ソーシャルアクションラボ

2024.06.06

原点は成田 農場での民主主義の実験 欧州の「新農村人」に学ぶ

 農林水産省のシンクタンク・農林水産政策研究所に異色の研究者がいると知り、話を聞いた。主任研究専門員の須田文明さん(64)だ。「成長産業化」が声高に語られる中、今や知る人も少なくなった社会運動家や作家らの言葉を引いて農政のありようを語る姿が新鮮だった。専門領域のフランスを中心に、欧州の農業事情に通じた論考がさえる。【聞き手・三枝泰一】

 ――「農場での民主主義の実験」という考え方が、問題意識の底流にあるとうかがっています。

 ◆学生時代、成田空港に反対する三里塚闘争に関わった経験から導かれた境地です。あそこは「就農学校」でした。学生たちは正義感に燃えて参加したわけですが、学んだのは「理屈」ではなかった。農家の営みを知り、一緒に農作業をしました。今はご存じの方も少なくなりましたが、「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)の柱の一人だった前田俊彦さん(故人)という社会運動家が現地にいて、どぶろくを造ってふるまってくれました。びっくりする光景でしたね。土と生きる意味をみんなで考えました。農家の皆さんと宮崎駿さんの「風の谷のナウシカ」を見た記憶もあります。現地の農家の後継ぎと結婚した女子学生もいますし、40年以上たった今、「こども食堂」に取り組んでいるかつての仲間もいます。

 成田問題の本質は、そこが、農家が生業を営む土地だった、ということにあると思います。その後、国と反対派が対等の立場で同席する円卓会議が実現し、地域との「共生」を掲げ、それを実現するための民主的手続きの重要性を認識する方向に動きました。

 私の実家は群馬県の赤城山のふもとです。父は小学校の教員、母は養蚕業で3人兄弟を大学に行かせてくれました。「成田の農家の手伝いに行くのなら、ウチの農作業も手伝え」とよく言われたものです。今はテレワークを利用して、群馬の自宅で母親を介護しつつ、研究の仕事と農作業との両立が実現しました。

 ――長年、欧州の食料・農業事情の研究をされています。通じる動きはありますか。

 ◆1968年のカウンターカルチャーの運動を経て、政治的・イデオロギー的な主張を持った若者たちの農村移住が数多く見られました。「新農村人」と呼ばれ、フランスで有機農業のパイオニアになったのは彼らです。イタリアでは、工業化に伴って放棄された農地を彼らが占拠し、栽培し、農業協同組合を設立しました。フランスでは19世紀末以来、カトリシズムの影響で、「労働者菜園」と呼ばれる農場が生まれました。企業が労働者のために土地を取得し、彼らの自給生活を支援しました。戦後の経済成長で企業がこうした活動から撤退した後も地域住民に利用され、名称を「家族菜園」と変えて、現在に至っています。

 成田での私の経験を振り返って興味深く感じるのは、フランス・ナント市近郊の新空港建設反対の運動です。74年に決定した計画に抗議する農民や環境保護派らが予定地を占拠し、これを今も続けています。

 ――日本もイタリアも、そして第二次大戦中のフランスのビシー政府(対独協力政権)もファシズムを経験していますし、そこでは復古的な「農本主義」が唱えられました。反省すべき史実ですが、資本主義経済と都市化へのアンチテーゼという点では、共通する要素があるようにも見えます。

 ◆農本主義は「大地への帰還」を唱えました。19世紀、第3共和政のフランスで首相や農相を務めたJ・メリーヌは「国民の繁栄は樹木に似ている。農業は根であり、工業と商業は幹であり、葉である。根が弱れば、幹は折れ、葉は落ち、木は枯れる」と書いた。経済の危機に際し、失業者を吸収する役割を農業に見いだしました。農本主義の思想を単純に政治的反動として切り捨てることはできないと思います。

