末の横浜村

 横浜は、かねてより丘と谷からできていて、平地は少ないところでした。

 1657(明暦3)年の大雨では、13日間の降雨によって大岡川が氾濫して入海に流れ込みました。その入海を長年にわたって埋め立て、吉田新田を開墾したのが吉田勘兵衛を中心とする人たちでした。それを埋め立てた土砂は、現在の京急本線・日ノ出町駅裏手の天神山、また入海を挟んで向かいに位置するJR石川町駅近くの大丸山あたりから掘削されたといわれています。この吉田新田が出来たことで、横浜開港の基礎ができたとも言えるでしょう。

 さて、江戸末期、幕末の横浜村は数百戸の貧しい半農半漁の寒村で、村の飲み水は共同の井戸に頼っていました。ただ、くみ上げられた井戸水は塩辛くて臭いもあったといいます。そのため、近くの村から売りに来る井戸水を買う家庭もあったようです。

明治時代の横浜港
明治時代の横浜港

横浜開港と日本初の近代水道建設

 半農半漁の村だった横浜を開港が大きく変えました。

 日本が日米和親条約により開国して5年後の1859(安政6)年、横浜は開港します。わずか100戸足らずだった横浜村は、明治に入ると急激に人口が増え、街は近代的に発展していきます。

 横浜灯明台役所と横浜裁判所の間に、英国人技師ギルバートによって日本初の電信線が敷かれると、やがて京浜間から日本中に電線が張り巡らされていきます。そうした通信網に代表されるように、鉄道、灯台、洋式公園など横浜発の近代化は全国に流布していきました。しかし、急激な人口増加にもかかわらず、埋立地が多いため、良質な飲み水に恵まれていなかったこと、そして、1877(明治10)年に発生したコレラの大流行で、近代的な水道施設の整備が切望されました。

 近代水道とは何か。広辞苑にその言葉は出てきませんが、発祥の地・横浜市水道局によると「川などから取り入れた水をろ過して、鉄管などを用いて有圧で給水し、いつでも使うことのできる水道のこと」とあります。

 世界最古の水道は、紀元前312年頃につくられた古代ローマのアピア水路だと言われています。日本の縄文時代、ローマでは総延長578キロの導水路を数百年かけて市内へ給水したというから驚きです。

 日本ではそのずいぶんと後、江戸に神田上水、玉川上水、金沢に辰巳用水などが引かれていきました。

日本初の新式水道から近代化への貢献

 神奈川県は,英国人技師ヘンリー・スペンサー・パーマーを迎えます。この時、パーマーは、陸軍工兵隊の技術軍人として香港の近代水道の設計や土木事業を行ってからの帰国途中のことでした。パーマーは相模川を丹念に実地調査して、1885(明治18)年に再来日、相模川上流の相模川と道志川の合流地点である三井(現在の相模原市緑区三井)を水源として鉄管で16.7キロを導き、野毛山に貯水池を造り、水をろ過して、横浜の街に給水しました。

 水を砂ろ過して、油圧で鉄管を通して水を送る近代水道が、パーマーの指導で横浜に完成したのは1987(明治20)年のことでした。

 近代水道の三大発明は、鋳鉄管(ちゅうてつかん)、砂ろ過、ポンプだといわれます。砂ろ過とは、砂利の層の上に砂の層を敷きそこに水などを通すことで不純物を取ることです。パーマーは、この砂を選定する際、ことのほか厳しくチェックしたといいます。

 こうして日本初の新式水道の完成により、横浜市内に配水が開始されると、衛生状態の悪い井戸水や売り水での生活は一変、世界中の船員から「清潔でおいしい横浜の水」と評判になったとか。懸案だった消防用の水源問題も解決しました。

 パーマーは横浜在任中、コレラが流行していた大阪市からも上水道敷設の依頼を受けて現地を調査、設計の基礎となる報告書を書きました。その同時期、東京、神戸、函館の水道計画にも惜しみなく協力しています。

 近代水道工事を厳密に、着々とこなすパーマーに熱い視線を送る人たちがいました。横浜の財界人たちです。横浜港は開港したものの大型船が接岸できる埠頭もなかったため、一日も早く近代的な国際港となることを願っていたのです。とはいえ、大がかりで技術的にも難しい工事が予想されました。さらに内務省の推すオランダ人技術者のデ・レイケ計画案と外務省の推すパーマー案が競い合うこととなり、最終的にはパーマー案が決まります。内務省土木局の名誉顧問技師として工事監督することとなったパーマーは、水道工事の時と同じように細心に進めていきました。

 横浜築港のシンボル、大桟橋にもパーマーは関わっています。石組みのイギリス波止場を鉄桟橋に、さらに二基のドックを設計、三田善太郎、恒川柳作ら日本人技師によって竣工します。現在の「横浜港大さん橋国際客船ターミナル」や横浜ドックにパーマーが尽くしたことを知る人は少ないかもしれません。

 そしてパーマーは、近代貿易港の完成を見ることなく急逝。故郷に帰ることなく築港工事に殉じた54年の生涯でした。横浜の水と港に多大な功績を残しただけでなく、濃尾地震調査や兵庫県御坂サイフォン設計などにも奔走してくれた日本近代化恩人の一人です。

横浜市西区の野毛山公園は、近代水道発祥の地。展望地区に立つパーマーの碑
横浜市西区の野毛山公園は、近代水道発祥の地。展望地区に立つパーマーの碑

緒方英樹(おがた・ひでき)土木学会土木広報センター土木リテラシー促進グループ 土木史委員会副委員長。著書「大地を拓く」(理工図書)で2022年度土木学会出版文化賞を受賞