ソーシャルアクションラボ

2025.12.02

「オカマ」と呼ばれ壮絶いじめ かずこママ、苦しかった中学時代

 初めて差別を感じたのは、小学校の高学年の時だった。

 東京・銀座と北海道千歳市で飲食店を経営するコラムニストのかずこママこと村井和之さん(53)=東京都中央区。幼少期から女の子と遊ぶことが多く、女の子の体より男の子の体に関心があった。

 同級生に「オカマ」とからかわれるようになり、中学校に進学すると、激しいいじめに発展していった。

 村井さんは宇都宮市出身。会社員の父と専業主婦の母、兄の4人暮らしだった。

 物心ついた時から「男の子が好き」という気持ちを持っており、同級生はそんな村井さんの性的指向を敏感に感じ取ったのかもしれない。

 特に女性の言葉を使っていたわけでもないが、小学校時代から「オカマ」と言われるようになる。中学校に入ると、からかう同級生は集団化し、先鋭化していった。

 人間関係のもつれもあり、いじめのターゲットにされると、体操服を校庭の真ん中に投げ捨てられたり、黒い学生服をチョークの粉で真っ白にされたりした。

 大声で「オカマ」「オカマ」と連呼され、今で言う「アウティング」(性的指向や性自認を同意なく他者に伝えること)をされたこともあった。

 「いじめられているだけでなく、しかも『オカマだった』なんて母に知られたら、ダブルでショックを受ける。絶対にばれちゃいけない」

 教科書や上履きを学校に置いたままにしておくと、隠されたり、捨てられたりする。このため、毎日リュックに全てを詰め込んで登下校した。

 母に見つからないよう、リュックは住んでいた団地の倉庫に隠しておいた。学校を休めば、母が心配すると思い、どんなにいじめられても1日たりとも休まなかった。

 「長い人生から見れば、中学校生活はほんの数%でしかない。そこでつまずいて、残りの人生に傷をつけるのはもったいないし、悔しいと思っていた」

 苦しい中学時代を乗り越え、高校に進学すると、作業療法士を目指すようになる。

 テレビ番組などに影響され、障害者らの役に立ちたいと思ったことがきっかけで、見学に行った自治医科大付属病院(栃木県下野市)で人生の師と仰ぐ作業療法士に出会ったことも大きな理由だった。

 しかし、その胸の奥底には、マイノリティーゆえの複雑かつ特別な思いもあった。

 「私自身、オカマに生まれたくて生まれたわけじゃない。障害のある方も同じ。その人たちの役に立つことで、自分自身を慰めようとする気持ちもあったのかもしれない」

 秋田大医療技術短期大学部(現医学部保健学科)に進学し、作業療法士となって自治医科大付属病院に就職。仕事に慣れていくと、「障害者の人生をもっと盛り上げてあげたい」と思う気持ちが募っていった。

 一方で、医療現場の限界も感じるようになっていた。人生の師が別の大学に移ったこともあり、約4年半で退職を決断する。

 病院ではできないことに挑戦しようと、当時はまだまだ一般的ではなかった障害者や高齢者のためのバリアフリー住宅建設のアイデアをアピールし、住宅メーカーに転職した。

 病院を核に介護サービス付き賃貸マンションやレストランなどを併せ持つ複合施設の建設プロジェクトに携わるなど、作業療法士時代のアイデアと経験を生かして活躍した。

 しかし、上司が代わったことをきっかけに、順調だったサラリーマン人生は暗転する。

 公然と職場で宗教活動に取り組む上司の姿勢に苦言を呈して対立。信頼していた同僚がスパイのようなことをしていたことも分かった。

 「二度とサラリーマンには戻らない」。そう心に誓い、起業を決意する。29歳の時だった。【高山純二】

村井和之(むらい・かずゆき)さん

 1972年生まれ、宇都宮市出身。宇都宮東高、秋田大医療技術短期大学部(現医学部保健学科)卒。自治医科大付属病院、住宅メーカーを経て、PR会社、富裕層向け旅行会社を経営。2012年に会員制バー「銀座ルーム」、23年に料理屋「ちとせ曹司」をオープン。著書に「東京銀座六丁目 僕と母さんの餃子狂詩曲(ラプソディ)」(集英社)。

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