ソーシャルアクションラボ

2023.12.27

水害と地名の深~い関係 「人と天然との交渉」――柳田国男を継承する。 ~連載40回【最終回】 谷川彰英(作家、筑波大名誉教授) 

柳田国男「地名の研究」

 私の地名研究は柳田国男の思想に拠っている。柳田が「地名の研究」(1936年)に書き残した次の一節を片時も忘れたことはない。 

 「最初の出発点は、地名は我々の生活上の必要に基いてできたものであるからには、必ず一つの意味をもち、それがまた当該土地の事情性質を、少なくともできた当座には、言い表わしていただろうという推測である。官吏や領主の個人的決定によって、通用を強いられた場合は別だが、普通にはたとえ誰から言い始めても、他の多数者が同意をしてくれなければ地名にはならない。親がわが子に名を付けるのとはちがって、自然に発生した地名は始めから社会の暗黙の議決を経ている。従ってよほど適切に他と区別し得るだけの、特徴が捉えられているはずである。ところが現在の実際はどの地方に往っても、半分以上の地名は住民にも意味が和から判らなくなっている。世が改まり時の情勢が変化して、語音だけは記憶しても内容は忘却せられたのである。 

 過去の或る事実が湮滅(いんめつ)に瀕して、かろうじて復元の端緒だけを保留して居たのである。もう一度その命名の動機を思い出すことによって、なんらかの歴史の闡明(せんめい)せらるべきは必然である。だから県内の地名はどのくらい数が多くても、やはり一つ一つ片端から、その意味を尋ねていく必要もあり、また興味もあるわけである」(引用は「柳田国男全集」ちくま文庫、第20巻より) 

 この一節を何百回、いや少しオーバーに言えば何千回読み返したかわからない。読むたびに地名研究の必要と意義を再認識させられてきた。この度書籍化した『全国水害地名をゆく』(インターナショナル新書)の書評で毎日新聞から「地名ハンター」の異名を頂戴したが、まさに半世紀にわたる地名ハントの人生はこの柳田国男の思想に支えられるものだった。もちろん全国隈なくというわけではないが、テレビニュースに登場する大方の都市・地域には地名ハンターとして伺ったことがあり、それぞれに忘れえぬ思い出がある。地名研究でここまで現地調査を行った人はいないだろう。 

 前号で述べたように、調査で訪れた地名は優に1000箇所を超えるが、不思議なことにそれぞれについて写真で見るように現地の光景を思い浮かべることができる。これは私が密かな誇りとしてきたことであった。 

不朽の名著 柳田国男「地名の研究」(古今書院、1936 年)

「人と天然との交渉」

 柳田は続けてこう言う。 

「いわゆる人と天然との交渉をこれ以上に綿密に、記録しているものは他にはないわけである。これを利用せずに郷土の過去を説こうとする人が、今でも多いということは私には何とも合点がいかない」。(同上) 

 ここに登場する「人と天然との交渉」という言葉に私は強く惹かれた。人は自然環境との調和を図りながら生存してきた。人は土地を見てそれにふさわしい地名を命名し、そこに様々な思いを託してきた。その思いに対して自然も様々なリアクションを起こしてきた。それが「人と天然との交渉」である。 

 その交渉の結果、人と自然の間には様々なドラマやエピソードが生まれることになった。地名は無言のまま、それらのドラマやエピソードを受け止め保留してきたのである。そのドラマ・エピソードの一つが水害である。 

 本連載ではそのドラマとエピソードを描こうと試みた。水はしばしば水害を引き起こして人々の生活を危機におとしめる。だが、一方で水は人々に命を与え、生活の糧となる富を与えてきた。両者は今後も共存していくしかない。 

 今から三十数年近く前、アメリカの学会で企画された環境教育のセッションに日本側の提案者として参加したことがある。その時初めてSustainable Development(持続可能な開発)という言葉を知った。これは「環境と開発に関する世界委員会」が1987年に公表した報告書「Our Common Future(我ら共有の未来)」の中心的な考え方として取り上げた概念で、「将来の世代の欲求を満たしつつ、現在の世代の欲求も満足させるような開発」のことを言うとされている。 

 現代では我が国でも持続可能な開発目標(SDGs:Sustainable Development Goals)はごく当たり前に論じられているが、柳田国男が説いた「人と天然との交渉」という視座はその先駆けだったと言える。 

谷川彰英 博士論文 (三一書房、1996 年)

「世のため人のため」 

 私は柳田国男の学問論に惹かれて博士論文を書いた。柳田は生活上の素朴な疑問から学問から始めるべきとして日本民俗学を打ち立てた。そして、学問は人々の幸福のために役立つものでなければならないと繰り返し説いた。柳田の言葉を借りれば、「世のため人のため」に貢献しなければならない、ということである。そしてその幸福の実現は教育の力に待つと考えた。私はその示唆を受けて必死に地名を追いかけてきた。 

柳田国男関連蔵書(我が家の「書斎」兼「書庫」兼「病室」より)

 本連載は筋萎縮性側索硬化症(ALS)との闘病のもと、手足は動かず発声もできない過酷な状況で書き上げた。常識的に考えれば不可能なこと、奇跡と言えるかもしれない。そんな私を支えてくれたのは、繰り返し襲う水害に負けず生きようとする人々のエネルギーである。それがある限り、 

人は人を幸せにできる。きっと… …

そう確信している。 

長い間のご愛読、ありがとうございました。           

谷川彰英(たにかわ・あきひで) 作家、筑波大名誉教授