2025.03.05
息子はなぜ津波に飛び込んだのか 両親が絵本に込めた「命」への約束

津波に奪われた息子の命を未来に生かしたい。そう願いながら、両親はその後の人生を歩んできた。濁流が間近に迫っても、生きることを最後まで諦めなかった我が子。だから、自分たちも諦めずに体験を伝え続けていく。その胸には、かつて息子と交わした、ある約束がある。
「ふしぎな光のしずく~けんたとの約束~」は、宮城県大崎市の田村孝行さん(64)と妻弘美さん(62)が、長男健太さん(当時25歳)と歩んだ日々を描いた絵本だ。東日本大震災後に出会った支援者の協力で、2024年春に完成した。
父と交わした約束
物語は「けんた」の誕生から始まる。母のおなかの中にいる時から元気いっぱいで、木登りが大好きなやんちゃ坊主に育っていく。
やがて野球にのめり込む。グラブを持つ息子に向き合った父親は、こんな約束をする。
<一度始めたことは続けること。父さんとの約束>
実際に孝行さんと交わした言葉の通り、健太さんは小学校からずっと野球を続けた。宮城県古川高校では正捕手の座をつかみ、3年生の夏にはチームが22年ぶりに県大会で8強入りする原動力となった。
東京の大学に進んだが就職先は地元を選び、七十七銀行(仙台市)に入った。地域に貢献できる、憧れの会社だったという。
11年3月11日。入行3年目だった健太さんは沿岸部にある女川支店(同県女川町)に勤務していた。
巨大地震と大津波警報を受け、周囲では多くの人が近くの山へ避難する中、行員らは上司の指示で2階建ての支店屋上に避難した。
だが、津波の高さは屋上をはるかに超える20メートルにも及んだ。現場にいた13人が流され、健太さんを含む12人が死亡・行方不明になった。
絵本には、黒い津波が迫る中、ワイシャツ姿の主人公が海に飛び込むシーンがある。
<真っ黒な海が、ついにけんたたちのいる屋上にまで襲いかかってきた。(中略)「あきらめるもんか!おれは生きる!生きぬいてやる!」>
両親は震災後、近くの高台から支店の屋上を見ていた人が「スーツの上着を脱ぎ捨てて海に飛び込んだ男性がいた」と証言していることを知った。
「暗い闇の世界」さまよった夫婦
荒波の中を泳いででも、命をつなごうとしたのだろうか。「健太に違いない」と信じ、最後まで生きようとした姿を、その場面で表現した。震災の半年後、女川湾で見つかった息子は、上着を着ていなかった。
その後、2人は「暗い闇の世界」をさまよい、止めどなく流れる涙をぬぐいながら生きてきた。「どうして高台に逃げなかったのか」「大切な命を守るため、これからどうすればいいのか」と自問し、支店の跡地に通い続けた。
絵本をともに作ったメンバーとは、そんな日々を過ごしていた頃に女川で出会った。音楽を通じて被災地の復興支援をしていたグループ。その一人、木村真紀さん(63)は、我が子を思う2人の熱意に心を打たれつつ「怒りの炎で自らも焼き尽くしてしまうんじゃないか」と心配していた。
交流を続け、19年ごろに夫婦から「次の世代に残せる絵本を作りたい」と相談された。音楽とは違う分野に戸惑いながらも「力になれるなら」と引き受けた。グループのメンバーでイラストや構成作業を手分けし、木村さんは弘美さんと一緒に文章を担当した。
夫婦は銀行側の責任を問うて裁判でも闘ったが、敗訴が確定。孝行さんは一般社団法人「健太いのちの教室」を設立し、「会社が従業員の命を守る『企業防災』が当たり前の社会になってほしい」と訴えてきた。
数年前には、記憶を伝える活動の拠点を宮城県松島町に作り、畑で野菜も育て始めた。弘美さんの実家があり、健太さんが幼い頃に遊び回った思い出の場所でもある。
「土は命を育む。訪れる人たちにも、一緒に命の大切さを考えてもらえたら」と柔らかな表情を浮かべる2人。その姿に、木村さんは「健太さんが『光のしずく』となっていつも見守ってくれていると気づいたんだ」と感じ、その心境の変化を絵本につづった。
「未来の命を輝かせる光に」
2月下旬、夫婦は地元のホールで中学生や保護者に向けて絵本を朗読した。孝行さんが絵をスクリーンに映し、弘美さんが優しい口調で読み上げると、真剣なまなざしが注がれた。
「あの子がここにいる」と絵本をいとおしそうに見つめる弘美さん。「この本が未来の命を輝かせる光となって、これからを生きる子どもたちを照らしてくれたら」と願う。
孝行さんはかつて、健太さんの葬儀で「命を生かし続ける」と約束した。だからこれからも語り、未来に記憶を伝え続ける。
「いつか健太に『お父さんはここまでやったよ』と言える日まで、何でも挑戦する」。親と息子が交わした約束を巡る物語。そのページは、これからも増えていく。【百武信幸】
関連記事