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2024.02.26

「被災者の心身のつらさに衝撃」 石川に派遣看護師、支援経験を報告

 1月に発生した能登半島地震の被災者支援に派遣された兵庫県宝塚市立病院の看護師、向井楓(かえで)さん(29)が取材に応じ、避難所で生活する人たちの健康維持を担当した経験を語った。薬も十分に備えられていない環境の中、災害で心に傷を抱えた被災者への支援は想像以上に困難で「被災地という通常の看護が難しい世界でお世話をしないといけなかった」と振り返った。【土居和弘】

 向井さんは、県看護協会に登録する「災害支援ナース」で、2月5~8日に石川県に赴いた。派遣場所は同県が設けた1・5次避難所の「いしかわ総合スポーツセンター」(金沢市)。高齢者や障害者ら配慮が必要な被災者がホテルなど2次避難所に移るまでの間一時的に滞在していた。全国から集まった看護師37人と支援にあたり、夕方から翌朝までの夜勤もした。

 向井さんは兵庫県養父市生まれ。母、祖母も看護師で、高校生の時に心臓発作で倒れた祖父に心臓マッサージをして救命した祖母の姿を見て、同じ道を歩むことを決めた。市立病院では救急医療センターで勤務。2022年に災害支援ナースに登録し、被災地派遣は初めてだった。

 担当したセンターのメインアリーナでは、被害が甚大だった輪島市や珠洲市などから避難した170人超がテントの中で生活をしていた。向井さんらはテントを順番に訪ね、健康状態を聞き取った。

 テントを回ると、地震の体験を話し始める人が多かった。「早く家に戻りたい」「これからどうなるのか」と不安を語る人たちの言葉を遮らず、耳を傾けた。輪島市が避難した80代の夫婦は、地震で50代の息子を亡くしていた。「自分たちが死んだ方が良かった」。返す言葉が見つからなかった。

 重い病気やけがをした人はいなかったが、「ほとんどがお年寄りで、基礎疾患がある方が多かった」と話す。心臓が悪く体を動かすと息切れがする人、身体のむくみ、不眠、便秘などを訴える人など、みな何らかの不安を抱えていた。

 また、感染症対策も大きな仕事だった。新型コロナウイルス感染者や、ウイルス性とみられるおう吐や下痢の症状のある人もいた。発熱しても周囲に知られたくないのか「たいしたことはない」と診察を数日間断わり続けた人もいた。

 昼間はアリーナに開設された診療所の医師につないだが、常備されていた薬は市販薬が中心。包帯やガーゼに事欠くこともあった。看護師だけでなく応援の保健師、薬剤師、介護士らも常駐するが、カルテの行方が分からなかったり記入漏れがあったりして、病院とは勝手が違った。「避難所は生活の場だと実感した。被災者の健康管理を十分にできず、もどかしい思いもした」

 20日に病院内で開かれた報告会で活動を説明した向井さんは「被災者が不自由な生活を送り、心身ともにつらい思いを抱えていることに衝撃を受けた。次の落ち着き先も決まらない人もいて、まだまだ寄り添う必要がある。今回学んだことも多く、再び機会があれば、手をあげたい」と話した。

災害支援ナース

 大規模災害の時に派遣され、被災者に適切な看護を提供する。1995年の阪神大震災で、県看護協会と県立看護大(当時)が連携して看護ボランティアの派遣調整をしたことがきっかけで生まれた。能登半島地震にはこれまでに全国の看護協会から延べ2958人が派遣された(今月末で終了予定)。研修を受け登録されるが、4月からは感染症の発生・まん延時の活動も追加される。対応する新たな研修を履修した県内の登録者は270人。

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