 ――解放的なポテンシャルの可能性もあると主張されていますね。

 ◆今の運動は、農業や農地の在り方を「コモンズ」の精神で語っている点が大きいと思います。特定の人や団体の占有ではなく、誰もが自由に利用できる空間を指す概念です。21世紀に入ってから「脱成長」や反グローバリズムを唱える運動が広がり、政府側の意識も動いています。イタリアでは2007年、法相の下に設置された「ロドタ委員会」が民法の「所有権」の修正について報告を出しました。そこでは、国家や公共団体の財を単に「公共財産」とみなすだけでなく、「共通の使用のための財」という新しいカテゴリーを盛り込みました。個人の人格を自由に発展させるための財だ、という考え方を示しています。

 具現化したケースがあります。13年、トスカーナで、県所有の200ヘクタールほどの農地を負債解消のために売却する計画が持ち上がり、これに反発する若者らがこの農地で野菜やオリーブの栽培を始めました。憲法裁判所の前長官は「県は市民の権利のためにその財を管理する権利と義務を有するが、その『私的所有者』ではない」として、運動の支持に回りました。

 ――実績にもつながっているようです。

 ◆先にお話ししたフランスの「家族菜園」ですが、パリを首府とするイルドフランス地域圏では、職業的野菜作付面積の約3分の1に匹敵する規模に成長しました。

 イタリアの農家に占める65歳以上の比率は4割を超えていますが、逆に35歳未満の数はドイツやフランスを上回っており、高い意識を持った若い新規就農者が、引退する農家の埋め合わせをしているようです。

 ――気候変動やウクライナ戦争が示す地政学的リスクを考える必要もあります。

 ◆国レベルでの食料安全保障と並行して、私が注目しているのは地域の食料自立です。フランス政府の「地域食料プロジェクト(PTA)」は、ボトムアップの計画作成を後押しします。一例を挙げましょう。イタリアと接する山岳酪農地帯のサボワ県は、ボーフォールチーズという高級品の産地として知られます。県レベルで食料自給率の診断を行い、不足している農産物栽培の就農や経営多角化支援のため、農地組合法人への出資を通じて農地を取得しています。

 ――「食」の視点から見えてくる取り組みもある?

 ◆パリ市は、131の周辺市町村を含むメトロポール・グラン・パリ(人口720万人)の学校給食や職員食堂用に有機農産物と地域産品を調達しています。そのために、シャンパーニュ地方からノルマンディー地方ルアーブル市に至るセーヌ川流域250キロ圏内の県や市町村と連携し「アグリ・パリ・セーヌ連合」を形成し、農産物のサプライチェーンを築きました。他県市町村での地産地消の推進も期待されています。

 この取り組みの要になったのは、パリ水道局です。いったん民営化されたものを、コモンズの観点から、公営に戻したことで話題になりました。シャンパーニュ地方のヨンヌ県北部を水源にしており、周辺農地400ヘクタールを所有しています。地元農家には環境保全を義務付ける一方で、有機農業の食材をパリの学校給食に提供してもらう取り組みを続けていました。実績が既にあったのです。

 ――一方で、安価な農産物を求める消費者の声もあります。

 ◆農業生産性の向上が求められていることは確かです。成長戦略に沿った生産性の高い農業の必要性を認めつつ、地域レベルでのサブシステンス(生命の維持や生存のための活動)を強調したい。

 大規模で成長志向型の農業か、小規模で地産地消的な農業か、という二者択一ではなく、地域の実情に適した農業が存続していくのではないでしょうか。文化人類学に通じていた作家のきだみのるさん(故人)が書いているように、「地域の15家族」が暮らしていけるような農業と食料のシステムを積み重ねていくことではないでしょうか。フランスやイタリアの経験から学ぶことは多いように思います。

 すだ・ふみあき 1960年、群馬県赤城村(現・渋川市)生まれ。早稲田大政治経済学部経済学科卒。京都大大学院農学研究科博士課程中退。農学博士(東北大)。仏国立農業研究所(INRA)で研修。論文に「競争戦略としてのアグロエコロジー的移行とSDGs」など。

 2024年(第52回)毎日農業記録賞の作文を募集しています。9月4日締め切り。詳細はホームページ(https://www.mainichi.co.jp/event/aw/mainou/guide.html)。

関連記事