ソーシャルアクションラボ

2023.12.23

竜巻のがれきから見つかった奇跡の酵母 しょうゆが再生の光に

 2021年5月に静岡県牧之原市で発生した竜巻でしょうゆ蔵が全半壊する甚大な被害に見舞われた、1828(文政11)年創業の老舗「ハチマル」。失意の中から社長の鈴木義丸さん(46)らを救ってくれたのは、がれきの中から偶然見つかった、配管の中で半世紀近くも生き続けていたかつての酵母菌だった。

 蔵の再建にこぎ着け、その酵母菌と厳選した素材を使い、昔ながらの製法で香り豊かな「晴レノ日ノ醬油(しょうゆ)」の商品開発に成功した。鈴木さんは「しょうゆは日本の大事な食文化。先人の思いを次世代につなげていきたい」と決意を新たにする。

 ハチマルは戦前まで県内有数の生産規模を誇っていたが、太平洋戦争でしょうゆが配給制になり縮小。戦後は工業化した大手メーカーに市場を奪われた。効率化を目指した旧中小企業近代化促進法によって同業者と共同でしょうゆ工場を新設したため、工場で生産したしょうゆを調合、瓶詰めして販売する業態に転換。1977年を最後に自社醸造は姿を消した。生き残りをかけて畑違いの電線加工業に進出、今では売り上げの大部分を担っている。

 18年に社長に就任した鈴木さんは、くしくも自社醸造が終わった77年生まれだ。幼い頃からしょうゆ工場のそばで遊び、しょうゆの香りをかぎながら育ったが、伝統製法は昔話に聞くだけ。地元の小学生が工場見学で訪れるが瓶詰めの工程しか見せられず、もどかしさを抱えていたという。

 社員も大半はしょうゆ造りの経験も知識もなかったが「やるなら、代替わりした今しかない」と自社醸造の復活を思い定めた。丹波黒豆の老舗「小田垣商店」(兵庫県丹波篠山市)や、富士山のふもとの「富士正(ふじまさ)酒造」(静岡県富士宮市)を訪ね、黒豆や湧き水を提供してもらった。

 21年3月、手探りの試験醸造を始めた。再開に際しては「半世紀前の味を再現した上で、さらに洗練されたしょうゆ」と目標を高く掲げ、制約を設けずに材料と製法にとことんこだわった。同業者に設備を借りて教えを請いつつ、原料の黒豆を丁寧に処理し、三日三晩徹夜で麴(こうじ)を育てた末、ようやく「出麴(でこうじ)」(麴の完成)を迎えた。出来栄えを楽しみにしつつ、伝統の木おけに原料と収めた。

 それから間もない5月1日夕方。大雨と、経験したことのないような強風に胸騒ぎを覚えた鈴木さんが蔵の様子を見に行くと、蔵が倒壊していた。翌朝、明るくなるにつれて被害状況が分かった。3棟が全壊、2棟が半壊。静岡地方気象台によると付近に風速55メートルの突風が吹き荒れ、竜巻が発生したとみられている。被害のすさまじさにショックを受けたが、駆け付けた災害ボランティアや同業者の助けを借りて設備や製品を懸命に掘り出した。木おけは奇跡的に無事だった。

 被災から10日後、蔵の天井から落下していた配管がたまたま目に付いた。調べてみると、中に黒色のもろみが詰まっているのが見つかった。分析したところ、酵母菌の生存が確認された。自社醸造を終えた77年から人知れず生き続けていたのだ。いわば鈴木さんとは「同い年」。「これは祖先が私たちに託してくれたメッセージだ。失われた歴史を取り戻す」と奮い立ち、蔵を再建して翌22年の仕込みに使うことを決めた。

 蔵は全壊のうち2棟を建て直して半壊2棟を修理し、醸造再開にこぎ着けた。そこに新たな人材が加わった。井木(いぎ)翔二郎さん(30)。求人に応募したところ鈴木さんの再建にかける熱意を面談で聞き、21年9月に岩手のしょうゆメーカーから転職した。一般的な醸造に比べて塩と水を2割減らし、原料と同じ割合(10割)にする「十水(とみず)仕込み」は国内ではほぼ見られなくなった製法で、素材のうまみが生きる。木おけの中のもろみをかい棒でかき混ぜるのも相当な力が必要だ。井木さんの手は潰れたマメだらけで、肩は入社当時から二回りほどたくましくなった。鈴木さんと二人三脚でしょうゆ造りに励む。

 約半世紀ぶりに発見した酵母菌で醸造したしょうゆは、自然な甘みと濃厚なうまみ、独特の香りの絶妙なバランスが引き出された。「希望の光、再生のシンボルになってほしい」との願いを込めて「晴レノ日ノ醬油」と名付けた。150ミリリットル2本セットで4070円。「応援購入」のサイト(https://www.makuake.com/project/hachimaru/)で30日まで先行販売している。【松本信太郎】

関連記事