ソーシャルアクションラボ

2024.07.12

被災地のニーズにマッチ 能登の病院が模索する新たな姿

 石川県輪島市街にある市立輪島病院の3階で4月10日、ちょっとした変化があった。病室に並んでいる4床のベッドの間に、高さ2メートル弱の木製の壁が新たに設けられた。利用者のプライバシーを守るためだ。ただ、利用者といっても病院の入院患者ではないという。どういうことなのか。

 輪島病院は能登半島北部の災害拠点病院の一つで、地域の医療を支えてきた。ところが、震度7の揺れを観測した1月の地震で医師や看護師らスタッフも被災して仕事を続けられなくなるなど、大きな打撃を受けた。

 地震直後からしばらくは断水が続き、大量の水が欠かせない人工透析の患者らは、県内外の複数の医療機関に転院した。

 一方、県は避難所として、輪島病院から100キロ余り離れた金沢市などに宿泊施設を確保している。輪島病院に通院していた被災者の中には、こうした施設へ避難する人も少なくなかったこともあり、患者数の減少につながった。

 県地域医療推進室によると、地震の被害が大きかった奥能登地方(輪島市、珠洲(すず)市、能登町、穴水町)の総合病院で地震前の2023年12月と今年5月で入院患者数と外来患者数を比べると、それぞれ6割程度に落ち込んでいる。

 このため、地震後は運用する病床数が減り、5月末時点でもその状態は変わっていない。輪島病院は地震前の175床から、60床で回さざるを得ないという。

 そんな中で、被災地では新たなニーズが生まれていた。

 避難所で体調を崩して入院した高齢者が回復後に退院しようとしても、介護施設も被災していて受け入れ態勢が整っていなかった。仮設住宅で家族と一緒に暮らすのは、手狭なので難しい状況だった。

 それで輪島病院は、院内で使われていなかった18床を介護医療院に充てることを決めた。

 介護医療院とは、医師が常駐して介護や治療を受けながら療養生活を送れる介護保険施設のことだ。同じ病室を活用するにしても、医療施設に関する法律と介護施設に関する法律は異なる。準備に3カ月をかけ、4月10日に開院させた。

 「医療で入院する患者にとって病室は治す場所ですが、介護医療院に入る高齢者にとっては生活する場所。だから、よりしっかりとしたプライバシーの確保が必要なんです」。輪島病院の河崎国幸事務部長は、そう説明する。

 利用者のケアは、病院に勤務していた介護補助者らが担当する。受け入れ人数を徐々に増やし、7月2日の時点で12人が生活する。残り6床分も予約が入っているという。

 同じようなことを、能登町の公立宇出津(うしつ)総合病院でも取り組んでいる。地震前は100床だった病床は、地震から半年がたっても患者が戻らず、60床でしか運営できていない。

 町内では、介護医療院を併設していた柳田温泉病院が地震で休診を強いられていた。そこで宇出津総合病院は7月、空いている46床を柳田温泉病院の介護医療院に貸し出し、活用してもらっている。

 地震により再起不能な高齢者施設があるなど、介護の環境が整わず、輪島病院も宇出津総合病院も新たな取り組みで復興への一歩を歩もうとしている。

 輪島病院の河崎事務部長は「これまでは地域の医療を担っていた病院が介護も担うことで、入院した高齢者が退院して日常生活に戻るまでの過程を支えることができる」と話した。【長沼辰哉】

関連記事