2020.04.09
洪水常習地帯だった「落合」 谷川彰英 連載2
川と川が合流する地点
もし地名に文法みたいなものがあるとすれば、この「落合」という地名ほど、“地名の文法”にかなったものはない。「落合」という地名は、間違いなく川と川が合流する地点を指している。川と川が「落ち合う」地点である。現在、川が存在していなくても、地形を見ればそのような形になっていることが多い。それほどに、「落合」という地名は文法に忠実だということがいえる。
この地名は東日本に多いが、北は北海道から南は九州まで至るところに分布する。日本列島の特色として、いかに川と川が合流して海に向かって流れているかが分かる。関東に限定しても、茨城県筑西市、栃木県那須烏山市、同下都賀郡壬生町、埼玉県飯能市、東京都多摩市、神奈川県秦野市に「落合」という地名がある。
「落合」という地名がつけられた場所は当然のことながら、水害に見舞われる可能性が極めて高い。二つの河川の水が落ち合うわけだから、水量は倍になってあふれるということになる。大きな河川に小規模の支流が流れ込んで水があふれた例も多く、今年10月の台風19号で大きな被害を出した宮城県丸森町などはその典型である。
神田川に架かる落合橋。西武新宿線下落合駅近くを流れる妙正寺川にも落合橋が架かる
学生の街・高田馬場は洪水の常襲地帯だった!?
実は、東京のど真ん中にも「落合」がある。西武新宿線で「高田馬場駅」を出ると次は「下落合駅」である。山手線でいうと高田馬場駅と目白駅を結ぶ線から西一帯が「落合」というエリアである。町名でいうと新宿区の「上落合」「中落合」「下落合」「西落合」ということになる。
ここの「落合」は江戸時代から存在していた地名で、神田川と妙正寺川が合流した地点につけられた地名である。神田川は徳川家康が江戸に入府した際、水不足に悩む江戸のために井之頭池から水を引いたものだが、この地点で妙正寺川と合流して神田方面へ流れていったのである。
高田馬場駅の北側を神田川方面に向かう小路は「さかえ通り」と呼ばれる飲み屋街だ。この小路は昔からほとんど変わっていない。通りを抜けると道は神田川を越えることになる。その橋を「田島橋」と呼んでいる。現在はコンクリートの橋だが、この橋はすでに江戸時代に架けられていたことが確認されている。現在その橋のたもとは東京富士大学という私立大学がある。
そこから上流に向かって行くと一つ目の橋が「宮田橋」で、その次が「落合橋」である。この落合橋のやや上流あたりが、神田川と妙正寺川が合流していた地点である。現在は流路変更により妙正寺川は暗きょ(高田馬場分水路)に入り、新目白通りの地下を流れて神田川に合流しているが、両河川が落ち合っていたのは、間違いなくこの落合橋の付近であった。
この神田川の流域の「市街化率」(宅地に占める建物敷地の割合)は97%(2009年度)で、全国トップといわれる。流域のほとんどが建物で覆われ、降った雨の大部分が神田川に流れ込むということになる。神田川に代表される都市河川はコンクリートで固められているため、逃げ場のない水は容易に護岸を越えて浸水の被害を引き起こす。
2005年9月の大雨で崩壊した妙正寺川の護岸の復旧工事をする作業員たち=東京都中野区上高田で
新宿区立落合公園(右)の地下に妙正寺川落合調整池がある。川の水量が増すと、調整池に流れ込むようになっている
近年まで、たびたび浸水被害を引き起こしていた妙正寺川
とりわけ妙正寺川は昔からしばしば水害を起こしてきたことで有名だ。近年では2005年9月、台風14号による時間雨量100ミリ超の大雨によって浸水被害を引き起こしている。そのような事情から、東京都は妙正寺川の流路変更と、流域に「調節池」の建設を進めてきた。
哲学者井上円了にちなんで造られた哲学堂公園に沿って「妙正寺川第一調節池」「第二調節池」があり、少し下って「上高田調節池」そして「落合公園」の下には「落合調節池」が建設されている。これらをまとめて「妙正寺川調節池群」と呼んでいる。
調節池はあふれた川の水を一時的に貯留して水害を防ぐものだが、第二調節池は深さ23メートル、最大で10万立法メートルの水を貯めることができるという。これは小中学校の25メートルプール270個分に相当する。
落合公園の地下には上部下部の2段構造の調節池が造られており、上部だけで5000立方メートルの水を貯めることができるという。この調節池のお陰で、今回の台風19号の豪雨にもかかわらず、神田川水系は水害を免れた。
新宿区中落合1にある見晴坂は写真右から上がる。住宅が密集する、この辺りは江戸時代は水田で、ホタルの名所だった
江戸時代はホタルの名所。現在は……
ところで、神田川・妙正寺川の流域は新宿区のハザードマップでも危険地帯になってはいるが、かつては情緒あふれる地域であった。今の落合橋がある辺りに江戸時代には「落合土橋(どばし)」があった。ここで神田川と妙正寺川が落ち合っており、一帯はホタルの名所だった。形も大きく光も他と比べて優れており、「玉のようにまた星のように乱れ飛んで、その光景は最も珍しい」と、幕末に出された『江戸名所図会』には記されている。
川はこんな恩恵も与えてくれている。今はコンクリート3面張りの単なる水路でしかない神田川・妙正寺川だが、水辺のある潤いのある暮らしを考えた街づくりにも思いを致したいものである。(作家・筑波大名誉教授)=毎月第3木曜日更新