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2024.02.01

新潟県、住宅被害1.3万棟超 罹災調査4割 能登半島地震1カ月

 新潟県内で最大震度6弱を観測した能登半島地震の発生から、1日で1カ月がたった。住宅被害は31日時点で1万3086棟に達し、現在も被害状況の確認が続く。復興は道半ばだ。【池田真由香、内田帆ノ佳】

転居か、残るか 液状化被害大きく

 今回の地震では、新潟市の小学5年、吉岡咲哉さん(11)が帰省先の石川県輪島市で被災し死亡が確認された。ほかに県内で5人が重傷、44人が軽傷を負った。住宅被害は新潟市西区や上越市などを中心に、全壊90棟▽半壊1894棟▽一部破損1万1088棟が確認されている。学校の被害もあり、建物を支えるくいのひび割れなどがあった坂井輪中学校(新潟市西区)では、今も一部の学年でオンライン授業が続く。

 液状化被害が大きかった新潟市西区では、被災した住民たちが区役所に開設された被災相談窓口に、罹災(りさい)証明書の交付や自宅改修の相談などで連日訪れている。

 「もう1カ月になる。雨雪で地盤が緩み、家が沈んで傾いたまま」。同市西区小針南の一戸建てに住む一人暮らしの女性(72)はそう話す。罹災証明書で「大規模半壊」判定を受けた自宅は南方向に傾き、玄関前のコンクリートは割れ、ブロック塀は道路側になぎ倒された。「『頑張れ、頑張れ』と自分に言い聞かせながら過ごしている」

 地震の3日後、不動産屋を介して同区内にある一軒家の借家を探し始め、2月初旬の引っ越しを決めた。自宅の解体費用は市の補助で無料だが「地盤も悪いので建て替えなんて無理。でも結婚後45年以上住んでいる西区が好き。落ち着いたらもっと耐震性のある借家をもう一度探したい」と前を向く。

 一方、罹災証明書で「準半壊」判定を受けた同区寺尾東の男性(80)は応急修理を行い、住み続ける選択をした。この日は窓口で建築士からアドバイスを受けた。市の補助金などもあるが「足りるわけない。直そうとすると最大で補償額の10倍はかかる」と言う。自宅は海抜マイナス1・5メートルの地点。液状化により自宅の一戸建てが沈み、居間の真ん中が盛り上がっている状態という。

 男性の妻(77)は「家の中で時々よろける。この年になると建て替えは踏み切れない。修繕すれば住めるだろうか」と話し不安げだった。

 新潟市の罹災証明書の申請は28日時点で1万970件で、申請に対し調査済みは約4割にとどまる。市は当初1月中に調査を終了する予定だったが、想定以上に被害件数が多く2月までかかる見通しだ。

 同区にある築20年ほどのアパートの管理人、栢森哲昭さん(82)はいまだに建物が調査されていないことから窓口を訪れた。地震発生直後、アパートに向かうと、外からも傾きが確認でき、敷地内は水浸しだった。「地価も下がり、修繕費など負担もあるが覚悟している」と話す。アパートの入居者からは「ビー玉を床に置くと転がっていく」といった声が上がっているという。「調査が終わらなければ手を打てない。何カ月かかるかわからず不安だ」とつぶやいた。

商業施設、縮小営業続く店も

 地震で2階部分が損傷した「アピタ新潟西店」(新潟市西区)では、今も休業中が10店舗、1階の通路などで縮小営業している店が14店舗ある。

 運営する「パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス(PPIH)」(東京都)によると、スプリンクラー破損による水漏れ、エスカレーターの損傷などがあった。特に2階の被害が大きく関係者以外の立ち入りを制限中で、まだ被害の全容を把握できていないという。

 主に食品や女性向けの衣料品を扱う1階は通常通り営業しており、同区の女性会社員(41)は「食料品を扱う1階がやっているだけありがたい。2階は子ども向けの店舗が多かったので、子どもの楽しみはなくなっているかも」と話す。

 1階の通路に仮店舗を設け営業している雑貨店の女性店員(30)は、「食器が割れたりしたが、売り上げがなくなるので、小さくても仮店舗で営業再開した」という。年始は例年、帰省客や親子連れでにぎわう時期だっただけに縮小営業は痛手だ。しかし「目立つのか足を止めてくださるお客様も多い。普段と違う客層のお客様に『応援しているよ』と言っていただくこともあり、励みになっている」と前向きだ。

 PPIHによると、2階の再開時期は未定で、担当者は「お客様の安全が確保された段階で再開する。一日も早い全面営業再開を目指す」と話す。めどが立ち次第、店頭およびホームページで報告する予定だ。

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