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2024.03.09

「瀬戸芸にすがるのは考えもの」豊島産廃跡地 自力で学びの島に

 国内最大級の産業廃棄物の不法投棄があった豊島(てしま)(香川県土庄町)の産廃処理事業の終了から1年近くがたった。跡地は今後どうなるのだろうか。私は撤去運動に長年関わってきた安岐正三さん(73)に現場を案内してもらった。「教訓を伝えていくためにも、瀬戸内国際芸術祭で作品が置かれれば、多くの人に訪れてもらえるのでは」と聞くと、安岐さんは「それは考えものだ」と否定した。なぜなのか、そこから取材を始めた。

「まずは原状回復だ」

 島は約14・5平方キロに約770人が暮らす。豊島と聞いて「アートの島」を思い浮かべる人は少なくないだろう。2010年に始まった瀬戸内国際芸術祭(3年に1度開催)の会場の一つになり、島内10カ所以上にアート作品が設けられる。22年の会期中には約9万7400人が訪れた。

 安岐さんは島民組織「廃棄物対策豊島住民会議」の事務局長を務める。冒頭の問いに「跡地利用なんてまだ先のこと。まずは原状回復だ」と続けた。

 不法投棄現場は島西端にある。県は産廃や汚染土約91万3000トンを撤去し、23年3月に土地の整地を終えた。しかし汚染された地下水は、長期間飲用しても健康に影響しない「環境基準」に達していない。今後は雨水の浸透による自然浄化に委ねられる。達成されれば、県から島民側に土地が戻されるが、有害物質の一つ、ジオキサンは最大62年が必要との試算もある。安岐さんは「自分が生きている間は無理だろう」とも言う。

 島民は不法投棄した業者と、知りながら放置した県を相手に闘ってきた。県への不信感から目の前の岡山県玉野市に吸収合併を求めて陳情したこともあった。公害調停が成立して香川県知事が島民に謝罪したのは00年。業者が不法投棄に向けて動き出してから25年がたっていた。

 そんな経緯があるからこそ、被害を語り継ぐ「豊島のこころ資料館」を02年、行政に頼らずに自力で現地に整備した。県などの実行委員会が主催する瀬戸芸にすがる発想がないのは当然かもしれない。同館を含む現場一帯の見学者は新型コロナウイルス禍以前で年間2000人程度、23年は1000人弱が訪れた。

 24年2月には、「NGP日本自動車リサイクル事業協同組合」(東京)の9人が現場周辺の枯れ木を抜いたり、木々に巻き付いていたつるを刈り取ったりした。「かつての景観を戻せないか」と島民から相談を受けた岡山大大学院の嶋一徹教授が15年から植生の回復に取り組んでいて、NGPがボランティアとして協力を続けている一環だ。

 豊島の産廃の多くは自動車の破砕くずで、05年の自動車リサイクル法成立のきっかけにもなった。NGPの鈴木成幸専務理事は19年、豊島の問題がまだ解決していないことを知った。加盟事業所が不法投棄したわけではなかったが、「車のリサイクルに関わる者として、豊島の再生を手伝うことは使命だ」と考え、組合有志で現地を毎年数回訪れ活動している。NGPのほかにもボランティア活動を継続している企業や団体があり、「学びの島」としての姿が定着しつつある。

 県も02年度から、豊島問題を学ぶ職員(主任)研修を年1回開き、「失政」を教訓として継承している。

 島は瀬戸内海国立公園の中にある。90年前に全国初の国立公園に指定されたことは島民の誇りだ。安岐さんは島西端で子どもの頃、ツツジの花見をしながら弁当を食べた。松林では香りのいいキノコ「松露(しょうろ)」が採れ、潮干狩りもできた。思い出の砂浜や土は業者に根こそぎはぎ取られて売却され、岩盤が露出した場所に産廃が投棄され続けた。私は24年3月、高台から約45メートル下に広がる跡地の写真を撮った。当時は、この高台にまで産廃が積み上がっていたと安岐さんに教えてもらった。

 「原状回復へ向け、まだ道筋がついただけ」と安岐さんは語る。「破壊された自然を元に戻すには、ものすごい時間と費用がかかる。二度と起こしてはいけない。豊島はそれを学ぶ島として生きて行く」【佐々木雅彦】

豊島の産廃問題

 1975年に業者が香川県に産廃処理場の建設許可を申請、80年代に不法投棄が本格化し、兵庫県警が90年に強制捜査に乗り出すまで続いた。住民らは93年11月、撤去を求めて香川県などを相手に国の公害調停を申請。2000年に県が業者の指導・監督を怠ったことを認めて謝罪し、調停が成立した。

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