2024.04.25
被災した能登の高齢者施設 3カ月ぶりに再開も積もる課題
「この日を楽しみにしていたんです。自宅に帰ってきたようなもの」。石川県輪島市のグループホームで暮らしてきた認知症の高齢者らが19日、およそ3カ月ぶりに施設に帰ってきた。1月の能登半島地震後に集団避難して以来、久しぶりの「我が家」に穏やかな笑みを浮かべた。
◇断水解消されず集団避難
グループホーム「ひなたぼっこ」では、80~100歳代の入所者18人が生活していた。震度7の揺れに襲われた元日の午後4時10分ごろ、入所者たちは居間でテレビを見るなどして談笑していた。激しい揺れで車椅子ごと転倒した人もいたが、大けがには至らなかった。
施設は窓ガラスが割れたが、倒壊などの大きな被害は免れた。このため、施設を運営する法人で代表を務める高橋美奈子さん(64)は、建物内にとどまって生活を続けることにした。
ただ、断水には苦しめられた。早い段階から給水車が来て手洗いなどの水は確保できたものの、トイレは凝固剤を使うなどしてしのぐしかなかった。断水が解消されるめどが立たず、集団避難を決めた。
「高齢者は環境の変化に弱い人が多い。もしも、入所者がばらばらに避難すれば孤立したり、混乱したりして生死にも関わる問題だった」
1月23日、自衛隊の車両など3台が「ひなたぼっこ」に到着すると、入所者や介護士らスタッフが分乗した。輪島市から70キロ余り離れた石川県かほく市にある福祉施設だった建物へ、数時間かけてたどり着いた。
入所者は気持ちに落ち着きがなくなると、イライラや幻覚、幻聴といった症状が表れる。避難先の仮の住まいでは、そんな症状はあまり出なかった。高橋さんは「お互い知った顔同士で集団避難したからだろう」と感じている。
避難先から1~2時間かけて通勤
高橋さんは、避難先からほとんど帰ることができなかった。輪島市の隣にある志賀町の自宅はほとんど損傷しなかったが、土砂崩れで近くの道路が寸断されて避難指示が解除されていなかったからだ。入所者と一緒に寝泊まりしながら、献身的に世話を続けた。
他のスタッフは輪島市や金沢市などの避難先から車で1~2時間かけて、かほく市に通勤した。全国から駆けつけた介護スタッフの手も借りて、集団避難生活を支え続けた。
3月下旬、「ひなたぼっこ」の水道がようやく復旧した。かほく市には主治医がおらず、入所者が安心して生活できる環境を考慮して、輪島に戻ることにした。
今月19日朝、入所者らは福祉タクシーに分乗して、2時間かけて帰ってきた。「お帰り」「帰ってこられてよかったね」。「ひなたぼっこ」に着いてスタッフに声を掛けられると、入所者は穏やかな表情を浮かべた。
入所者の東山チノさん(102)は「好きな輪島に戻れてよかった」。高橋さんは「この3カ月間は大変だったが、全員一緒だったから乗り越えられた」と振り返った。
再開施設はまだ少数
だが、能登半島地震で被災した高齢者施設の中で、「ひなたぼっこ」のように運営を再開できた所はまだ多くない。
被害が大きかった輪島市と珠洲(すず)市、能登町、穴水町では、73施設のうち半数近い31施設が再開できずにいる(23日時点)。輪島市などによると、その理由は、損傷した施設の修繕が終わっていなかったり、断水が続いていたりすることなどだ。
介護老人保健施設「百寿苑」(輪島市)は建物の壁が崩れるなどしたため、建て直しを断念した。96人の入所者は、県内外の複数の施設などに避難したままだ。
一方、再開できたとしても人手の問題がある。
市が市内の21施設で働いていたスタッフの状況を調べたところ、計423人のうち約25%に当たる105人が3月までに離職していた。
「ひなたぼっこ」でも、自宅が全壊して仮設住宅への入居が決まらないなどの事情で、20人いたスタッフは10人程度に減った。入所者が集団避難先から輪島に戻ったことで、避難先から通えなくなって退職するスタッフもいて、さらに少なくなるという。高橋さんは「これからが大変」と話す。
百寿苑の船本貴宏副施設長(51)は、現状をこう見ている。
「避難先から戻る入所者が少なければ運営が厳しいし、たくさん戻ってきてもスタッフを確保できるか分からない。はっきりした再開のめどが立てられない。奥能登はどこの施設も同じような状況だと思う」【阿部弘賢、国本ようこ】
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