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2024.05.17

水を治める 先人たちの決意と熱意、技術に学ぶ  水を治めた土木偉人がつなぐ ~豊岡から金沢、そして台湾へ~ 豊岡が生んだ治水港湾の始祖・沖野忠雄 連載56回 緒方英樹 

豊岡が生んだ治水港湾の始祖・沖野忠雄

 土木の神様アメノヒボコをまつる出石神社(いずしじんじゃ、豊岡市出石町)の境内に、豊岡市出石町出身の“治水の神様”沖野忠雄(おきの・ただお)の石碑があります。

日本中の暴れ川や港づくりの大工事を指導した沖野忠雄石碑(兵庫県豊岡市出石町宮内99)=一青妙撮影

 沖野忠雄は、1854(安政元)年、但馬(現在の兵庫県)豊岡藩士の子として、豊岡市大磯(おおぞ)に生まれました。藩から推薦を受けた「貢進生」として大学南校(東京大学)に入り、物理学修得のため第2回留学生としてフランスのエコール・サントラルに入学。1879(明治12年)に土木建築科を卒業します。当時のフランスは、内陸河川の改修、運河の建設が進み、橋梁や河川技術ではヨーロッパの中心的な場所であり、沖野はそうした学問と実地を学んだのです。

1914大正5)年 土木学会会長就任時の沖野忠雄=土木図書館デジタルアーカイブス

 沖野は、極めて優秀な成績で海外留学を修めた後、帰国後、内務省土木技師となって以来、一貫して港湾や河川工事に携わりました。国外を含め手がけた港湾は80カ所、河川は100カ所を超えました。その中でも、淀川改修と大阪築港の工事には特に心血を注いだといわれています。当時の淀川は、オランダ人技術者たちから、水害のたびに土砂が流れて河口の大阪港を埋めていることが指摘されていました。

 沖野は、当時最先端の機械を西欧から取り寄せて工事の能率化を図かります。大型掘削機、機関車、しゅんせつ船、起重機船などで、修理のための機械工場も設けました。また、防波堤に用いるコンクリートの製造は確立されていなかったので、沖野はフランスから持ち帰った資料を頼りにセメント試験所でテストを繰り返しました。

 沖野の業績で注目すべきは、外国人技術者に頼ることなく、近代的な河川と港湾技術を日本に定着させたことにあります。沖野が関わった河川や港は、全国各所に及びました。沖野の土木技術者としての使命感は、全国レベルでリスクの高い河川を優先して改修することに徹していましたので、故郷の円山川改修に着手したのは退官後になっていました。

 沖野は、1864(元治元)年、1866(慶応2)年、1870(明治3)年と3回の大洪水を郷里の豊岡で経験しました。幼少期から自然災害の災禍に苦しむ住民を見て育ったことが、治水の道を選択させたのかもしれません。

新渡戸稲造の訓示を受けて近代砂防を志した赤木正雄

円山川塩津公園に建つ赤木正雄は、砂防の父と呼ばれている

 近代の砂防は赤木正雄から始まりました。

 赤木は、明治20(1887)年、兵庫県豊岡市引野に生まれました。引野(ひきの)という地名の由来は、低い野とも言われます。円山川(まるやまがわ)沿いにある赤木の生家には軒先に物品輸送用の舟がつるしてあります。近くを流れる円山川は氾濫の常襲地だったのです。

砂防の父 赤木正雄の生家が展示館に(館長:赤木新太郎、豊岡市引野972)

 洪水の恐ろしさは、沖野と同様に赤木が幼い頃から心に刻み込まれていました。赤木は兵庫県立豊岡中学に学び、第一高等学校に進みます。そして、転機が訪れます。赤木が第一高等学校のとき、明治43(1910)年に関東地方を襲った災害を受けて、当時、一高校長だった新渡戸稲造の訓辞です。

「わが国はたびたびの水害で多くの命を失い、家を流し、耕宅地を荒し莫大な被害を受ける。治水は極めて地味な働きだが、誰か諸君のうち一人でも一生を治水に捧げて、毎年襲来するこの水害をなくすことに志を立てる者はいないか」

 その薫陶を受けて治水・砂防を志した赤木は、内務省に入省します。その採用面接を行ったのが奇しくも内務省技監だった沖野忠雄でした。赤木は内務省初、ただ一人の林学士として採用されました。

 入省後、赤木は、ウィーン農科大学に学び、渓流工事の発達したアルプス周辺諸国の砂防を見て歩きます。ここから日本の砂防は転換することとなります。従来の山の植栽に主力を置く画一的なやり方から、各渓流の特性に応じた土砂水理学に立脚した渓流工事という最新の知識を身につけて内務省に復帰すると、全国の砂防事業を統括する立場になりました。

 そして、世界最大の砂防事業と呼ばれた立山砂防に挑んだ赤木は、常願寺川上流の砂防と下流の河川改修を連携させる「水系一貫」構想へと導き、現在へ引き継がれています。

 沖野や赤木たち住民を苦しめた円山川が、土木偉人を生みだしたとも言えるでしょうか。

土木による恩恵とは何か!

 能登半島地震と、台湾地震からの復興を願うイベント「水を治めた土木偉人がつなぐ豊岡から金澤、そして台湾へ~」(一般社団法人アメノヒボコ土木サロン主催)が5月8日、豊岡市の兵庫県大学法人芸術文化観光専門職大学で開催され、台南市親善大使である作家で女優の一青妙さんが講演しました。5月8日は、台湾の水利に尽くした石川県金沢市出身・八田與一技師の命日です。

「水を治めた土木偉人がつなぐ~豊岡から金沢、そして台湾へ~」ポスター

 沖野忠雄、赤木正雄、八田與一、共通するテーマは「水」です。

 八田與一技師が亡くなった後、命日である5月8日には毎年、台湾の烏山頭ダムのほとりで、地域民による慰霊祭が行われています。台湾の人たちが、八田技師による業績を子々孫々に語り継いで感謝する心は、「水を飲むときは、井戸を掘った人のことを思い感謝する」という「飲水思源(いんすいしげん)」という考え方が根づいているからです。

 治水や砂防など土木の仕事は、私たちの暮らしと密接な関係があるのにかかわらず、目に見えにくいものです。たとえば八田與一に主導された業績は、「東洋屈指のダムを造った」ということだけではなく、土木事業によって、広大な荒れ地が沃野(よくや)に変わり、穀倉地帯に変貌して、地域住民の生活が一変したということ、洪水・水不足・塩害という三重苦にあえいでいた住民の食卓に笑顔があふれ、ライフスタイルが豊かになっていったことこそ、土木技術者の本懐であり、土木による恩恵だといえるでしょう。

 沖野忠雄による治水事業、赤木正雄による砂防事業もまた現在の私たちを守り続けている土木の恩恵だと確信します。

「水を治めた土木偉人がつなぐ~豊岡から金沢、そして台湾へ~」で講演する一青妙氏
緒方英樹(おがた・ひでき)土木学会土木広報センター土木リテラシー促進グループ 土木史委員会副委員長。著書「大地を拓く」(理工図書)で2022年度土木学会出版文化賞を受賞